転生侍女は完全無欠のばあやを目指す

ロゼーナ

第十四話 二年目:悪役令嬢(仮)の初恋

 ナディル様と侍従のカイが転入してから半年が経ち、彼らはすっかりSクラスに溶け込んだ。その一方で、大いに困惑しているひとりの美少女がいた。ピヴォワンヌ様だ。


「昨日のあなたが世界一美しいと思ったのに、今日のあなたはそれよりもさらに美しい。無学な私では素敵なあなたを的確な言葉で褒めることさえできず、心苦しいばかりです」


「あなたの紅玉の瞳に私が映っているだけで、どうしてこんなにも幸せな気持ちになるのでしょうか」


「素晴らしいあなたを世界中の人々に見せびらかしたいと思うのに、それと同時に誰にも見せずに閉じ込めてしまいたいと思う気持ちを止められないのです」


 毎日毎日ナディル様から繰り出される熱く甘々な言葉の数々に、ピヴォワンヌ様が困り果てているのは明らかだった。最初はダイアンサス語で控えめに囁いていたので、Sクラス以外の生徒にはあまり気付かれていなかったのだが、リリーヴァレー語が上達したナディル様は、今は所かまわずリリーヴァレー語でピヴォワンヌ様を褒め称えているというか、あからさまに口説いているので、学院中が彼らの動向に注目していた。同じクラスに婚約者がいる超高位貴族のご令嬢で、しかもその婚約者とは第一王子アルベール殿下なのだから、その三角関係が気にならないはずがないのであった。


 先ほどの「閉じ込めてしまいたい」はいろんな意味で危ない発言だったので、さすがにカイが止めに入った。


「ナディル様!またそんなことを言ってピヴォワンヌ様を困らせて、ダメじゃないですか!主が大変失礼いたしましたピヴォワンヌ様。僕が責任を持って連れ帰りますので、何卒ご容赦を」


「お、おい、カイ!痛いではないか!耳を引っ張るな!」


「痛くするために引っ張っているんです。さあ、行きますよ!」


 カイはまだ十四歳で、当然この学院内では最年少だ。特別クラスの貴族子女に同行する従者・侍女に年齢制限はないが、少し年上の者が選ばれることが通常で、私のように主と同い年の侍女ですら珍しい。そのため、カイの存在は異例中の異例と言えた。


 体は小さくとも文武に優れ、しっかり者であるカイは、クラスメイトたちからも信頼を集めている。ナディル様が暴走したときには彼がすぐに止めてくれるので、事態が大きくなることはギリギリ防げていると言えた。


 先ほどは休憩時間に学院の中庭でピヴォワンヌ様、リーリエ様、サラさん、私のSクラス仲良し四人組でお喋りをしていたところ、たまたま通りかかったナディル様が、ごく自然に私たちに声をかけてきた。ちなみに、私たちの輪にエヴリン様と侍女のエマさんが加わることもあるのだが、エヴリン様は自由な心の持ち主なので、休憩時間は半々くらいの割合でいたりいなかったりする。私たちもそれを当たり前のこととして受け止めていた。


 ナディル様はまずは私たち全員に声を掛け、その後はいつも通りにピヴォワンヌ様を口説きだした。そんなピヴォワンヌ様の顔を見ると、心なしか頬が赤く染まっている。最初の数か月はただの冗談やリップサービスだろうと流していたのだが、最近は受け流すことが難しいほど、彼の好意が駄々洩れで、さすがのピヴォワンヌ様も彼の気持ちには気付いているが、どう対応して良いのか分からずにいるようだ。


 そう、ゲームの世界のナディル様は、その甘いマスクで女性をメロメロにしてしまう能力の持ち主であった。現実でも誰にでも分け隔てなく優しく、女性には紳士的であるため、女生徒たちからは非常に人気がある。しかし、他の女性相手には明らかにお世辞だと伝わる言葉で愛想を振っているだけで、ナディル様があのような態度に出る相手はピヴォワンヌ様だけなのであった。それほど明確に区別されていれば、ピヴォワンヌ様とて意識せずにはいられないだろう。


