わかりました、結婚しましょう!(原題:橘部長を観察したい!)

ゆきづき花

62. 橘部長から逃げ出して_1


 会議室を出た私は、エレベーターホールで下ボタンを連打した。連打しても早く来るわけではないのはわかっていたけれど連打した。
 エレベーターは少し混みあっていたけど、体が小さいから会釈して乗せてもらう。宮燈さんは追ってこないとは思うけど、早くここから逃げ出したい。
 隣に立っている背の高い綺麗な女の人が書類を抱えているのを見て、社員さん達は真面目に仕事してるのに、私は何やってるんだろうと思った。
仕事の邪魔して、あげく宮燈さんをぶん殴って。こんなんで春から社会人としてやっていけるのかな。
というか、私はここで働いていけるんだろうか。

 いや、仕事と私事は別問題だから一緒に考えちゃだめだ。私は私なりにやりたいことがあって商社を選んだ。仕事してたらきっと忘れてしまう。
 入社前に離婚してしまえば「無かった事」にされるんだろう。社長と総務部の一部の社員さん以外は知らないから問題ない。私は「清川桜」として入社すればいいのだから。

 ゲートから出て、受付でネームプレートを返す。私の手が震えていたからか、受付の綺麗なお姉さんが少し心配そうな顔をしていた。警備員さんに頭を下げて通り過ぎようとしていたとき、後ろから私を呼ぶ声がした。

「桜!」

 心臓がびくっと震えた。名前を呼ばれて胸が苦しいなんて初めてだった。
 広いエントランスホールに宮燈さんの声がする。宮燈さんがあんな大声を出してるの初めてだと思う。真横の警備員さんも「常務?」と呟いていて、多分その場の全員が「桜って誰だ」と思っただろう。杉岡さんの「橘部長、ここではダメです!」と引きとめる声がして、振り返るのが恐ろしかった。私は知らないふりをしてエントランスを出た。

「桜、待ちなさい!」

 宮燈さんの声が聞こえるから、私は走った。
 丸の内の広い道路を渡って、東京駅へ。人にぶつからないように頑張って、東海道新幹線のホームを目指す。次に発車するのが、たまたま『のぞみ号博多行』だったので、自由席に飛び乗った。平日だったからか、比較的空いていたので窓際の席を選んで座った。

 私の名を呼ぶ宮燈さんの声が耳に残っている。後ろ髪を引かれるってこういう事なのかな、これからどうしようかなと考えたけど、頭の中が全然整理出来なかった。

 エントランスで私を呼び止めようとした宮燈さんの声は真剣だった気がする。必死になって追ってきたのかなと思うと嬉しかったけど、すべて終わってしまいそうで怖くて振り返ることが出来なかった。

「よし!しばらく考えるのやーめよ!」

 朝っぱらから混乱して、ちょっと脳が疲れてる。頭を空っぽにして車窓から外を眺めていると、よく晴れていたので、冠雪している綺麗な富士山を見ることが出来た。
 大きい……。霊峰と呼ぶに相応しい山だなと感動しつつ、ふとこのまま逃げてしまおうかなと思った。岡山の実家だとすぐに捕まりそうだから、どこか遠くへ行ってしまおう。チケットは現金で買ったから足はつかないはず。

 そういえば、宮燈さんが品川駅までついてきたことがあったなあと思い出して少し笑った。もう半年以上前のことだけど、鮮明に覚えている。京都と岡山を往復もした。あの時、帰りはずっと手を繋いでいた。
 東海道新幹線の最高時速は約275km/h、こんなに速いのに、通路をスタスタ歩けるくらい安定して走行してるなんて本当に凄い。在来線なんて80km/hでガッタンガッタン揺れてる。レールが違うんだろうなあドクターイエローって引退するんだっけ、しないんだっけ?とどうでもいいことを考えながら、やっぱり宮燈さんと別れるなんて嫌だなあと思うと涙がとまらなかった。



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