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ループしますか、不老長寿になりますか?

茄子

018 ストロベリー視点

「きゃあっ」

 廊下にそんな悲鳴が響く。
 あたしはその悲鳴を上げたメルを見下ろして、わざとらしく甘ったるい声を出す。

「あら、ごめんなさい。貴女ってば存在感がなさ過ぎて、気が付かなかったわ。怪我はないわよね」
「は、はい。大丈夫ですわ、ストロベリー様」
「そう、じゃあ今後は気を付けて歩くことね」

 そう言ってあたしはその場を去る。
 あたしからシェインクを奪ったメルが、憎くて仕方がない。
 メルさえいなければ、シェインクは前みたいにあたしの元に帰ってきてくれるのよ。
 そんな事を考えながら歩いていると、以前ハンカチをくれた人が目に入った。

「あ、あの」
「はい? え、ストロベリー様!? 僕に何か御用ですか?」

 あたしから話しかけられたことに驚いたのか、一瞬目を見開いたけど、すぐに優しい笑みを浮かべてあたしに応えてくれた。

「あたし、貴方の名前を聞いてなかったって思って」
「ああ。これはとんだ粗相を……。僕はレッジ男爵家のコッチといいます」
「コッチ様ですね。もう覚えました、あたし二回もコッチ様に励まされて嬉しかったです」
「そんな、僕の言葉一つで、ストロベリー様のお心が晴れるのなら、僕はそれで十分に満たされます」
「コッチ様、良ければこの後時間ありますか?良ければお話ししませんか」
「そんな! 僕と話しなんかしている所を誰かに見られでもしたら、ストロベリー様に良くない噂が立ってしまいますよ」

 コッチ様はあたしのことをこんなに心配してくれてる。
 あたしの心は、またドキドキと高鳴っていく。
 こんな気分になったのは久しぶりだわ。シェインク様を見ても最近ではこんなときめきは起きないもの。

「そんなの気にしないで、どうせ今だって碌でもない噂しか流れてないんだから。それに、あたし……寂しいの」

 あたしは目を潤ませて、コッチ様の制服の裾を掴む。
 コッチ様は困ったような笑みを浮かべて、あたしの手に、自分の手を重ねてくれた。

「僕なんかでよければ、いつだって話し相手になりますよ」
「本当に?」
「はい、でも人目につくと噂になってしまいますから、こっそりと会うというのは如何でしょうか?」
「こっそり、ですか?」
「そうです」

 重ねられた手のぬくもりに、心の中に溜まっていた疲れが癒されていくように感じてしまう。

「コッチ様がそう言うんなら、そうします」
「じゃあ、早速今からお話でもしましょうか。そこの空き教室ででも」
「はい」

 あたしは、コッチ様に手を引かれて空き教室に入っていく。
 改めてコッチ様を見ると、栗色の髪の毛に柔らかい新緑のような薄緑の瞳の、優しい雰囲気の子息だった。

「コッチ様と居ると、癒される感じがします」
「それならよかった」

 繋がれた手はそのままで、あたしとコッチ様は窓際まで行く。窓を開けると、午後の涼しい風が教室の中に入って来た。

「最近、王族教育も忙しいのに、シェインクってばあのメルって女にうつつを抜かして、あたしの事なんか、放ってるんですよ。酷いと思いませんか?」
「うん、酷いですね。婚約者を優先せず、他の女性の相手をするなんて、最低の行いだと思います」
「そうですよね!」

 あたしはコッチ様の言葉にパッと顔を明るくする。
 この人はやっぱりあたしの味方なんだわ。
 それに、きっとあたしのことが好きなんだと思う。これは直感だけど間違ってないと思うのよね。
 あたしは、日頃の不満をコッチ様に言えば、コッチ様は必ずあたしの望む答えを返してくれた。

 そんな感じに、秘密の逢瀬を重ねていくうち、あたしの中で、コッチ様の存在がどんどん大きくなっていった。
 でも、あたしはシェインクの婚約者で、メルさえいなくなれば今までの関係に戻れるんだし、こんな感情良くないとわかってるんだけど、そう思えば思うほど、コッチ様の事が気になってきちゃうんだよね。

「ちょっと、そこどいてくれる?」
「え? きゃっ」
「あら、ごめんなさい。でも、メル様ってば、いつも大袈裟に転ぶんですね、もしかしてわざとですか? シェインクの同情でも引こうと思ってるんですか?」
「そんなことは……」
「ふん。アンタなんかこの学園からとっとといなくなっちゃえばいいのに」
「それは、無理です」
「なんでよ!」
「だって、わたくしは末席とはいえ、貴族ですので、この学園に通う義務があるのです」
「なによ、聞けばアンタって、庶子の出だっていうじゃないの。図々しいのよ」

 あたしは汚いものを見るような目で、メルを見るとその場を立ち去った。
 そうして、いつもの秘密の場所に行けば、そこには優しい顔をして、あたしの事を待っててくれるコッチ様が居た。

「コッチ様、こんにちは!」
「こんにちは、ストロベリー様。なんだかご機嫌斜めのようですね、何かあったんですか?」
「聞いてくださいよ、あのメルがまたあたしの目の前でわざとらしく倒れ込んだんです」

 あたしの言葉に、コッチ様は苦笑を浮かべる。
 あ、もしかして最近出回ってる噂を信じてるとか?