 ピヴォワンヌ様もはっきりと断るべきなのは理解されているが、どう返しても上手く丸め込んでしまう話術を持ったナディル様にはタジタジとなっていた。また、婚約者に言い寄るナディル様のことを諫めるべきなのはアルベール様なのだが、ナディル様はアルベール様の前では決定的な言動は見せないため、アルベール様もある程度状況は把握しているものの、強く出ることができずにいるようだ。


 そもそも、アルベール様の心が婚約者であるピヴォワンヌ様ではなくリーリエ様に向いていることはSクラス内では周知の事実であり、もちろんナディル様も転入後しばらくしてすぐに察していたので、彼が「自分の婚約者に手を出すな」と言い辛いことも理解し、このような挑発的な行動に出ているのだろう。立場的には正式な婚約者なのだから言っても悪くはないのだが、アルベール様としては言いにくいし、ナディル様からすれば「どの口が言うのだ」と返すに決まっている。


 そんな状況で、彼らの関係はここ数か月微妙なものとなっている。学院中が王子と婚約者を含む三角関係の行方に注目し、第二学年Sクラス内においては、そこにリーリエ様を含めた四角関係(と言うのかどうかは微妙だが…)をどうすることもできず見守っている状況であった。




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「ピヴォワンヌ様、本日も届きました」


「…ありがとう、サラ」


 透かしのレースがデザインされた白い封筒を受け取り、ピヴォワンヌは胸がドクドクと音を立てているのを感じた。差出人の名前は書かれていないが、相手は分かっている。


 サラが部屋を出たのを確認し、そっと封を開けた。そこにはいつも通りの美しい文字が踊る。


『堂々と愛の言葉を告げることもできず、あのようなおどけた態度しか取れないことをお詫び申し上げます。それでも、あなたを誰にも渡したくないという気持ちが抑えられず、ああやって周りを牽制せずにはいられないのです。もしもあなたが私に少しでも同じ気持ちを抱いてくださるなら、万難を排してあなたを正々堂々と迎えにまいります。そんな日が一日も早く来ることを願いつつ、それがどんなに遠い未来のことであっても、私は待ちつづけましょう。心からの愛を込めて』


 丁寧に綴られた想いと、真摯な愛の言葉に、便箋を持つ指先が震えてしまう。


 ナディルから手紙が届くようになったのは、彼が転入してから一か月ほど経ってからのことだった。


「リリーヴァレー語で文章を書くことが難しいので、良かったら文通のような形で練習に付き合っていただけませんか?ターニャから、手紙を書くというのは練習になる上に、単調な文章練習よりも気持ちがこもるので楽しいのだと聞きました。ダイアンサス語が堪能なピヴォワンヌ様でしたら、私のリリーヴァレー語の文法間違いについてもダイアンサス語で指摘していただけるのではないかと」


 ナディルからの頼みに、ピヴォワンヌは快く頷いた。自分自身、ダイアンサス語の練習のために、ピアニー侯爵家の領地に住んでいた頃は、ターニャと文通をすることでよく練習していた。今度は自分が誰かの力になれるのなら、こんなに嬉しいことはないと思ったのだ。


 本来なら、婚約者がいながら他の男性と手紙のやり取りをするというのは問題だが、カクトゥス大公国のディセントラ公爵家とピアニー侯爵家は古くから縁があり、ディセントラ家から「くれぐれもナディルのことをよろしく頼む」と言われているため、少し彼の力になるくらいならまったく問題ないと考えた。また、近年は行っていなかったものの、子どもの頃、ナディルとはたまに手紙のやり取りをしていた時期もあったため、再度手紙のやり取りをすることにもあまり抵抗がなかったのだった。


 ナディルは筆まめで、非常にやる気のある生徒であった。忙しいときはメッセージカードに数行の文章だけであったが、学院のある日は毎日欠かさずに手紙をしたためてくるので、自然とピヴォワンヌも毎日返事を書き、その際にはリリーヴァレー語の添削や簡単なアドバイスを続けた。




