転生侍女は完全無欠のばあやを目指す

ロゼーナ

第二十三話 三年目:後夜祭後、中庭にて

 学院祭の長い一日を終え、リーリエ様の就寝を確認し、私は夜の散歩に出かけた。いろんなことが一気に起こりすぎた今日は、とても眠れそうにないからだ。


 十歳のときに前の「私」の記憶を得て、自分が乙女ゲーム『月と太陽のリリー』のサポートキャラであることに気付いてから、私が目指してきた大団円エンドへの道筋がついに整ったのだ。興奮しないはずがなかった。


 ゲーム通りであれば、ピヴォワンヌ様は悪役令嬢として君臨し、卒業式後の祝賀会でアルベール様に婚約破棄を言い渡され、断罪される流れとなっていた。しかし、それより八か月も早い今日、ふたりの婚約は円満に解消され、ピヴォワンヌ様もリーリエ様も、心から愛する相手と気持ちを通じ合わせることができた。悲しい結末はもう回避されたのだ。


 結果オーライとは言え、事前に状況説明を一切しなかったために、辛い思いをさせてしまったリーリエ様にはとても申し訳なく思っている。苦しませてしまった分も、これからリーリエ様がアルベール様と共に歩んでいく道が幸せなものとなるよう、私は生涯支えていく覚悟である。




 当てもなくぼんやりと学院の敷地内を歩いていると、いつの間にか中庭に辿り着いていた。後夜祭の舞踏会終了後の中庭。ゲームでは悪役令嬢に王子との仲を見せつけられたヒロインが、叶わぬ恋に静かに涙を流した場所。そこに白百合の花束を抱えた王子が現われ、星空の下ふたりだけで静かにダンスを踊るという、プレイヤー感涙の名シーンを思い出す。


 この世界には、もう悲しみに涙を流すヒロインも、悪役令嬢として断罪される少女も存在しないのだ。いるのは、心身共に美しいふたりの少女で、私の大切なご主人様と友人だ。ゲームとの状況の違いに、ようやく自分の目標が達成されたことを実感し、ずっと強張っていた体から力が抜けていく。


 空に浮かぶ月は、少し前までは秋らしい黄金色に輝いていたと思ったのに、いつのまにか白っぽく輝き、冬の訪れを感じさせる。今日に至るまで陰に日向に慌ただしく動いていたため、季節の変化もすっかり見落としていたらしい。


 中庭のベンチに腰掛け、ぼーっと月を眺めていたところ、少し離れた場所で草を踏む音が聞こえた。瞬時に意識を切り替える。足音はゆっくりとこちらへ近づいてきているが、タイミング悪く月に雲がかかり、相手の顔は見えない。警戒して私が立ち上がったとき、雲から抜けた月が、彼の顔を照らした。よく見知った相手の顔に、私はほっとする。


「…ヘクター」


「こんばんは、ターニャ。月の綺麗な良い夜だね。でも、女の子がひとりで出歩いて良い時間じゃないな」


「男子生徒だって出歩いて良い時間ではないわよ」


 私の切り返しに、ヘクターは笑いながら近づいてくる。とっくに学生寮の門限は過ぎているし、ヘクターも私も、こっそり寮を抜け出しているのは間違いないのだ。


「ターニャも眠れないんだろう?オレも同じだよ。今日はいろんなことがありすぎたし、オレたちはこれまで本当によく頑張ったんだから」


 そう言ってヘクターは、眠れない同士少しお喋りでもしようと提案し、先ほどまで私が座っていたベンチに並んで腰を掛けた。なぜそんな物を持っていたのかは知らないが、彼は「はい、これ」と言って、私に大判のストールを差し出してきた。厚手の上着を羽織ってはいたものの、少し体が冷えてきていたので、ありがたく使わせてもらうことにした。膝にかけると、暖かさと共に、ふわっとヘクターがいつも使っている香水の香りが漂い、妙にドキドキしてしまった。


「ターニャがいるんだったら、乾杯用の酒でも持ってきたら良かったよ」


「私が断酒してることくらい知っているでしょうに」


「ふふ、そうだったね。でも、もうそろそろ飲んでも良いんじゃないかと思ってさ」


 そう、私は入学二日目にリーリエ様泥酔事件が起きて以来、侍女として深く反省し、アルコールの摂取を固辞していた。前の「私」の世界では何か強い願い事を叶えるために酒断ちをするという文化もあったので、無事に大団円エンドを迎えるまでは一滴も飲まないことを誓っていた。
 正しく言えば、ああいうのは好きなものを断つから意味があるのであって、とくに無類の酒好きというわけでもない私には実際あまり意味がないような気はしていたのだが、そもそも願掛けというのは気の持ちようだと思っているので良しとしていた。


 ヘクターは、言ってしまえば私の共犯者だった。第二学年が始まって数か月経ったころ、彼から私に計画を持ち掛けてきたのだ。
 留学生であるナディル様がクラスに加わったことで、人間関係の変化が起きたことは私も感じていた。ナディル様は最初から想いを前面に出していたけれど、ピヴォワンヌ様は当初はうまく躱したりあしらったりしていた。しかし徐々にナディル様からのアピールが積極的になるにつれて、ピヴォワンヌ様も隠してはいるものの、次第にナディル様に惹かれているようだった。そして、これによって将来的にリーリエ様がアルベール様と結ばれる道が見えてきたと私は感じていた。