「コッチ様、もしかして例の噂聞いちゃいました?」
「噂って?」
「知らないならいいんですけど、酷いんですよ。あたしがメルを虐めてるなんて、そんな噂が広まってるんです。意地の悪い令嬢達が面白がって噂を広めてるんです」
「それはお気の毒に。僕はそんな噂信じませんよ」
「そうですよね。コッチ様ならそう言ってくれると思ってました!」

 あたしの機嫌は急激によくなっていった。
 味方が一人でもいるって、こんなにも心に余裕が持てるものなのね。

 コッチ様と話すことだけが癒しになって、数日。珍しくシェインク様からあたしに話し掛けてくれた。

「ストロベリー、話がある」
「シェインク。話ってなに?」
「お前が最近、コッチという男爵子息と逢瀬を重ねているそうじゃないか」
「なっ」
「それに、メルの事も虐めているそうじゃないか。いったい何を考えている」

 一体誰がコッチ様との逢瀬を盗み見たって言うの?
 ううん、それよりも弁解しなくっちゃ。

「違うのよ。コッチ様とは、おしゃべり友達なだけで、特別な関係なんかじゃないの。シェインク、噂になんかに惑わされないで。それに、メル様を虐めてるって言うのも真っ赤な嘘だからね!」
「ほう? 毎日のように、空き教室の窓辺で話し込んでいるそうじゃないか」
「だから、それはただのおしゃべりですっていったじゃない」

 どうして信じてくれないの?

「王族教育をサボって、空き教室で男と二人っきりなど、この俺の婚約者だという自覚に欠けているんじゃないのか?」
「そんな! あたしは必死に王族教育をうけてるわよ! シェインクこそ、またメル様と二人で過ごしてたそうじゃない。噂好きの令嬢達が嬉々として報告しに来るのよ」
「前にも言っただろう。俺はメルの面倒を見なければいけないんだ。何を疑っている。もしかして、その噂を真に受けてメルを虐めているのか?」
「だから、虐めてなんかいないってば! どうしてわかってくれないの? コッチ様なら信じてくれるのに」

 あたしとシェインクは、大勢が行きかう廊下で言い合いになった。
 大勢の人があたしたちに注目してる。その人の中にはメルやコッチ様の姿もあった。
 コッチ様がこの言い合いを見てる。どうしよう、でももう止められない。

「やはり、そのコッチとか言う男爵子息と浮気をしているんだろう!」
「シェインクこそ、メル様と浮気をしているんじゃないの!?」
「そ、そんなわけないだろう!」
「なによムキになって。あたし聞いちゃったんだから、シェインクがメル様を口説いてるのを!」
「なっ、聞き違いだろう」
「いいえ、聞き違いなんかじゃないわ。あたしはシェインクの為に必死なのに、その間にシェインクは浮気してたのね!」
「だから、浮気などしていないと言っているだろう。いい加減にしろ!」

 バシン、と廊下に乾いた音が響いた。
 打たれた。シェインクがあたしの事を打った。

「酷い! 打つなんて信じられない! 最低!」

 あたしは思わずコッチ様の方に駆けていく。

「コッチ様ぁ」
「ストロベリー様、お可哀そうに。頬を冷やしに行きましょう」

 コッチ様はあたしをシェインクから庇う様にして、保健室に連れて行ってくれた。
 シェインクはメルのせいで目が曇りきってるんだわ。こんな事をしてくるなんて、有り得ないもの。
 あたしは、メルの横を通り過ぎる時、メルにだけ聞こえる程度の声で、「アンタのせいよ」と恨めしく言った。
 保健室に着いたあたしは、椅子に座らされてコッチ様が持ってきてくれたタオルで、頬を冷やす。

「信じられません。シェインクがあたしを打つなんて、これもあの女のせいだわ」
「お可哀そうに、ストロベリー様。衆人環視の前で頬を打つなんて、シェインク様はなんてことをするのでしょうか」
「そうですよね……。どうやったらシェインクは目を覚ましてくれるかしら?」

 近々、国王陛下の即位十周年の夜会があるのに、このままじゃまともにエスコートしてくれるかもわからないわ。

「そうだ、国王陛下の即位十周年の夜会よ」
「え?」
「あたしはシェインク様の正式な婚約者でしょう? シェインク様は当然あたしをエスコートするはずだから、その姿をメルに見せつければ、メルも身を引くに違いないわ」
「なるほど、名案ですね」
「そうでしょう!」

 我ながら名案だわ。そうと決まれば、シェインクの所に行って、今回あたしの頬を打ったことを許す代わりに、ちゃんと十周年の夜会でエスコートするように約束して貰わなくっちゃ。

「あたし、シェインクの所に行ってきます」
「まだ頬の腫れが残っていますよ」
「このままの方が、都合がいいんです」

 だって、この件を許す代わりに夜会のエスコートをちゃんとして貰う様にお願いするんだから。
 そうと決まればと、あたしはコッチ様を保健室に残して、シェインクを探しに廊下をうろついた。

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