転生侍女は完全無欠のばあやを目指す

ロゼーナ

最終話 ぼくのばあや

「ぼっちゃま、もうすぐロータス先生がいらっしゃるお時間ですのに、どうしてこちらに?」


 王族専用の隠し通路を使って裏庭にこっそり出てきたぼくは、ギクりとして後ろを振り向いた。そこにはにっこりと優しい顔で微笑むばあやがいた。


 ロータス先生は、今年から週に三回来るようになったぼくの家庭教師だ。ロータス先生のお父様は王立学院の学院長で、若い頃にはおじいさまやおばあさまの先生だった方だと聞いた。


「…ごめんなさい、ばあや」


 授業から逃げたことはもうバレているみたいなので、ぼくは素直に謝った。こういうときに言い訳をしたらさらに怒られるって、お兄さまとヘンリーが言ってたから。


「私は怒ったんじゃありませんよ。どうしてこちらにいらっしゃったのか、理由を聞いているんです。ロータス先生は怖いですか?」


「ううん、こわくないよ。やさしいよ」


「では、先生はぼっちゃまに厳しいですか?」


「うーんと、まちがえたらちゃんとできるようになるまで何回も問題を出すことはあるけど、きびしくはないよ」


「ぼっちゃまはロータス先生がお嫌いではないのですね?」


「うん、先生はすきだよ」


「では、どうして裏庭にいらっしゃったんですか?授業が嫌だったのですか?」


「…ちがう。べんきょうは大事だってお父さまもおっしゃってたし、じゅぎょうもいやじゃない」


「では、どうして?」


「……」


 ばあやのこの質問には答えたくなくて、ぼくは困ってしまう。


「ぼっちゃま。ばあやが誰の味方かご存知ですか?」


「…ぼくの」


「ええ、そうですよ」


 ばあやはぼくがもっと小さかった頃から、いつも言っていた。ばあやはぼくの味方なんだって。ばあやはお兄さまの味方でもあるけど、ぼくとお兄さまがケンカしたときは、いつもぼくの話をちゃんと聞いてくれた。
 それに、ばあやはとっても強いんだ。若い頃には近衛騎士団の団長も剣で倒しちゃったんだって。そんな強いばあやが味方なら、ぼくには怖いものなんてない。


 ばあやは強いし、たまに厳しいときもあるけど、いつも花の良い香りがする。裏庭にたくさん咲いている、青紫の百合と同じ香り。ぼくはこの香りが大好きだから、ばあやのそばにいるとなんだか安心するんだ。


「だからね、ぼっちゃま。ばあやはどうしてぼっちゃまが困っているのか知りたいんです。ぼっちゃまが授業に出たくないなら、ぼっちゃまがどうしたら楽しく授業を受けられるのか、一緒に考えたいんですよ。怒っているわけじゃありません。お話してくださいませんか?」


 ぼくが頷くと、ばあやは裏庭の四阿あずまやへ僕を連れていった。


「…!しふぉんけーきだ!」


 そこには、ぼくの大好きな「しふぉんけーき」が用意されていた。この国では、おばあさまとばあやしか作れない、ふわふわのケーキだ。あまりにもおいしいから、作り方を教えてほしいという人はたくさんいたけれど、おじい様とじいやが、どうしても他の人にはあげたくないからと言って断ったんだって。だから、王宮でしか食べられない、伝説のケーキなんだって。


 じいやというのは、ばあやのだんなさんのヘクターのことだ。みんなはふたりのことを名前で呼ぶから、ぼくも一度だけ、ばあやのことを「ターニャ」って呼んだみたことがある。ばあやは笑顔だったけれど、なんだか淋しそうな顔にも見えた。


 そのあとで、じいやにこっそり声をかけられた。


「ぼっちゃま。妻はぼっちゃまに“ばあや”と呼ばれるのがとても好きなんです。他の人はみんな“ターニャ”と呼ぶけれど、ぼっちゃまだけは特別なんですよ。だから、良かったらこれからも“ばあや”と呼んであげてください」


 ついでに自分のことも、これからも“じいや”と呼んでほしいと言われた。ぼくはばあやもじいやも大好きだから、ふたりが喜ぶなら、これからもそう呼ぼうと決めた。それに、ぼくだけ特別というのが、なんだか嬉しかったんだ。


 次の日、いつもどおり「ばあや!」って呼んだら、ばあやはにっこり笑ってすごく嬉しそうだった。そんなばあやを見て、ぼくも嬉しくなった。だから、ぼくは大きくなっても、ずっとばあやって呼ぶんだ。




