予備心装士の復讐譚 ~我が行くは修羅と恩讐の彼方なりて~
第2章5話「それは、義などではなく」
その光景に、周囲の人間は凍り付いた。
工藤俊也。崇村家長女、崇村菫の従者にして槍術使いとして名高い若き武人。崇村家の分家の中でも武勇に優れている事で有名であった。特に彼は、入学以前にも迷宮探索の実績を有している。
それほどの実力と実績を有する相手に、特にこれと言った実績を有しているわけではない、今年入学して本格的に心装士を目指そうとする少女相手に、強烈なビンタを食らった。
「……八重垣?」
崇村柊也は自分の目の前で起きた状況が信じられなかった。
あの大人しく、優しい彼女が工藤を明確な怒りでその顔にビンタを入れた事に。
何故そうしたのかわからない。何故そのような行動に出たのかが理解が出来ない。頭の中が混乱してくる。
気胸中の中に渦巻いていた苦痛が、いつの間にか無くなっていることに気づかないほどに。
「……あら」
そうした状況で一人、原科綾斗だけはふっと笑みを浮かべた。
「ま、マジでか……」
牛嶋は、絶句してそんな事を発した。
「貴様、一体何を―――――――うっ!?」
工藤はハッとなって何かを言おうとしたが、今度は逆の頬をビンタされた。再び、周囲に乾いた音が響き渡る。
「いい加減にしてください」
八重垣が強い口調で口を開いた。
表情は変わらず、怒りを見せていた。真っすぐにただ工藤のみを見据えていた。
「な、何を」
工藤はわけがわからず、混乱していた。
恐らく、今までこのような事をされたことがなかったからだろう。誰かに、自分に対して明確な怒りと敵意を表すように、殴打などをしてきたことがなかったから。
実績を有しているという自負。己が周囲に認められるほどの確かな実力を有しているという誇り。そして――――――十二師家・関東六家の一つである崇村家の分家筋にして従者であること。それが、自分が「他者に明確な怒りを向けられて叩かれる」という現在の状況を理解出来ない要因であった。
「さっきから聞いていれば、貴方は何なのですか。急にいきなり人様を襲撃をしてきたかと思えば、人殺しと言って罵倒して晒し者にするって、何がしたいのですか?」
強い口調で、八重垣は工藤に言った。
「おい、アイツ。工藤を叩いたぞ……!」
「ヤベエよ……!」
案の定、野次馬たちが騒ぎ出した。
「……貴様、今自分が何をしているのか、わかっているのか?」
冷静さを取り戻した工藤は、八重垣に対してすごむように言った。常人なら、彼の形相と背景に恐ろしくて物も言えなくなるだろう。
「はい、わかっています。まず私の質問に答えてください。何がしたいのですか?」
しかし、それをものともせず、八重垣は言った。
「わからないのか。俺は仇を討つためにその男を殺そうとしただけだ。その男は、我ら崇村家の恥だ。生きていることが罪だ。俺たちを裏切った男だ。万死に値するヤツだ。それを、部外者である貴様が邪魔する謂れはない!」
そう言う工藤の表情は怒りと憎しみに満ちている。
工藤は確かに殺意を以て槍で柊也を殺そうとしていた。仮にあのまま柊也が避けなかったら、間違いなく槍は柊也を串刺しにしていただろう。
「8年前の事件の犯人だったこの男はその時に死んでいた。妹の由香は、あの事件で半身不随になって動けなくなった。共に魔術を学んでいた仲間たちは焼け死んだ。なのに!死んでいたはずのこの男が生きて、今更出てきていいものか!
