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真昼の月

彩火透火

三ノ月 真夜中の月④

 六月十六日。木曜日。晴れ。
 本日三つ目の休み時間だった。
 そしてもう一つ授業をこなすだけであら不思議、今日はもう終わりだった。
 ウィザルドのカリキュラムでは火曜木曜土曜は半日で終了することに決まっていた。

 理由はこのウィザルドの校舎にあった。
 ウィザルドの校舎には、生徒の魔力暴走を止める、他人に干渉する攻撃系の魔法の効果を抑える、などといった生徒の身を護るための儀式呪文がかけられている。
 身を護るための儀式呪文、しかしこの人の魔力に直接干渉する儀式呪文の施された校舎に長くいることは、ずいぶんなストレスになるらしい。
 そんな理由からウィザルドのカリキュラムでは一日おきに半日の日が来るわけだった。

 そして3階廊下。
 やはり今日もまた、赤い絨毯の上を南から北へ藤は走っていた。
 全力疾走である。
 先生が見ていたら間違いなく注意される、間違いなし。
 そんでもって注意されたら最悪。ストップの魔法かけられて、放課後夢にうなされるほどの説教をくらわされるのは確実だ。
 実際に説教くらったのは一回だけど、夢では二回正座させられて説教を受けていた。
 正座ってところが藤なりのフィクションだった。ウィザルドでは正座という座り方がないからだ。

 だけど、そこらへんはもうすでに藤もしっかりとわかっていた。
 さすがにここ最近では先生の前を全速で駆け抜けるだなんて間抜けなことはしない。
 走り回って注意されまくっているうちに気づいたことだが、先生がいるところというものは案外時間時間で決まっているものであって、このウィザルドではそれが顕著に表れているようなのである。
 藤はそのことを初期の頃にはもうほとんど把握してしまっていた。いじめが始まったころというのは切実だっただけに、そういう自分を護るための知恵を獲得する能力が発達していたらしい。
 普通に学園生活を送っていれば要らない知恵であっただろうが。
 それに、階段が、降りるものではなく、落ちるものなんだと知ることも、きっといらないことなのだろう。普通なら。

 藤は手すりを乗り越えて、「フロー」、魔法解除。
 落ちて、降りる。まるで即席のエレベーターだ。
 膝を折り曲げ、余った衝撃を殺し、2階に降り立つ。ここまで追っ手との距離の余裕は約一〇〇メートル。

 ――判断。四つ目の教室までいける!

 藤は思うより先に走り出していた。迷いなど微塵もない。いけると思ったらイレギュラーな障害さえなければいけた。迷っている暇など、それこそ微塵もない。急いでいるときの迷いほど邪魔でかつ無駄なものはなかった。
 それを知るのに一週間もいらない。たった三日でじゅうぶんだった。

 藤は八〇メートルを全力で駆け抜けると、チーターもついていけないのでは?、と思えるほど俊敏な方向転換をかまし、四つ目の特別教室に続く通路へ曲がった。
 構造は教室と変わらない。短い通路があって、その先に扉がある。
 その扉に手をかけたとき、走ってきた方からどたばたと階段を駆け下りてくる音が聞こえてきた。
 藤はかまわずに扉の中に入ると扉の側にしゃがみこんで、はぁはぁと荒く息をつく。肩に背負っていたバックを脇に置き、背中をべったりと壁につけ、天上を仰ぐ。
 暗い教室。ふっと湧くように、強い孤独を感じた。
 が、一瞬のことだ。すぐに遠くから騒がしい声が聞こえてきた。

「どっちに行った?」
「わからねぇよ!」
「くそ! 逃げ足ばかり速い奴だぜ」

 ……だから誰のせいだ。毎度の悪態を藤は内心でつく。

「サーチを使え、サーチを!」

 きゃんきゃんとマイクが叫んだ。サーチ――まずい、藤は内心で思う。

「でも校舎内でサーチは無理なんじゃ――」

 気弱そうな声。この声は二つ前の席に座るラルフだ。
 ラルフの言葉を聞いて藤は安堵のため息を口の中でかみ殺した。
 確かにそうだ。校舎内ではさっきも言った通り、儀式呪文が効いていてサーチなどの他人に作用する魔法は、上級クラスや高等部の生徒ならともかく、初級クラスの魔法習いたての奴らには使えない。使えないはずだ。