 ケーキと一緒にばあやが淹れてくれた紅茶は、ぼくの好みにあわせてミルクたっぷりで、お砂糖もひとつ入っている。お母さまには甘い飲み物はダメだと言われているけれど、ばあやだけはいつもこっそり、ぼくのカップにお砂糖を入れてくれるから、ぼくはばあやの紅茶が大好きだ。


 おいしいケーキと紅茶で幸せな気持ちになっていると、ばあやが話しかけてきた。


「それで、ぼっちゃまは今日はどうされたんですか?ばあやに話してくださいますか?」


 ばあやは優しい顔をしていて、本当に怒っていないみたいだ。だからぼくは正直に話した。


「あのね、ぼく、としょ室で本を読んでいて気づいたの。物語に出てくる王さまは、みんな元は第一王子なんだって。第二王子はいらないんじゃないかって。お兄さまのことは、みんな“しょうらいゆうしゅうな王さまになる”って言ってるでしょ?だから、ぼくはいらない王子なのかなって思ったの…。そうなら、べんきょうしてもいみがないし、せっかく教えてくれるロータス先生にもわるいなあって思って…」


 ばあやは驚いた顔をした。


「まあ、ぼっちゃま!そんなことあるはずがございません。国によっては第二王子が国王になることもありますし、そうじゃなくても、第二王子や第三王子で立派になって、国のためにたくさんの素晴らしい働きをしている方はたくさんいらっしゃいますよ」


「…ほんと?」


「ええ、本当ですよ。ばあやがぼっちゃまに嘘をついたことがありますか?」


「ううん、ない」


 ばあやは必ず約束を守ってくれるし、ぼくに嘘をついたり、いじわるしたりなんてしない。だから、ばあやがそう言うなら、本当にそうなのかもしれないと思う。


「そうですね、例があった方が分かりやすいでしょう。ぼっちゃまは、叔父上のブレン様とクリフ様を覚えていらっしゃいますか?」


「うん。もっとぼくがちっちゃかったとき、お会いしたことがあるよ」


「まだお小さい頃でしたのに、よく覚えていらっしゃいましたね。さすがぼっちゃまです。ブレン様とクリフ様は、お父上の弟君なのですよ。つまり元々はお父上が第一王子で、ブレン様が第二王子、クリフ様は第三王子でした」


「そうなの?」


「はい。ぼっちゃまが四歳の頃にお父上が国王陛下に即位されて、弟君は公爵となられたので、ご存知なくても仕方ないかもしれませんね」


「ブレンおじさまとクリフおじさまが、第二王子と第三王子…」


 ぼくは知らなかったので驚いた。


 ブレンおじさまは遠い国へお出かけのことが多いし、クリフおじさまはリリーヴァレー王国の北のいちばん遠い領地にいらっしゃると、お父さまとお母さまがおっしゃっていた。だから、ぼくが最後にお会いしたのは二年くらい前だと思う。そういえば、小さな頃はもっとよくお会いしていた気がするし、お話上手なブレンおじさまと、優しいクリフおじさまのことが、ぼくは好きだった。


「はい。おふたりは今は公爵となって独立されましたが、王子だった頃もたくさん勉強されて、国のためになることをいつも考えていらっしゃいました。今は遠い場所にいらっしゃいますが、お父上とは手紙で連絡を取り合っていて、困ったときにはいつも力を貸してくださっているのですよ。第二・第三王子でいらしたブレン様とクリフ様が必要ないなんて言う人は、この国にはおりません。王子とは、そういうものなのですよ」


 ばあやの話を聞いて、ぼくもおじさまたちのように立派にならないといけないと思った。


「わかった。じゃあぼくもたくさんべんきょうして、お父さまやお兄さまのお手伝いができるようにならないといけないんだね」


「ええ、そうですね。でも、王子に生まれたからといって、必ず国のためだけに働かなければいけないわけではないのですよ。自分のために生きることだって大切なんです」


「?」


 ぼくはよく分からなかったので、首をかしげてしまう。


「ブレン様は子どもの頃から音楽の才がおありで、ヴァイオリンがお得意だったのです。だから将来は国の仕事をするのではなく、音楽家として世界中を演奏しながら旅をしたいのだと、いつもおっしゃっていました。よく授業から抜け出してしまう方で、ばあやたちは大変な思いをしたものです。それでも、いつもどこかでヴァイオリンを弾いていらっしゃるので、逃げ出してもすぐに見つかってしまうんですけどね」