「だから、彼を殺そうとしたって事ですか」
「無論だ!殺した人たちの無念を忘れて、この学園に来るなんて、許せるわけがあるか!」
手に持っている槍が、今にも動きそうなほどに殺意を高め、怒りを露わにし続ける工藤。
ここにいる野次馬たちは、当然ながら崇村家の事情なんて知らない。彼の言う「胡蝶荘事件」の事も、名前でしか知らない事柄だ。
目の前で工藤俊也が崇村柊也を執拗に責めている状況をただ“見ているだけ”。
普通の人間の心理であれば、これまでに謎に満ちていた事件の真犯人が現れたりすれば、誰だって知りたくなるだろう。彼らはあくまで第三者であり、今こうして集まっている野次馬の中には、少なくとも十二師家の関係者は少ない。むしろ積極的に関わろうとしない。
単純に、巻き込まれたくないからという理由からだが。
「そうですか。貴方の言いたいことはわかりましたが、貴方は勘違いをしています」
八重垣は一歩も引かず、まだ工藤を前にして言う。
「崇村さんは、絶対にその事件の事を忘れているわけがない。その事、わたしはよく知っています」
「……!?」
その言葉に、一番驚愕の表情を浮かべたのは、柊也だった。
何故なら柊也は一度も彼女に教えた事がなかったからだ。
「……嘘をつくな。ヤツは、忘れているに決まっている。忘れていなければ、ヤツはここに来ない!ここに来れるほどの無神経さは、忘れていなければ来るワケがない!」
八重垣の言葉を切り捨てた。
彼らにすれば、そんなことを信じられるわけがないだろう。彼だけではなく、後ろに未だに控えている取り巻き二人も同じだ。
しかし、八重垣は確信していた。これ以上ないほどに。
輝夜との実技試験の時まで、自分の名前を一部の人にしか明かさなかったこと。何故そうしないといけなかったのかを、彼女はわかった。わかってしまった。
それを知る手段が、彼女にはあったのだ。
「わたしが修めている魔術は、神通力です」
「な、何……?」
八重垣の言った言葉に、工藤はここで初めて動揺した。
「そして、わたしが使うことが出来る神通力は二つ。神足通、他心通です」
「な……!」
その内容に、工藤は驚きの表情を浮かべた。
神通力。正確に言うと、六神通と言い、神仏が持っているとされている、魔術というより霊能力の一つに分類されるもの。
神足通は自由自在に自分の思う場所、姿で移動することが出来ると言われている力で、極めることが出来た者は、壁のすり抜け、水上歩行、飛行が出来るという。
そして、他心通は人の心の全てを読み取ることが出来る力だ。この力を極めた者は、人の深層心理まで読み取ることができ、解明し、知ることが出来るという。
「六神通……?まさか、それでオレの心を……?」
他心通で自分の心を読まれていたなんて想像もしなかった柊也は、激しく動揺していた。
今現在に至るまで、一度だって他人に心を見せたことがなかった彼にとって、自分の心を知られることは絶対に避けていたことだった。自分の目的を果たすために、誰にも心を知られることなく、やがて復讐を果たすまで、心を明かさないと誓っていた。
なのに、まさか神通力を使うことが出来るとは思わなかっただろう。柊也は、自分でもよくわからない感情が、心の中で渦巻いていた。
「わたしの他心通は断片的なものしかよくわかりませんが、貴方のように人をいきなり殺しにかかるような人は非常にわかりやすいのです。貴方、初めから崇村さんの事――――――――」
「そうか。貴様は、この俺にケンカを売っているという事なのだな」
「!」
八重垣が言おうとした時、工藤は更に凄まじい表情で言った。その表情に、周囲は少し固まる。
「俺に一発平手打ちした挙句、それどころか侮辱までするとはな。良い度胸をしている……」
「……」
威圧感を放つ工藤を静観する原科。
生徒会風紀委員である彼なら、もし工藤が何か行動を起こせば力づくでも取り押さえることが出来るであろう。それに、徐々に工藤からは柊也と、八重垣に対して再び殺意を滲ませていた。このまま放置しておけば、殺し合いにすらなりかねない。
だが――――――――――。
「八重垣と言ったな。貴様、俺と決闘しろ」
「え?」
「!?」
彼の口から出てきたのは、「決闘」の二文字だった。八重垣はよくわからないと言った表情でキョとんとし、柊也は驚愕の表情を浮かべた。
「あら。工藤君、決闘を申し込むのかしら?それ、どうかしたら結構問題になるって知っているはずだけど、いいの?」
忠告をするように、原科は言った。
その表情は先ほどの飄々としたような、軽いものではなく真剣な表情であった。それを見て、「決闘」という行為が何を意味するものなのかを理解していない者はいない。
「無論。この女が俺に対する侮辱行為を改める気配を全く感じられなかったからだ」
「そう?でも、筋が違う気がするわ。決闘を申し込むなら、彼女じゃなくてそこの崇村君にするべきじゃない?貴方の事情は一応知らないけど、アタシとしてはオススメしないわねぇ」
「関係ない。俺はあくまでケジメをつけるだけだ。それに、俺に対してそのような口を聞かない方がいいぞ」
「……どういう意味なのかしら?」
その誰がどう考えても「脅迫」とも取れる言い方に、原科は眉間に皺を寄せる。
「言わなければわからないのか?貴様が生徒会の役職に就くことが出来ている理由を考えれば、理解できるはずだが?」
「……わかったわ。これ以上の干渉はしないわ」
苦虫を噛み潰したような表情をすると、彼は引き下がった。
「……下衆野郎が」
その状況に、柊也は歯ぎしりをしつつ言った。腸が煮えくり返るような怒りがわいてくるが、今ここで行動を起こしても周囲の野次馬のせいでどうなるかわかったものじゃない。