「やってみなけりゃわからねぇだろ!」

 マイクが怒鳴る。
 それはどう考えても乱心しているとしか思えない言葉だった。
 が、すぐに、続くマイクの言葉に藤の意識は奪われた。

「あいつはいつも体操服をバックに入れて持ってるはずだろう!」

 体操服?何の関係があるのだか、藤は眉をひそめた。
 藤は側に置いておいたバッグを取り、マイクが言ったとおり常に入れてある体操服を取り出そうとした。

「サーチ」

 ラルフが魔法を唱えたようだ。すぐにマイクが聞く。

「どうだ?」
「あ、出た出た」

 なに?ラルフの嬉しそうな声はもちろん藤の耳にまで届いていた。

「どっちだ?」

(……やべ)藤は慌ててバッグの口を閉じて肩に背負うと教室を飛び出した。

「えっと……向こう」

 そう言ったラルフが、ちょうど教室から飛び出てきた藤を指差していた。
 固まってるかたまってる。藤は、ぽかんとするマイク達を尻目に、背中を見せると走り出した。

「待ちやがれ!」はっと気づいたマイクが反射的にマヌケなことを叫ぶ。

 誰が待つかってんだ、藤は頭の中で舌を突き出した。
 階段についた。今度は上へ。藤は一段目に足をかけると膝を折り、身体を沈め、

「フロー」

 身体が軽くなる――ジャンプ。普通では考えられない一メートルを越す跳躍。
 十五段の階段を十一段抜きして登り、手すりに手をかけて、まるでガードレールを飛び越えるかのようにふわりと乗り越える。見事な着地、十点満点。
 それをもう1回。見事な着地、じゅって――

「わっ!」

 いきなり驚いたような悲鳴が上がった。

「おわっ」

 藤も驚いて、思わず声から離れようと仰け反り――すぐに階段であることを思い出し、宙を泳ぐように腕を振り回した。
 腹筋に火事場のバカ力を注ぎ込み、なんとか堪える。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 堪えた反作用で藤は前のめりにうな垂れると荒い息をついた。
 危うく背中から落っこちるところだった。
 そうなったら後頭部をしたたかに打ちつけて最悪死亡。想像しただけでぞっとさせられる。
 実際になってたらぞっとすることもできない。

「藤くん!」

 藤が前のめりにうな垂れ、荒い息をついて、ぞっとしていると怒った声で脳天を叩かれた。
 聞き覚えのありすぎる声に藤は顔をもち上げると、目の前には凛がいた。
 よく一緒にいる女子二人と、頬を膨らませ少し怒った顔をした凛が確かにそこにいた。

「あ。……凛」

 藤は言葉を思い出したように自然と口にする。凛の眉がきりっとあがった。が、母親かお姉さんが子供を叱る時のような、もう!って感じの顔をしてたのであまり怖くない。
 藤がそんなことを考えてると凛は言った。

「あ、じゃないでしょっ! 危ないでしょう?」
「う、うん。ごめん」

 と、謝りつつも、頭の中では追っ手との距離を時間換算して、現在の猶予を測っている。
 多く見積もっても三十秒程……サーチを計算に入れると二十秒も危ないかもしれない。
 凛が何かを言っている。が、藤はほとんど聞いていない。意識は階段の下に8、凛にはたった2だ。
 だけど凛はかまわずに喋っている。藤は聞くふりが上手かった。

「……だよ」

 凛の話が終わったらしい。微かに向けられた意識がそれを理解する。
 残り十二秒。余裕だ。
 藤は意識を逆転させると凛に頷いて見せた。凛がにこりと笑う。
 藤は反射的に笑顔を返して、じゃあと手を上げた。

「あ、そうだ」

 凛の横を通り過ぎてすぐに凛が思い出したように言った。藤は足を止めて顔だけ振り返る。

「なに?」

 藤が聞くと凛はじっと藤を見つめ、
「今日の約束忘れてないよね?」と探るような目つきで問うてくる。
 藤はおかしそうに笑った。

「当たり前だよ。三日前から何度も言われてたし」
「うんうん」とわざわざ口にしながら凛は笑顔を浮かべて二度頷く。
 藤はもう一度笑い、それから訊ねた。

「それでお昼ごはんどうする?」

 凛は「んー」と唸りながら一頻り考えたあと、にこりと笑って答えた。

「学校で食べてこ。少しは安いし」
「うん。わかった。じゃあ昼のあと、いつもの場所で」

 藤はすでに足を動かし始めながら、こくっと頷いて早口に言った。
 下からマイクの甲高い声が聞こえてきた。現在二十二秒。

「うん。がんばってね」

 最後に凛が邪気のない笑顔が向けられる。
 藤はもうほとんど無意識といった感じで笑みを返すと逃走を再開した。
 背中で凛が友達からからかわれているのが聞こえた。


 ■■■
 三ノ月 真夜中の月⑤


 そして昼――
 学校が一日ある日の昼休みと違って悠々パンを買うことができた藤は西校舎の屋上であいかわらず寂しい昼食を取っていた。
 苦味がまったくない、チョコレートジュースのようなパックのコーヒー牛乳を吸う。
 元々コーヒーは好きだったけど、こういうコーヒー牛乳の方は普段からあまり飲もうとは思わない飲み物だった。
 でも、最近やたらと喉が渇いて、やたらと糖分が欲しくなる時がある。そんなときに飲むと驚くほどおいしく感じた。これもずっと走り回っているせいだろう。

