本当に「育児って大変』なのだろうか。

yani

目の魔力

先月から私は週3でキックボクシングに通っている。

毎回メニューの最後はバランスボールを使った筋トレだ。

これ、最初の頃はできるのが当たり前だと思って、一生懸命食らい付いていた。

『腕立てキープを1分いきましょう』

言われるがまま、『あと40秒...あと30秒...20...』という声を頼りにやり切っていた。

だんだん慣れてくると、他の人の様子も目に入ってくるようになった。

『あ〜無理これ!』

と言って短めに設定される女性や、男性でもできてなかったり、キツそうな様子を見ていると、

『なんだ、できないのが普通じゃん』

なんて、思いだした。

そして人が多くなってきたり、私より後に入会した人を見るためなどで、トレーナーとマンツーマンじゃなくなってきた。

そしたら、設定だけ決めてもらって、自分でやるスタイルに。

そうすると、何が起こるかというと。

1つ。

トレーナーが横目で見てくれてるとはいえ、カウントがないと、下向いてるときに時間がわからず、途中でめげる。

2つ。

みんなできてないしな...なんて思って、途中でやめる。

3つ。

今日できなくても来週できれば大丈夫...積み上げ積み上げ!と、もう最初からトレーナーに無理と言う。

そんな状態が続いていた。

しかし、今日!

周りがベテランばかりだったので、トレーナーが私のそばにずっといてくれた。

『これ、1分。できなかったらまた最初から、縄跳びからいきましょう!』

と、隣でカウントして見守ってくれていた。

すると、何が起こったかと言うと。

できた!

やめたくなっても、隣で見られてたらやめられないという、恥のような意地のような精神で、やり続けられた。

やる前にも、自分の中で『できる!できる!』と気合いが入ったし、隣で応援してくれてる人がいるのが励みになった。

もし、できなくても、きっと、『はい、じゃあ約束通り、縄跳びからやり直してください』とはならないだろう。

でも、『それがイヤならやるしかないよ』という脅しの意味でトレーナーが言ってるのに、簡単に『できない』と言ったり、本当にやれなかったら、トレーナーも面目丸つぶれになってしまう。

いろんな気持ちが入り混じっていたかもしれないが、おかげで全部やり切れた。

ちょっと隣にいない時間帯に、筋トレメニューやってたら、やっぱり途中でやめた私。


正直なところ、私は心は強い方だと思っていた。

ラストスパートや追い込みもやり切れるし、気持ち系は負けないと思っていた。


ところがどっこい。


人が見てないとサボる。

楽な方に手を抜く。


人の気持ちって弱いんだね。


思ったのの何倍も。


そして、人の応援や気持ちって、力になるんだね。


宿題や勉強なんかでも、【見てたらやる】のは、甘えてたり、心が弱いからじゃなくて、【見てくれるだけで力が湧く】からなんじゃないだろうか。

【一緒に】って、力になる。

一緒に勉強しなくてもいい。

何かしながらでもいい。

そばで見てくれてるだけで頑張れる。

【あなたの時間を私にかけてくれる】

それが、一番嬉しいし、愛されてるって感じられる。

やっぱり愛は力になるんだなぁ。

前田さんの『メモの魔力』を読んだけど、ホント、その通り。

1つの事柄から、派生していったら、実生活になんでも役に立つ。

今の私で言ったら、全部が子育ての虎の巻になる。

仕事に繋げて考えたら、仕事用に落とし込める。

1つの事柄を見逃さないで、応用できるように深く考える。

その簡単なツールとして、前田さんはメモを提唱してるけど、良い方法だと思う。

さあ、母ちゃん、また一つスキルアップしたよ。

いつでも大きくなっておいで、息子よ!


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