話題のラノベや投稿小説を無料で読むならノベルバ

真昼の月

彩火透火

五ノ月 真昼の月①

 あの日から藤が教室を飛び出していくことはなくなっていた。
 なくなったといっても、いじめがなくなったわけではない。
 最初こそ驚いて手が出せなかった男子達も誰かが一つ小突けば、新しい玩具を見つけたのと同じことで、どんどんその遊びはエスカレートしていく。
 藤は何も反応しないので、それはもはやサンドバック状態だった。
 女子達はそれに嫌な顔を見せるが、藤はそんな顔見ていない。気づくことはなかった。

 そんなんで一週間が過ぎた日曜日。
 六月二十六日。藤は一人で湖にきていた。
 藤はぼんやりとベンチに座って静かな湖を見つめる。
 いつのまにか日曜日になっていた。そんな気がした。
 この一週間は何もする気が起こらなかった。ご飯も喉を通らない。
 授業なんかはほとんど惰性で受けている。
 起きて学校へ行って寝る、そんな記憶しかなかった。
 走り回る気なんてもうこれっぽっちもなかった。……いや。逃げる気がなくなったという方が言葉が正確だろうか。

 でも、カフェル達のいじめは派手になっている。
 だけど、そんなことどうでもよかった。小突かれても突き飛ばされても少しうざったいと思うだけだ。

 そして、あれから何度か凛とすれ違いもした。
 でも凛が笑いかけてくれることはなかった。
 笑いかけるどころか目も向けてはくれない。
 一度、二度は期待した。けどもう諦めた。気が楽になった。
 ……気がした。

 藤はぼんやりと湖を見つめる。でもその目に湖は映ってはいない。
 ――だから言ったじゃない?
 そんな瞳美の声が聞こえてくるようだ。
 藤が魔法使いにならないかといわれ、なろうと決めたとき、呆気に取られるほど強硬に瞳美は反対したものだった。
 確か春休み二週間前の金曜日だったはずだ。いつもの五人で昼食をしていたときにそれは勇吾の一言から始まった。


 ■


「そういや広沢、魔法使いになるんだって?」

 十数秒誰も何も言わなかったのを覚えている。
 勇吾はあいかわらず巨大な弁当を持ってそんな奇妙な間などまったくお構いなしに箸を動かしていた。

「なんだよ? みんな黙って?」

 十数秒後、そう言ったのも勇吾だ。奴に雰囲気を読むとゆうこーとーなぎじゅつは持ち合わせていないようだ。
 瞳美は余にも恐ろしい鋭い目で藤を睨み、香奈は困ったような顔をしていて、数馬は呆れたような顔を微妙にそらし、藤は瞳美の顔を見ないようにしてご飯を食べているふりをした。
 睨まれていてはご飯も喉を通らない。それくらい怖い目を瞳美はしていた。
 そんでもって話題を避けているという事実に気づかない勇吾は火の中に火薬を振り撒いた。

「魔法使いだって。楽しそうだなぁ、数馬」

 数馬はわざわざ聞こえない振りをしたが、火がついた火薬の起爆を止めることはできなかった。

「うるっさいのよあんた!」
「な、なんだよ?」

 まさに爆発したように癇癪起こしていきなり怒鳴る瞳美に勇吾は驚いて箸を止める。さすがだよ瞳美……勇吾の箸を止めさせるなんて……
 うろたえる勇吾に瞳美はかまわず怒鳴り散らした。

「何が楽しいのよ!? 魔法使いになんてなったっていいことなんて一つもあるわけないでしょう!?」
「いや……、そんなのわからな――」

 瞳美の決め付けるような言い様に勇吾は無謀にも反論しようとする。

「わかるわよ!」

 雷のような断言。勇吾もさすがに沈黙した。
 次に口をひらいたのは藤だった。
「なに怒ってるんだよ?」と、勇吾に勝るとも劣らない愚鈍さで火に油を注ぐがごとき質問を口にする。

 実は藤も瞳美が怒っているのはわかっていても、その理由を察するまでには至っていなかったのである。
 その藤のわけがわかっていない様子が不愉快で、瞳美はまるで触られたハリセンボンが全身の針を逆立てるかのようにその身が纏う雰囲気を思い切り逆立てた。

「誰が怒ってるのよ!?」

 そう言う瞳美の剣幕はどう考えても怒っているものに違いないのだけど、それと答えることができなくて藤もまた勇吾と同じように沈没した。
 次に口をひらいたのは当然残った数馬だった。
 香奈には現状の瞳美にかけてやる言葉も勇気もない。二人きりならともかく、みんなといるときにはあまり口を挟まない。香奈はそういう少女だった。

