王が住む教室
大切な人
「いつからいたんだよ」
殴りこむような覇気で声を発したはずなのに,腕を組んでいつまでも入り口で仁王立ちしていた。たまりかねて入口まで歩いた。声をかけても,ぶすっとした表情で何も答えない。こうしてみると,本当に熊みたいな先生だ。
「止めてくれたんだろ。礼を言っておくよ。一応」
郷地先生はまだ何も言わない。いつまでそうしているつもりだと呆れかけた時,大きく息を吸って長く吐いた。肩で息をするとはこういう事かと目で見て分かるくらい,大きな肩が上下した。
「手を出したらだめだ」
郷地先生はさっきと同じことを言った。目つきだけはさっきと違った。
「どんなに考えていることが正しくても,想いが熱くても,暴力をふった途端に追い込まれてしまう。先生も誰も,守ってあげられなくなる。だから,絶対に人を殴ったりしたらダメなんだ」
郷地先生がおれを守ろうとしていることが痛いほど伝わってきた。でも,分からなかった。どうしておれが,大介の見た目をした大人しいいじめられっ子だったはずの子どもが狂暴になると感じとれるのか。どうして守ってくれるのか。
「自信を持て。君は成長している。攻撃的で,誰のことも信用していないような眼をしていたけど,大切な人が出来たんだろ? 腹を割って話をする人が出来たんだろ? 入学した時から,さみしい目をしていた。自分は独りぼっちなんだって。退院したと思ったら,今度は荒々し目をしていた。何があったか分からないけど,中学生っていうのはいろんな意味で不安定だ。でも,大きく成長する時期でもある。今の大介君の目には,寂しさはほとんどなくなっている。いい出会いがあった証拠だ。たまに怒りに満ちた目を浮かべそうなときもあるけど,その時は思い出すんだ。自分には大切な人がいるっていう事を。それだけで人は立ち止まれる」
郷地先生の言葉には説教臭さはなかった。それどころか,清らかな,まるで不純物の含まれていない湧き水のように言葉の一つ一つがしみわたっていった。
おれには大切な人がいる。腐れ縁だけど,大介がそうだ。おれは大介の希望を守りたい。死にかけなのに,ゴミくず同然で価値のない人間だと思っていたおれを守ろうとしてくれた。おれはあいつに報いたい。だから生徒会長に立候補した。
常友だってそうだ。頑張りたいおれを応援してくれている。おれの周りには,大切な人がいる。
もう同じ失敗はしない。感情のままに見境なく動くのはやめよう。赤坂仁として,おれは強くありたかった。自分の強さを証明するために体を鍛えた。見栄を張った。力で服従させた。振り返ってみたら,誰もついてきていなかった。味方だと思っていた数人は,殴られるのが怖かっただけだった。
郷地先生はおれを見た。おれの目の,奥深いところをのぞき込まれている気がした。そして,深くうなずいた。
「もう大丈夫だな」
そう言って満足そうにうなずくと,体育館を後にした。
おれは,決して振り向くことはないと分かっていても,去っていく大きな背中にいつまでも深く頭を下げていた。
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