猫雲

七星奈星

第1話

就活に苦戦して、
やっとの思いで今の会社に入社し、
実家から出て東京で質素な一人暮らし。
ここまでは私の想定内だった。

驚くのはここから、
なんと中学時代の恋人に会社からの帰宅途中
ばったり再会した。

10年前どうして振られたのか分からなかったからもう一度出会えたのはとても嬉しかった。

ある日、私が俯きながらとぼとぼと歩いていると彼が後ろから声をかけてくれた。
それからこのようにして私は彼と2人で家に帰ることが多くなった。

彼といるのはすごく楽しい。
嫌なことを全部忘れさせてくれる。

この後私に想定外の大変なことが起こった。
この日私はいつもより早く仕事から上がったから機嫌が良くなっていて彼に
「今日一緒に帰れる?」
なんてメッセージを送った。

すると彼はすぐに返信をくれた。
「今日ちょっと無理かも…
遅くなるから先帰ってて」

私はちょっと不貞腐れていつもとは違う道で
帰った。

するとたまたま通りかかった公園から飛び出してきた猫がそのまま道路まで行ってしまった。
しかし私は助けようとしなかった。
猫ははねられない。
昔私がそんな経験をしたから。
その経験が今でも私を冷たくしている。
____________________________________________

私は中学二年の時、
交通事故でおばあちゃんをなくした。

おばあちゃんと散歩をして来た帰り、足を引き摺っていた1匹の猫が車道に飛びだした。

それを見ておばあちゃんも猫を助けようと
車道に出た。

小さな命にも愛情を注ぎ、身を呈して守ろうとする心の優しいおばあちゃんだった。

おばあちゃんが飛び込むと猫は自分の力を振り絞ってスルっとおばあちゃんの腕を交わして走り去っていった。

猫が向こう側の歩道に入るまで見守ろうとするおばあちゃんを私は急いで歩道まで連れ戻そうとした。

しかし、それより早く1台の黒い車がおばあちゃんを思いっきり突き飛ばした。

信じられなかった。
どうして優しいおばあちゃんがこんな悲惨な最期を迎えなければいけないのか
わからなかった。

その車はそのまま走り去った。
私は今までにないくらい涙を流し、目を赤くした。

それから騒ぎを聞き付けた母と一緒に私は家に帰ったが、暫く私は学校も休んだ。

おばあちゃんの葬式では誰よりも泣いた。
おばあちゃんには安らかに逝ってほしかった。

あれから私は徐々に明るさを取り戻したが
"猫だけは助ける必要が無い"
そんな冷たい信条を立てていた。

ずっと学校を休んでいた私は彼からのメッセージにも、返信することができなかった。
そしてそのままメッセージで彼に別れを告げられた。

その時はおばあちゃんを失ったショックで
自分の恋愛を考える余裕なんて微塵もなかった。

あれから10年、
彼と奇跡的に再会し復縁した私は
車道に出た猫を助けるかどうかで悩んでいる。

私が決まり事を絶対に守るような人間ならすぐに背を向けていただろう。

私にはおばあちゃんが遺してくれた小さな命を助ける意思がある。

そう思うと私はいつの間にか車道に飛び出していた。

あの時と同じように猫は軽快なフットワークで自力で避難する。

そして絶体絶命のピンチに陥った私。
おばあちゃんの意思に従った。
悔いはない、悔いはない…


グッ…………

私はすごい力で歩道に引き戻される。

彼だ。

助けに来てくれたんだ。

すごくすごく嬉しかった。

「何してんの?」

彼は少し怒っていたから私は子供の言い訳のようにしどろもどろになって答える。

「猫が、猫が飛び出して行ったから助けようと…」

「危ないことすんなよ。
轢かれたらどうすんだよ。」

私は軽く拳で叩かれたりして彼に説教された。
危ない事をして心配をかけたのは本当に申し訳ない。

彼との帰り道、彼はとても勇気がいる事を私に打ち明けてくれた。

「なあ、菜穂。
菜穂って交通事故で亡くなったおばあちゃんいたよな。」

「うん、いたよ…」

「菜穂のおばあちゃん殺したの俺なんだ。」

「何言ってるの?それ言うの車の運転手でしょ。」

「違うんだ菜穂、その運転手は俺の親父で
俺も一緒に乗ってたんだ。」

「じゃあ、どうして殺したなんて言うの?」
私は次第に冷静さを失っていく。

「俺の親父はあの時逃げた。
車が出る前に俺が降りておばあちゃんに駆け寄ってたら助かったかもしれない。
あの後だって親父に自首刺せられたはずなのに、なのに………」
彼も感情的になってきた。

「洋くんは悪くない。」

「いや悪いんだ。俺の親父は家族に手を上げるようなやつでさ、俺怖くて、何も出来なかったんだ。」

自嘲を続ける彼を私が抱擁で遮る。
「洋くんは、正しい判断ができてたよ。
そんなに乱暴な人なら洋くんに恨みを持って何されるか分からないよ?
洋くんは私の大切な人だから、傷つけられたくない。お願いもう自分のこと悪くいうのやめて…」

私の声は響いただろうか
彼は自嘲をやめて泣きだした。

「菜穂は、許してくれる?」

「もちろん、洋くんは悪くないもん。」

彼は固く抱きしめてくれた。
「洋くん、好き、大好き。」

「ありがとう菜穂、俺も好き。」

橙色の夕焼けに照らされて涙が光る。
私たちの笑顔もそれ以上に光っていた。

夏の終わりの入道雲が心なしか猫のように見えた。優しく照らされる白猫は私たちの復縁を
祝福してくれているように思えた。

大切な人とまた一緒になれたのは
おばあちゃんのおかげ、

ありがとう。おばあちゃん。

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