 クラスメイトにナディルと手紙のやり取りをしていることを言うのは気が引けた。彼の陰の努力を自分が公表することは憚られたし、彼も言わなかったので、暗黙の了解として手紙のことはふたりの秘密となった。実際のやり取りも、本人たちではなく、侍女のサラと侍従のカイが、隙を見てこっそり行っている。


 毎日同じ教室で顔を合わせながら、手紙で内緒話をするというのは、やってみると思いの外楽しかった。共に体験したはずの授業でも、ふたりの意見が一致することもあれば、彼の視点から見ると少し異なって見えることもあり、手紙を通して視野が広がっていくような感覚があった。


 しかし、文通を始めて三か月ほど経った頃から、ナディルの手紙にはピヴォワンヌへの特別な想いを滲ませる文章が挿し込まれるようになった。その頃には彼のリリーヴァレー語のライティングはかなり上達しており、綴られた愛の文章は美しいものであった。


 ピヴォワンヌは困惑した。幼い頃からアルベールとは婚約関係にあるが、彼はピヴォワンヌのことは友人というか、同士のように思っているし、自分自身も彼のことは同じように感じている。そのため、これまで自分に対してこれほどストレートに愛情をぶつけられたことなどなかったのだ。


 時を同じくして、彼は学院でもピヴォワンヌを口説くようになった。最初はダイアンサス語で、ちょっと美辞麗句がすぎるのでは?と思う程度であったのが、徐々に熱い言葉に変わり、最近ではリリーヴァレー語で、しかも公衆の面前でピヴォワンヌを褒め称えてくるので、どうして良いか分からなくなってしまう。


 ピヴォワンヌにアルベールという婚約者がいることは誰もが知っており、婚約者のいる令嬢を口説くなど、非常に体裁が悪いことで、ナディルの評判にも関わるのだ。慌てたピヴォワンヌは彼と距離を取ろうとしたのだが、ナディルは取った距離の分だけすぐに詰めてくるのである。


 しかし、学院での口説き文句は、冗談と言えなくもないレベルのもので、ピヴォワンヌが本気で困ったときにはナディルの侍従であるカイや、侍女のサラ、クラスメイトのターニャなどが助け舟を出してくれるので、困りつつもなんとかやり過ごしている。問題は、今も続いている手紙の方であった。


 手紙には、学院で見せるような軽く浮ついた印象は一切なく、いつも真摯な愛の言葉だけが綴られている。最初はなんとか返事を返していたのだが、ここ一月ほどはピヴォワンヌはもう返事をしていない。


『ナディル様のお気持ちは、とてもありがたく存じますが、わたくしには婚約者がおりますゆえ、お気持ちを受け取ることはできません。これ以上お返事を差し上げることができかねますこと、何卒ご理解くださいませ』


 最後に返した手紙には、はっきりと拒絶の意思をしたためた。


『返事はいりません。読まずに捨てていただいても結構です。ただどうしても、私があなたを想っているということをお伝えしたいのです』


 ナディルはそのように告げ、その後も毎日手紙が届いている。




 ピヴォワンヌは困惑していた。学院で自分を困らせる彼にも、手紙で切々と愛情を訴える彼にも。


 そして何より、そんな彼の気持ちを迷惑だと言い切れず、自分の中に喜んでしまう気持ちがあることに。これほど拒絶していながらも変わらず届く手紙に、ほっとしてしまう自分に。


 この気持ちが何なのかを理解しながらも、ピヴォワンヌはそれを認められずにいる。認めることなどできない。自分は第一王子アルベールの婚約者なのだから。アルベールにも他に想い人がいることには気づいているが、それと同時に、彼が自分自身の想いを封じ込め、ピヴォワンヌを裏切ってなどいないことも分かっている。
 将来この王国を率いる者として、私情を捨て、高い志を持つ彼を、ピヴォワンヌは支えなくてはならないのだ。それが幼い頃から決められていた道なのだから。アルベールがピヴォワンヌを裏切らないように、ピヴォワンヌも彼の信頼を裏切るようなことは絶対にしたくないのであった。




「…ナディル様……わたくしも…」


 “愛しています”と、心の中だけで呟き、溢れる想いが一滴の涙となって、ピヴォワンヌの瞳からこぼれた。





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