 ……なんだか悲しくなる。
 いつも走り回っている自分に。
 一人でパンをかじっている自分に。
 誰も笑いかけてくれない自分に。
 独りになるといつもそんなことを考えている自分に。

 無性に凛の顔が見たくなった。
 今、自分に笑いかけてくれるのは凛だけだ。凛の笑顔なら目を閉じれば思い浮かべることができる。
 凛は藤の孤独を支えているただ一つの救いだった。
 手を差し伸べれば返してくれる手。
 顔を向ければ返してくれる笑顔。
 少し前ならば当たり前のように自分の前にあったものが今はたった一つしかない。藤は今そう思う。

 藤はたったひと月で急速に孤独に包まれていた。
 しかたのないことだ。同じ時間をすごす仲間である人たちが、みな敵であるのだから。
 藤はもそもそとパンを食べ、コーヒー牛乳をすする。
 空が青いことがなんだかひどく嫌なことであると感じた。前ならば空が青いだけで嬉しい気持ちになった気がするのに。

「なんで楽しいって思ったんだろう」

 藤はぽつりと呟く。青空を見上げ、呟く。
 青空が楽しい意味がわからない。
 そのことがなんだかひどく悲しいことである気がして藤は青空から逃げた。目をそらした。どこまでも続く青空が見えないようにじっと下を向いていた。

 呆っとする。
 すぐに屋上のドアがひらく音がして我に帰った。
 思わず腰をあげ、膝を立てる。獲物を狙う猫のようにじっとドアの方を睨み、動きを見ていた。

「本当にここにいるのかよ?」

 ――マイクの声!

「上級クラスの人、いないだろうな?」

 藤はどうするか迷った。出入り口はそこにしかない。逃げ場などなかった。
 そうこう考えてるうちに男子の一人が顔を出した。藤は走り出していた。

「いたっ!」

 そいつがそう叫ぶのと藤が陰から飛び出したのは同時だった。それとほぼ同時に藤は自分の失態を気づいた。

(体操服!)――忘れていた。

 もはや藤は袋のねずみだった。
 マイク達がぞろぞろとドアから吐き出されてくる。
 どう考えても全員を出し抜いて逃げ出せるはずはなかった。
 その通り、マイク達は連携して藤を追いつめていく。囲むようにしてマイク達はその輪を狭めていった。ドアは二人が護っていた。
 ついには藤は屋上の淵へと追いつめられていた。
 前に並ぶマイク達。ここ数週間ぶりに藤を追いつめた喜びに笑みを浮かべている。お前らみんな嫌いだ。

「へっへっへ。もう逃げ場はないぜ?」

 マイクが女みたいな声で言う。藤は何も答えない。

 ――こうなったら予てよりの案を実行に移すときが来たか。

 藤はぎりっと奥歯をかみ締めつつ思う。
 正直言ってこれだけはやりたくはなかった。あまりにも危険だからだ。
 だけど今の自分にならできるはずだった。

 マイク達は一気にかかっては来ない。久しぶりの勝利の余韻に浸っているのだろう。
 ……それが敗北に変わることも知らず。
 藤は口の中で呪文を唱えながら最後の一歩を下がり、屋上の淵に立つ。

 そして、ひょい、と淵の向こうへ一歩跳んだ。
 その足元には、もちろん地面などありはしなかった。

 落下。落ちる瞬間、マイク達がぎょっとしたのを見た。
 さすがに屋上から飛び降りるのは藤も初めてだ。この学校に来る前は屋上から飛び降りることなど考えたこともなかった。
 落下。4階、3階。五メートルほどの落下加速度は階段のときとは比べ物にならないほどあがっていく。
 あげたい悲鳴を必死で我慢して、タイミングを計って、

「フロー」

 身体が軽くなる。が、上がった落下速度はそう簡単には落ちない。
 それでも身体が3階を通り過ぎ、2階の前まで落ちる頃にはその速度もずいぶんとゆるやかになり、藤は易々と通路兼ベランダの手すりに手をかけた。

 上を見るとぎょっとしたまま顔が固まってしまっているマイクらのまぬけ面が電線のスズメのように並んでいる。
 今の気持ちをごまかすように藤はしたり顔でそれらを見上げた。
 それから壁を蹴って、まるで体操選手が鉄棒をするようにくるりと回り、軽快にベランダに降り立つ。十点満点。

 すぐに藤は疲れきったかのように膝をついた。
 したり顔は泡のように消えて強張りが浮かんでいる。ふう、と思い切り、安堵のため息をついた。

 何とかうまくいった。失敗したらまず確実に骨は折れただろう。
 それくらいならまだよかったけど、死ぬ可能性もたぶんあったに違いない。
 藤はもう一度息をつく。
 すぐに凛のことを思い出すと立ち上がって玄関へと向かった。


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