「広沢がいなくなって寂しいのさ」

 数馬がすべてわかっているといったような顔で言う。その顔が拗ねた子供のように見えたのは藤だけなのだろうか。
 そんな数馬の言葉に瞳美はすぐに反応した。

「なっ!?」

 驚いたように声をあげ、白っぽい頬をさっと赤くする。
 赤みは次第に瞳美の顔全体に広がって首にまで侵蝕していき、風呂でのぼせたような顔になっていた。
 そんな瞳美の様子など気づかずに藤は数馬に言う。

「僕は別にいなくならないよ」

 藤の言葉に瞳美の苦しげな反論が重なった。

「なに言ってるのよ数馬」

 数馬はあいかわらずの物知り顔で横目を瞳美に向け、

「素直になったらどうだい? 最低でも六年は会えなくなるんだから」
「うっ」

 瞳美が呻いて顔を曇らせる。
 数馬はぺらぺらと話を続けた。

「魔法の学校にだって女子がいれば、恋愛だってするだろう。広沢はルックスは悪くないし、六年もいれば広沢を好きになる女子だって一人や二人じゃないだろうさ。広沢だって二年三年たてば女子に興味を持ってくるだろう。……今はなくてもね」
「うう」
「そのときはやっぱり近くにいる女子を……ってことになるんじゃないかな?」
「ううう」
「……数馬くん」

 香奈が言いすぎだというように名を呼んでくる。数馬だってそんなことわかっている。なのに口が止まらなかった。
 そして、最終的に数馬の口を止めたのは結局瞳美だった。

「数馬のバカぁぁっ」

 言葉と一緒に思い切り突き出した瞳美のパンチは数馬の頬に見事にめり込み、ぎゅりっとスクリューした。
 数馬の顔は拳に巻き込まれるように捩れ、首が傾き、そのまま身体をくるくる回転させて吹っ飛んだ。
 錐もみ回転しながら弧を描いて吹っ飛んだ数馬は踏まれたカエルのような格好でべちゃりと仰向けに倒れ、これまた撃沈された。

「ふん!」

 瞳美は怒ったように鼻を鳴らし、行ってしまう。

「あ、瞳美ちゃん……」

 香奈は瞳美の背中を目で追っかけてこの状況をどうしようかと困った顔をしていた。
 昼休みはそれだけで済んだが瞳美の不機嫌は学校が終わっても続いていて、藤は帰宅途中にも散々と言われていた。

 ――藤には無理だよ!
 そう言った瞳美の顔は今でも思い出せる。怒ったような顔をしていた。

 ――一人で行くんだよ?
 そう、一人だ。大丈夫だと答えた。

 ――おばさんはどうするのよ!? 一人にする気!?
 その言葉に一番心を揺さぶられた。答えることはできなかった。
 ……そのあといきなり泣きだしたっけ。

 瞳美が泣いたのはひどく珍しくて、驚くほど久しぶりで、慌ててしまうほど号泣だった。
 家と学校の間にある川の橋に藤は暗くなるまでそこにいた。
 瞳美は次の日、風邪をひいて休んだ。


 ■


 ざっ――

 地面を踏みしめる音が聞こえて藤は思い出すことをやめ、緩慢な動作で音の方に目を向けた。
 視線の先には一人の少女が湖を見つめて立っていた。
 その少女が持つ雰囲気はまるで幽霊か精霊かといったところだ。
 そう思えるほどにその存在感は酷薄でぽーっと湖を見つめる無表情は美しかった。
 月が人の表情をしたらあんな風かもしれない。美しく輝くも孤独を悲しむ月の精霊。なぜだかそんなことを思った。

 藤はじっと少女を見つめた。
 気になったのは少女の美しさではなく、その存在感の希薄さが現れた顔だ。
 その表情はまるで孤独を連想させた。その表情は、わたしも独りなんです、そう言っているように藤には思えた。
 でもすぐに、藤は少女から顔をそらした。その動作は無意識だったが、藤は孤独をずっと見つめられるほど強くない、ということだった。

 孤独は痛くて悲しい。
 藤はそれをここに来て初めて知った。堪えられる心を持っていないのは当然のことだった。
 逃げ出せればいいのだろう。
 だがしかし藤には逃げ出すことはできなかった。

 凛にも語った魔法使いになる理由、あれが藤をこの島に縛り付ける。
 自分を犠牲にしても母を助けたいと思う心が、まるで釣り針を飲み込んでそれから逃れようと暴れる魚のように、逆に自分を傷つけていく。
 過去に安らぎを求め、藤は孤独を癒した。

 それからどれくらいの時間がたったのだろうか、気づくと少女の姿はどこにも見えなくなっていた。
 藤は緩慢な動作で重そうな腰をあげると、これまた棒のように重くなった足を動かして家路についた。


 ■■■

「真昼の月」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「その他」の人気作品

コメント

コメントを書く