 そこでどう動くべきか考えていたところ、ヘクターが私に協力を依頼してきたのだ。


「ターニャ、オレと手を組まない?主を幸せにしたいんだろう?」


 私はヘクターにこう答えた。


「私が幸せにしたいのは、主だけじゃなく、主が大切に思っている人すべてよ。あなたと組んだら、それができると思う?」


 質問で返した私に、ヘクターはとても愉快だと言いたげな顔で笑った。


「キミらしいね。良いよ、オレだって主人には負い目なく幸せになってもらいたいんだ。幸せにしよう」


「ええ、それなら良いわ。…よろしく」


「こちらこそよろしく」


 ヘクターが手を差し出してきたので、私も握手に応じた。文字通り彼と手を組んだ瞬間だったと思う。




 それからのおよそ一年間、私たちはずっと陰で動いていた。第二学年の終わりに従者・侍女で秘密会議を開くまでは、とくに表立って何か協力し合ったわけではない。それぞれの目指す道筋を確認し、同じ方向へ誘導するよう個別に動いていただけだ。


 私たちはアルベール様とピヴォワンヌ様が円満に婚約解消できるように根回しを進めると同時に、リーリエ様とジプソフィラ子爵(当時は男爵だったが)の人柄や能力が周囲に認められるよう様々な情報を流した。実際に旦那様もリーリエ様も自分から吹聴しないだけで素晴らしい成績や功績は山ほどあったので、後ろ暗いことは何もなかった。


 その過程で、情報戦に長けているオリアンダー伯爵家のイーサン様とエヴリン様を含め、クラスメイトの従者・侍女にも力を借り、最終的にはナディル様とアルベール様を巻き込み、今日までの計画を進めてきたのであった。




「講堂ではどうなることかと思ったけど、無事に全員がお幸せそうで何よりね。ヘクター、あなたの協力には感謝しているわ」


 掛け値なしの私の本音であった。大団円エンドを目指しつつも、第一学年の一年間は状況を見守ることしかできなかったし、私だけではこれほどまでに上手にいろんな人を巻き込み、力を借りることはできなかったと思う。


 とくに、予定外に留学してきたナディル様に関しては、私には情報が少なすぎて困っていた。そこで元々アルベール様を通してナディル様ともカイとも面識のあったヘクターがうまく接触し、動きをコントロールしてくれた。「ピヴォワンヌ様への愛が強すぎて、暴走しそうなのを抑えるのが大変だ」とよく愚痴をこぼしてはいたが。


 一方で、ピアニー侯爵家と繋がりがあった私は、ピヴォワンヌ様の動向や心情を常に探っていた。ヘクターとしてはアルベール様の婚約者を大っぴらに探ることなどできなかったので、これに関しては協力関係があったからこそ状況の把握ができていたはずだ。まさしく持ちつ持たれつな関係だったと思う。


 最終的にナディル様とアルベール様を計画に加えることは、ヘクターのアイディアだった。陰でこっそり動くことばかり考えていた私には、そんな発想はできなかった。今日の成功に至るには、ヘクターの協力が不可欠だったと心から思う。


「オレもターニャには感謝しているよ。おかげでアルが幸せになれる。本当にありがとう」


 ヘクターも私に素直なお礼の言葉と笑顔を返してくれた。彼のダークブルーの瞳に月の光が当たって、いつもよりも透き通った青色に見える。


「…でも、まだ足りないよ。ターニャは言ったよね。“主が大切に思っている人すべて”を幸せにしたいと」


 ヘクターの言葉に、私は首を傾げた。確かに私はそう言った。そして、実際にリーリエ様にとって大切な友人であるピヴォワンヌ様とナディル様も幸せを手にしたので、これで足りないという意味が理解できない。


「リーリエ様は、ターニャのことだって大切に思っているのに、まだキミが幸せになっていないじゃないか」


「そんなことないわ。リーリエ様の幸せが私の幸せなんだから、もう私は幸せよ」


「いや、違うね。まだ足りてないはずだ。ターニャの夢は、リーリエ様の侍女として働いて、将来的にはばあやになることなんだろう?」


 ばあやになりたいという私の夢は、従者・侍女仲間にはよく話しているので周知の事実だ。ヘクターの問いかけには素直に頷くが、まだ彼が何を言いたいのかは分からない。


「どうやってばあやになるつもり?」


「それは、侍女として働いて、ゆくゆくは筆頭侍女のような立場を目指していけば、いつかはなれると思っているわ」


「ばあやになりたいってことは、リーリエ様の…その、だいぶ気が早いけれど、この際言ってしまえば、将来的にはアルとリーリエ様の間に生まれるお子様やさらにその子どもの代までお仕えしたいということだろう?」