 ばあやはブレンおじさまのことを思い出して、楽しそうに笑った。ぼくと同じように授業を抜け出してしまう王子さまだったんだと思うと、なんだかぼくに味方ができたみたいで嬉しい。


「勉強が得意な方がいれば、楽器が得意な方もいます。ブレン様は、本当は賢くてやればできる方でしたが、勉強よりも音楽の方がお好きでした。だから私たちも、ブレン様にはそのまま伸び伸びと音楽の才能を伸ばしていただこうと考えました。そうして成長されるうちに、ブレン様は自分の好きな音楽を通じて、他の国の方と交流したり、人脈を広げたりすることができると気づかれたのです。だから今も、ブレン様は演奏旅行をしながら、これまで付き合いのなかった国とリリーヴァレーを結んだり、リリーヴァレーの音楽や文化を他の国へ広めるお仕事をされているのですよ」


「そうだったんだ…!ブレンおじさま、かっこいいね!」


「ふふ、そうでしょう?それから、クリフ様は昔から優秀でしたが物静かな方で、お客様とお会いしたり、たくさんの方とお話することは苦手とされていました。その分、ご兄弟の中ではいちばん剣術がお得意でたくましく成長され、また、何かを研究することもお好きでした。だから今は、王国のいちばん北側にある領地で、野生動物から作物を守る方法や、新たな水路づくり等、国のためになる研究や実験をされているのですよ」


「へええ、クリフおじさまもすごいんだね!」


 ぼくは、ブレンおじさまやクリフおじさまみたいな方法で、国のためになることができるなんて知らなかった。だったら、ぼくにも何かできることがあるのかな。


「ぼっちゃまは、何をするのがお好きですか?」


「うーん。お兄さまは剣がお得意だけど、ぼくはあんまり好きじゃないし…本を読んだり、先生から知らないことをおしえてもらうのは好きかなあ。でも、まだよくわからないかも…」


 ぼくが考えながら答えると、ばあやは優しい焦げ茶色の目でぼくを見ながら、笑って言った。


「そうですね。ということは、ぼっちゃまはこれからたくさんのことをやってみて、何が好きで、何が得意か、どんなことがしたいのか、探していけば良いのですよ。そのためには、まずはこの世界にどんな仕事や学問があるのかを知らなければなりません。勉強が得意な方でも、算術、言語、歴史、魔術、動物や植物、鉱物など、面白いと感じるものは人それぞれです。ぼっちゃまの今のお勉強は、これから好きになることや、面白いものを見つけるための基になるものなんですよ」


「…うん、そっか。わかった!ぼく、がんばっておべんきょうして、好きなものをさがすよ!」


 ぼくは、やっとどうしたら良いのか分かった気がして嬉しくなった。そして、今日はせっかく先生が来てくださったのに、ぼくは大切な授業から逃げてしまって、とても悪いことをしたんだと思った。


「…ロータス先生、おこってるかなあ。つぎのじゅぎょうのときにあやまったら、ゆるしてくれるかなあ…」


 心配になってばあやの顔をのぞき込んだとき、後ろから声がした。さっきまでは誰もいなかったはずなのに。


「ぼっちゃま、ロータス先生は怒ってませんでしたよ。むしろ、いつも真面目なぼっちゃまがいらっしゃらないことを、とても心配していらっしゃいました。今度の授業の日に、じいやと一緒に謝りましょう」


「…!じいや、ほんと?」


「はい、じいやは嘘を付きませんよ。安心してください。さあ、ぼっちゃま、今日はぼっちゃまにお客様が来ましたよ」


「ぼくに、おきゃくさま?」


 じいやが急に現れてぼくはびっくりしたけど、先生が怒っていないと聞いて嬉しくなった。そして、じいやの陰で見えなかったぼくのお客様が、ひょっこりとじいやの背中から顔を出した。


「…でんか、ごきげんよう。急にあそびに来てしまいましたが、ごめいわくではないでしょうか…?」


「トニア!」


 ぼくは思わずトニアに駆け寄った。トニアはお兄さまの従者ヘンリーの妹で、じいやとばあやの孫だ。ぼくより一つ年下のトニアは、とっても可愛らしくて、ぼくのいちばん大切な女の子だ。


