傷痕~想い出に変わるまで~

櫻井音衣

禊 4

いつもの居酒屋に入って生ビールと適当な料理を注文した。
私がタバコに火をつけると、門倉は灰皿をテーブルの真ん中に置いてスーツの内ポケットからタバコとライターを取り出した。
そのオイルライターはかなり年季が入っている。
別れた奥さんから初めてプレゼントされたものらしい。

別れても大切に使っているということは相当気に入っているのか、それとも今もまだ彼女を想っているのか。
私の結婚指輪と同じかな。
そういえば門倉は結婚指輪をどうしただろう?
前に聞いた時には『まだ持ってる』と言っていたけれど、あれからもうずいぶん経つ。

門倉はオイルライターでタバコに火をつけ、店員からビールを受け取った。

「とりあえず飲むか」
「そうだね」 

私と門倉はいつも二人で飲む時に乾杯はしない。
これは私たちにとって『禊』だからだ。
酒でひたすら過去の罪と過ちを洗い流す。

「門倉、結婚指輪まだ持ってる?」
「なんだ、急にどうした?」
「んー……昨日、二課のみんなで飲みに行ったんだけどね。早川さん来年結婚するんだって」

早川さんは結婚後も仕事を続けるつもりだけれど、婚約者は出来れば家庭に入って欲しいと思っていることを話した。

「後になってもめる原因になりかねないから、お互いに納得するまで話し合った方がいいって言った」
「俺もその方がいいと思うぞ」

運ばれてきた料理を少しずつ取り皿に乗せて手渡すと、門倉は黙ってそれを受け取った。

門倉はトマトが嫌いだから、最初から門倉の取り皿にトマトは乗せない。
別れた奥さんが無類のトマト好きだったらしく、いろんな種類のトマトをあちこちで探して買ってきて毎食欠かさず大量のトマトを食べさせられて食傷したそうだ。

「で、その話のどこに俺の結婚指輪が関係あるわけ?」
「なんかいろいろ思い出してね。久しぶりに結婚指輪出して眺めてたら結婚前のことまで思い出しちゃって」

門倉はタコのマリネを口に運びながら苦笑いを浮かべた。

「そんで泣いてたのか?」
「うん……まぁ、そうだね。あの時ちゃんと話聞いてあげれば良かったなとか、今更後悔してもしょうがないことばっかりで。思い出したくないことまで思い出すし……」
「あー……『決定的瞬間』か」
「……そう」

あの日私が見た思い出したくもない光景を、門倉は『決定的瞬間』と呼ぶ。
結果的にあれが離婚を決めた直接的な原因になったのだから、確かに『決定的瞬間』だ。

「でも真っ最中じゃなかっただけ篠宮はまだマシだろ?俺なんか現場に鉢合わせたんだから」
「似たようなもんだけどね。この目で見なかったっていうだけで、声は聞いたし使用済みのブツも見た。二人の姿を見てない分だけ生々しかった」



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