わかりました、結婚しましょう!(原題:橘部長を観察したい!)
49. 庭_2
足音がしないように、そーっと自分の部屋に戻り、着替えて廊下に出ると、大阪での内定者研修で一緒だった三原早紀ちゃんと出くわした。総合職は女子が少ないから、貴重な同性の同期だし、何となく気が合っていたので連絡先も交換して何度かやり取りもしていた。
「おはよう、早紀ちゃん」
「桜ちゃん、おはよう~!聞いたよ昨日の事件」
「事件?」
何のことかわからずビクビクしていると、彼女が笑いながら言った。
「一般職の子に馬鹿って言ったらしいじゃん、ヤバイよそれ」
早紀ちゃんが言うには、吉岡が二次会で、私に酷い事を言われたと皆に話していたらしい。要約すると「総合職だなんて凄いですねと褒めたのに、馬鹿と言われた」と。
早紀ちゃんにはやり取りの全部を話したから「そういう事かあ」と分かってもらえたけれど、多分、これで一般職の子からは敵視されちゃうんだろうなとうんざりした。
昨夜の二次会的な集まりは結構盛り上がったらしく、そのあとも仲の良い者、気の合う者たちは、誰かの部屋に集まって夜通し飲んだりしたそう。早紀ちゃんも女の子で集まっていたらしい。
「楽しかったよ~。桜ちゃん、懇親会も途中で抜けちゃったもんね。良かったら今度、一緒に飲もうね~」
私と早紀ちゃんが二人で話しながら朝食を食べていると、後から食堂に来た女子のグループにあからさまに避けられてしまった。多分、吉岡に面と向かって悪態をついてしまった話は、面白おかしく一般職内定者に伝わってるんだろう。苦笑しながら早紀ちゃんが言った。
「まあ、言動には注意した方がいいよ。足の引っ張り合いだからさ」
「私、すぐ口が滑るから怖い……。もう誰ともしゃべらないようにする」
「そうだねえ、桜ちゃんは結構正直だよね。この前の研修の時も、ディベートで回答ずれてた奴をコテンパンに論破してたじゃん」
「そんなことした?」
「桜ちゃんは声が可愛いし、話し方が優しいから、冷静に反論されると逆に怖いんだよね。まあ、私はそこが好きだよ」
早紀ちゃんがにっこり笑ってくれたから、一人でも味方がいるならまあいいかと思うことにした。早紀ちゃんはあとから来た他の女子ともお喋りを始めたから、私は先に部屋に戻ることにした。明日がゼミだから、私は早めの新幹線で京都に戻って準備をしないといけない。
中庭を通るとき、私は少しだけ歩みを緩めた。昨夜と違って朝陽が降り注ぐその場所は、何故かキラキラしてるような気がした。
そこで、陽の光を浴びて立っていた宮燈さんは神様みたいに美しかった。
やっぱり弥勒菩薩かもしれない。拝んでおこう。
私を見つけた刹那に口角が上がる。
宮燈さんが笑った。一瞬だけど。
「橘部長、もう出社されたのかと思ってました」
「またしばらく会えないから、君を待っていた」
「私は午前中の新幹線で帰ります。何人かは東京で遊んでから帰るみたいですよ」
「君はいいのか?」
「ゼミが忙しいので」
私がそう言うと、宮燈さんが「そうか、頑張りなさい」と無表情で言い、歩き始めたからそれについて行った。
研修所はロータリーがあるが、そこに社用車が横づけしてあるのが見えた。玄関には宮燈さんを迎えに来たのであろう杉岡さんがいて、私を見るなり物凄く嫌そうな顔をした。でも、すぐにビジネスライクな顔に戻り、宮燈さんには「おはようございます」と挨拶をし、ついでのように私にも「おはよう」と言ってくれた。
杉岡さんは何もかも知っている。知ってて見守ってくれている。
私は嫌われてるけど、杉岡さんみたいな存在って有り難いんだなと思った。
「おはようございます、杉岡さん。いつもありがとうございます。昨日、無事内定を頂きました。これからもよろしくお願いします」
私がそう言って笑うと、杉岡さんがびっくりしたような顔をして、「あ、ああ。内定おめでとうございます。これからもよろしく」と照れていた。
面と向かって御礼を言ったことないからかなぁ。照れんなよっ、おっさん!
車が出て行くのを見送って部屋に戻り、私も帰り支度をする。疲れた。異様に疲れた。気疲れした。あと体も痛い。
帰りの新幹線で眠ってしまった私は、赤ちゃんを抱っこしている宮燈さんの夢を見た。疲れていたはずなのに、目が覚めたら何故かとっても幸せだった。
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