わかりました、結婚しましょう!(原題:橘部長を観察したい!)

ゆきづき花

60. 橘部長は無責任_2


 スケジュール調整するから、と杉岡さんは私を残して秘書室に帰ってしまった。ぽつんと残されて何だか寒い。暖房はついているけれど足元が寒い気がする。お手洗いに行きたいなと思って、そーっと廊下に出てみた。誰もいないからほっとしていたけど、女子トイレはいつの世も、どこにおいても、噂話をするにはうってつけの場所らしい。中から数名の女性の声が聞こえる。

「信じられない!あの橘の宮が!!」
「分析班が確実に本人だと言ってたからね」
「あのネクタイピンでしょ?」
「年末からほとんど毎日あれ着けてたから、すぐわかっちゃったらしいね」

 一瞬、「宮燈さん、使ってくれてたんだあ、わあい」と浮かれたがそれどころではない。

「山崎ミコからのプレゼントだったのか!むかつくわ!」
「もうさ、実家に連れて行ってるってことは親に挨拶済ってことだよね」
「おお、親ってことは山崎雄輔か!私、ファンなんだよね」
「え?息子の森羅の方じゃなく?じいさんじゃん!80近いでしょ」
「いやあ~もうほとんどテレビ出てないけど、今も渋いのよ。森羅くんのインスタによく出てくる。ほらほらー見て、去年の十一月のだけどさ」
「いや、じいさんじゃん……」

 噂話は続いてるから、聞きたくないし入りづらいから別階に行くことにした。あれをプレゼントしたのは私なんですよ。そう思ったけど、今更どうでもいい事だなと思った。
悲しくなってきて人気ひとけのなさそうな場所を探して泣いていた。



「桜か……?」

 背後から呼びかけられてびっくりした。振り返ると宮燈さんがいる。間違いなく、本物の。手に社用の携帯を持っていて、通話中のようだったけれど、私と目が合うと無言で電話を切っていた。
 飾り気のない無機質なオフィスの廊下に、相変わらずの無表情で宮燈さんが立っている。私の夫は今日も綺麗だ。今日は濃いグレーのスーツで、雰囲気も私と二人きりの時とは違う。

 仕事中の宮燈さん、三割増しにカッコイイな!

 ……って、だから事態はそれどころではない。
 本人を目の前にしたら、心臓がバクバクして、怖くて、でも嬉しくて動けなくなった。

「どうして君がここに?」
「お仕事中にごめんなさい。あの……話があって来たんですけど……」

 無表情のまま宮燈さんが近づいてきた。少し怒ってる?追い返される?
 後退りしてると、廊下の端に追い詰められてしまった。私と宮燈さんは身長差が30cm位あるから、見下ろされると相当怖い。両肩を掴まれて体がびくっと震えた。
私が贈ったネクタイピンが視界に入ってきて、「ああ~今日もつけてくれてる~わあい」と思っていたら宮燈さんの手が頬に触れた。多分、キスしようとしてる。
 この状況、第三者がみたらセクハラ!と脳内で叫びつつ、体を押し返そうとしたけど、壁に押し付けられて身動き出来ない。でも、私が力いっぱい突き飛ばしたから、宮燈さんは少し驚いたような表情を見せた。

「気安く触らないでください!この浮気者!」

 私がそう叫んだら、宮燈さんが表情を消した。読めない。全然読めない。宮燈さんが無表情で言った。

「すぐに京都に帰りなさい」
「なんで?」

 宮燈さんが踵を返すから、それについて行く。もう一度聞いてみた、「なんで?」と。でも答えてくれなかった。

「言えないんですか?」

 心底から怒りが湧いてきたから、自分でもびっくりしたくらいに重い声が出た。飛び蹴りしてやろうかしら?と思っていたら杉岡さんが来た。

「小娘!部屋にいないと思ったら……!」

 私達は杉岡さんに怒られて、別階のさっきの会議室に放り込まれた。


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