「トニアが来てくれるのに、めいわくなんてことぜったいにないよ!あっちのブランコで遊ぼう!」


「はいっ、でんか!」


 にっこりと嬉しそうに笑うトニアは、やっぱり今日も可愛い。ぼくはトニアの手を引いて、ブランコに向かって走り出した。




 ∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴


 ぼっちゃまとトニアをにっこりと見送ってから、思わず冷ややかな目をヘクターに向ける。ぼっちゃま付きの侍女から、授業前にぼっちゃまの姿が見えなくなったと聞き、私はぼっちゃまを追いかけ、ヘクターには家庭教師のロータス先生へのお詫びを任せていた。しかし、王都の屋敷に住んでいる孫娘のトニアを連れて来るなんて聞いていない。


「ちょっと、ヘクター。トニアが来るのは来週の予定だったでしょう?」


「いやあ、だっていつも真面目なぼっちゃまが生まれて初めて授業をサボるなんて、大変なことだろう?ぼっちゃまとの話はターニャがうまくすると思ったけど、優しいぼっちゃまは自分がサボったことを気にするだろうと思ってね。いちばんの薬を連れて来たんだよ。あのくらいの年頃の男の子は、好きな女の子がいれば機嫌も直るし、次からちゃんと頑張ろうと思えるものだからね」


 そう言いながら、ヘクターは慣れた手つきで二人分の紅茶を淹れ、私の前にもカップを置く。私の好みを知り尽くした彼の淹れる紅茶は最高においしいので、怒ろうと思った気が抜けて、ついついカップに手が伸びる。


「…ありがとう。おいしい」


「ふふ、どういたしまして。それにしてもターニャもひどいよ。ぼく以外の男とふたりきりでティータイムなんてさ」


 ヘクターは拗ねたような声で言う。孫がすでに五人もいるというのに、未だに七歳のぼっちゃま相手にも焼きもちを焼く、困った夫だ。


「それに、オレの夜食用のシフォンケーキまでぼっちゃまに出しちゃうし…」


 ヘクターはさらにいじけてみせる。


「あのくらいの年頃の男の子は、好きな食べ物があれば機嫌も直るし、次からちゃんと頑張ろうと思えるものよ」


 先ほどのヘクターの言葉を引用して返すと、彼も愉快そうに笑った。




 爽やかな風が吹く初夏の裏庭で、互いに年を取った夫とゆっくり紅茶を楽しむ。


 そろそろ引退して、こんな風に余生を楽しむのも悪くないのかもしれない。三年前に譲位され、今は気楽な隠居生活を楽しんでいるアルベール様とリーリエ様からも、王都郊外にある離宮でのんびり暮らさないかと、ずっと声をかけられている。しかし、可愛いぼっちゃま方がもう少し大きくなるまでそばで見守りたい気持ちが強く、返事は待ってもらっている。ヘクターはそんな私の気持ちを尊重し、今も王宮に共に残ってくれているのだ。


 視線の先には、目に入れても痛くないほど可愛いぼっちゃまと孫娘。日々成長していく彼らが、これから何に出会い、何に悩み、何に幸せを見出すのか。やはりもう少しだけ、近くで見ていたいと思う。




 それでも、穏やかな毎日の中で、時折ふと考えてしまうのだ。


 今はだいぶ記憶も薄れてしまった前の「私」と、幼き日の私が憧れた「なんでもできるばあや」に、私はなれただろうか、と。




「…まったく、ターニャは本当に完璧なばあやだよ」


 思考を読まれていたのかと思うほど絶妙なタイミングで、ヘクターが言った。私は黙って微笑みを返す。


 嬉しい言葉をくれた最愛の夫には、いじわるせずに夜食にシフォンケーキを出してあげよう。ぼっちゃまに出したものとは別に、ちゃんと彼の好きなチョコレートのかかったシフォンケーキも作ってあるのだ。


 ヘクターにそれを告げようと思ったところで、ぼっちゃまとトニアが手を繋いだまま同時に転んだのが見えた。ぼっちゃまはトニアを咄嗟にかばおうとしたため、変な体勢で転んでしまい、涙を必死でこらえている。柔らかい芝生の上なので、ふたりともケガはしていないと思うが、びっくりしてしまったのだろう。そんなぼっちゃまを見て、トニアも今にも泣き出しそうだ。


「さあ、お仕事よ」


 声をかける前から、隣にいたヘクターも立ち上がっていた。


 可愛いぼっちゃまと孫娘に、涙が出そうなときの魔法の言葉をかけるべく、ばあやの私は駆け出した。





「転生侍女は完全無欠のばあやを目指す」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「恋愛」の人気作品

コメント

コメントを書く