「…ええ、そうなるわね」


 ヘクターの言う通り、今日ようやく想いが通じ合ったふたりに対し、相当気が早いが、言っていることは正しいので肯定を返す。


「お子様と関わるなら、乳母なり教育係なり、そういった役職を経由することになるよね?」


「ええ、そうね…?」


 まだヘクターの結論が見えず、怪訝な表情になってしまう。


「そういった立場の女性使用人になるには、既婚者でないといけない」


「…!」


 確かにそうだ。これまではリーリエ様がアルベール様と無事に結ばれることばかりを考えていて、自分のことなんて考えていなかった。今後もリーリエ様にお仕えするとなると、私自身も王宮に上がり、リーリエ様の身の回りのお世話をすることになるが、王子妃の傍仕えと言えばまさしく女の園。出会いなんて滅多にないし、あったとしても王宮勤めの男性はそのほとんどが貴族である。
 王子妃の侍女というのは結婚相手としては申し分ない肩書になるのだが、それは通常通り貴族出身の娘が侍女をしていた場合である。平民である私では、貴族の男性と結ばれるにはいろいろと面倒な問題も多いだろう。


 また、うまく結婚相手が見つかったとしても、自分自身が貴族の奥様になってしまうと、それまでどおりにリーリエ様のお傍にお仕えすることは難しくなってしまう可能性だってある。前の「私」の世界と違って、この貴族社会では夫婦共働きという概念は一般的でないのだ。平民同士の結婚ならば妻が働くことも普通ではあるが、王宮に入ってしまえば平民との出会いは難しくなってしまう。


 その一方で、リーリエ様とアルベール様のお子様ということは、この国にとっては未来の王子様や王女様だ。そんな方々の養育に関わろうと思うのであれば、私自身が平民であり続けるわけにはいかなくなる。矛盾を感じるが、やはり結婚相手は平民ではなく貴族の男性であるべきなのだ。その上で妻が出仕し続けることに理解がある夫を探すというのは、かなりの難易度に思える。


 私としたことが、こんな大きな問題を見落としていたなんて…!


 衝撃に内心で打ち震えていると、なぜか満面の笑みを浮かべたヘクターが私を見つめていた。


「そこで、オレだよ。オレはアルの傍仕えとしてずっと王宮にいるし、ターニャがリーリエ様の傍で働き続けることを止めたりしない。家のことより主を優先したって文句は言わないよ。一応は子爵家の一員だけど、オレは三男だから面倒なことは少ないし、何よりすでに気心も知れていて安心だろう?ほら、ターニャにぴったりの優良人材だと思わない?」


 私は思わずジト目でヘクターを見つめてしまう。彼は第一学年の頃から、なぜか私に気のあるような素振りを見せ続けていたが、どこまで本気なのか分からず、私はあまり気にしないことにしていたのだ。今も口調は軽いが、月に照らされたダークブルーの瞳は、言葉とは裏腹に真剣に私を見つめている。


 ヘクターは本気なのだろうか。だとしたら、いつからそんな考えを持っていたのだろう。彼の言葉を信じてみたいような、あまりに自分に都合の良すぎる話で怖いような…


 それに、私自身がヘクターのことを男性としてどう思っているのかが正直よく分からない。彼の私に対する言動にドキッとすることはこれまでにもあったが、彼は基本的には親しい友人としての距離を保ってくれていた。そのため、私も彼のことはずっと友人兼共犯者のような認識でいたのだ。急にそれを結婚相手の候補として考えるのは違和感があるし、ついでにこれは私にはメリットが大きいが、彼側の利がなさすぎると思う。


 何も言わずに考え込む私に、ヘクターは表情を和らげて言った。


「…即答はできないか。うん、まあ人生を左右する大事なことだし、返事は待つよ。今夜はだいぶ冷え込んで来たし、寮に戻ろう」


 先ほどの勢いとは打って変わって、ヘクターはあっさりと話を切り上げ、混乱中の私はありがたく彼の言葉に流されて、寮へ戻ることにした。もちろん、ふたりともこっそり抜け出しているので、帰りも忍び込むような形で二手に分かれて戻ることとなるのだが。


 寮の裏手での別れ際、ヘクターから急に肩を抱き寄せられ、耳元で囁かれた。いつもの彼の声よりも低く、どこか色気を感じさせる声色で。


「…ターニャが困っているのが分かったから、今夜は一旦引いたけど、オレは本気だよ。本気で、ターニャを妻に迎えたいと思ってる。卒業後も同じ職場で会えるし、返事は気長に待つけど、できたら学院卒業までには決めてもらえるとありがたいな。ターニャの気持ちが決まったら教えて」


 おそらく真っ赤になってしまっているであろう私は、動揺しすぎて何も答えることができない。


「…オレとしては瞬時に断られなかった時点で嬉しいよ。良い返事を期待して待ってる。おやすみ」


 ヘクターは軽く私の頭をポンポンと二度叩くと、寮の塀を軽々と飛び越えて去っていった。私も自室に戻ったが、胸の中がざわざわとして、いつまで待っても眠気が降りてこない。心を落ち着けるために散歩に出たはずが、私はかえって眠れなくなってしまったのだった。





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