生徒会で尚且つ風紀委員である原科が干渉をやめるような秘密を工藤、いや崇村家に握られているのではないかと柊也は感じた。そうでなければ、生徒会相手に工藤が大きな態度で出られるわけがない。
仮にそれが本当だとすれば、恐らく崇村家の権力は学園内にまで及んでいる可能性がある。原科が十二師家の関係者であるかどうかはわからないが、少なくとも柊也には原科の苗字が崇村家に連ねていないことぐらいは知っている。
「貴方……!」
工藤のその態度に、八重垣も怒りを見せた。
「何を怒る必要がある。貴様が蒔いた種だ。ここで逃げるような真似をすればどうなるか、わかっているな?だが、土下座して謝れば許してやっても構わんがな」
原科への態度と同じように、工藤は脅迫染みたことを言った。
普通の人間であれば、この場で土下座して謝罪をしていたのかもしれない。相手は十二師家次期当主の従者、それに分家筋とは言え、その名に相応しい実績を有する者だ。完全実力主義がものを言う心装士の世界において、そんな相手に逆らうということは実害を負うか、社会的に抹殺されるかのどちらかでしかない。
八重垣はまだ入学したばかりで、入学以前にこれと言った実績を有しているわけではない。心装士としての実力を身に着けるのもこれからという時期だ。それなのに、真っ向から反抗するという暴挙に出た。周囲の野次馬たちは彼女はすぐに頭を下げるだろうとも考えていた。
しかし―――――――。
「お断りします。貴方に下げる頭は、わたしの首にはついていませんから」
ハッキリと。彼女は、拒否した。
「……何?」
それに、工藤は呆れ半分、怒り半分で呟いた。
更に―――――――。
「決闘をご所望なのですよね?いいでしょう。受けて立ちます」
睨みつけるように。自らの戦意を示すように。
自らより実力者である相手に対して、明確に宣戦布告をしたのだ。
「……!!」
その姿に、一番驚愕したのは柊也だった。
明らかに自分より実力が上であることがわかっているのに、そしてこの問題が、自分が原因で起きていることなのに。
それでも目の前の相手に対して、強く反抗的に歯向かった。
……その姿勢が、あまりにも勇ましくて、罪悪感に蝕まれるような気持ちだった。
「そうか……。いいだろう。なら放課後に来い。俺に逆らったことを後悔させてやる。……崇村柊也」
工藤は柊也に向き直った。
「貴様だけはいずれ絶対に殺す。何があってもな!」
捨て台詞を吐き捨て、去っていった。
「……やれるものならやってみろ。出来るならな」
その後ろ姿に、今出来るだけの精一杯の憎しみを以て呟いた。
あれほど集まっていた野次馬たちは、柊也たちのやり取りが終わった後、各々の目的のために散っていった。
「崇村さん、大丈夫ですか?」
八重垣が、柊也に寄ってきて言った。その表情は、先程の決闘を受ける時の勇ましい表情とは打って変わって、心配そうな表情だった。
「あ、いや。オレは大丈夫だが、本当にいいのか!?アイツは、オレがこの手で倒さないといけない相手だったんだぞ!」
柊也は焦燥とした表情で言った。
柊也には長年の修行で相手の力量差を量ることぐらい出来る。工藤が槍術においては右に出るものはほとんどいない事もわかるし、八重垣がそこまで高い実力を有しているわけではないこともわかる。
無謀と言いようがない挑戦だ。八重垣では工藤には勝てないと。
「いいのです。これは、わたしの意地でもありますので」
「そういう問題じゃない。もし、お前がアイツに負けたりなんてしてしまえば、どんな目に遭うかわかったものじゃないぞ」
「……」
その言葉に、八重垣は黙り込んだ。
しかし、彼女はすぐに口を開いた。
「確かに、仮に決闘に負けるなんて事になれば、どうなるかわからないかもしれません。恐ろしい事になる事だってありえるでしょう。……下手をすれば、学園にいられなくなるかもしれません」
「なら……」
そう。相手は、崇村家の関係者だ。
基本的に、関東六家の中でも過激とも言える崇村家は、工藤のような武闘派の人間となると何をやらかすかわからない。更に言うなら、彼らの「報復」などはどれも饒舌に尽くしがたいと言われている。
それがどういったものなのか、どれほど恐ろしいものなのか、彼は身をもって知っている。
「だけど、わたしはあのような人は嫌いなんです。人を力で抑えつけたり、傷つけるような事を人前で平然と言うような人は、昔から嫌いなんです。ただそれだけの事なんです。それに」
「……それに?」
「わたし、崇村さんが悪い人じゃない事は知っていますから。だって、悪い人は人を助けるなんて事はしませんから」
「……!」
そんな彼女の言葉を聞いたのと同時に、柊也は強烈な自己嫌悪と罪悪感に襲われた。
眩暈や吐き気がしそうなほどの、ここから逃げ出したいほどの、凄まじい嫌悪感。いっその事吐いてしまった方が楽になるのかと思うぐらい。
「んんんー!!アナタたち、最高にいいものを聞かせてもらっちゃったわ!!」
突然、原科が感極まったような声を出した。
「は、はい?」
それに驚いて、柊也と八重垣は原科の方に振り向く。
「気に入ったわ!アナタたち、ちょっとアタシについてきなさい!イイ所を紹介してあげるわ!ほら、アナタもコッチ来なさい!」
「え、俺もー!?」
そう言うと、原科とハイテンションなまま柊也と八重垣の背中を押し、そしてついでに完全に蚊帳の外状態だった牛嶋の手を強引に引っ張り、そのままどこかへと連れて行くのだった。
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