家庭訪問は恋のはじまり【完】
第8話 ブランコで……
週が明けて、月曜日。
嘉人くんが入学以来、最大のトラブルを起こした。
それは、昼休みの事。
うちのクラスの由亜(ゆあ)さんが、教室に駆け込んできた。
「先生、先生!」
何事だろう?と思いつつも、どうせ誰かが転んだとか、泣いてるとか、その程度の事だろうと思っていた。
「由亜さん、どうしたの?」
「礼央さんが、頭から血が出て、嘉人さんが押したから、泣いてて、だから、先生、来て!」
話は支離滅裂でよく分からなかったけど、頭から血が出てるというフレーズだけは耳に入ったので、私は、丸つけ中の算数のノートをそのままにして立ち上がり、廊下を急いだ。
保健室前まで来ると、うちのクラスの児童達が、「先生!」「夕凪先生!」と口々に連呼して手招きしてる。
中には今にも泣き出しそうな女の子も何人かいる。
私は、状況を確認したくて子供達をかき分けて、保健室に入った。
「石田先生!」
私は、泣きじゃくる田村礼央の頭を抑えて圧迫止血する養護教諭に声を掛けた。
「ああ、神山先生!」
養護教諭の石田先生は、顔を上げた。
「今、タクシーを呼んでもらいました。
頭を強く打ってるので、念のため、礼央さんを病院に連れて行きます。
保護者への連絡も事務の橋口さんがしてくださいました。
保護者の方は、直接病院にいらっしゃるとの事なので、向こうで落ち合います。
先生は、状況の聞き取りをお願いします」
ベテランの石田先生は、テキパキと指示をくれる。
私はその場にいる子供達に声を掛ける。
「この中で、礼央さんがけがをするところを見た子、いる?」
すると、何人かが、
「私、見た!」
「私も見た!」
と声を上げた。
「何があったのか、先生に教えて」
「あのね、礼央さん、ブランコに乗ってたの」
「うん。でね、嘉人さんがね、横からドン!
  ってしてね」
ドンって、何?
「嘉人さんが、ドンって、どうしたの?」
「押したの!
そしたらね、礼央さんが、ブランコから落ちてね、地面でゴンってなってね」
ゴンって…
「地面に頭をぶつけたって事?」
「うん。
そしたら、礼央さんが泣いてね、血が出てね、そばにいた5年生のサキさんがね、礼央さんを抱っこしてね、連れてきたの」
状況は何となく、分かった。
「それで、嘉人さんは?」
「逃げてる。
拓哉さんが追いかけてるけど、捕まらなくて」
「どこで?  運動場?」
「うん」
「分かった。ありがとう」
私は、それだけ言うと、靴を履き替えて運動場へ出た。
嘉人くんは、足が速い。
同じ1年生では、捕まらないし、万が一捕まえても、また手を上げないとも限らない。
私は運動場を見回す。
鬼ごっこをしてる子、ドッジボールをしてる子、いろいろいる中で、全力で走る嘉人くんを見つけた。
ま、あれだけ走った後なら、大丈夫でしょ。
私は走る。
子供の頃から、私も駆けっこは得意だった。
拓哉くんから逃げる嘉人さんの前に回り込んで挟み撃ちにして、あっという間に捕まえた。
私は、嘉人さんの手首を握って、校舎へ引きずっていく。
「離して!  やだ!  離せって!  離せ!」
嘉人くんは暴れるが、私は絶対に手を離さない。
もしかしたら、手首にアザができるかもしれない。
それでも、今、離す訳にはいかない。
興奮状態の嘉人くんは、他の子を傷つける可能性があるから。
私は嘉人くんを連れて、今日は誰も使っていない相談室へ入った。
「嘉人さん、座りなさい」
私は、出来るだけ静かに言う。
こちらが声を荒げれば、嘉人くんはますます興奮してしまう。
嘉人くんは、大人しくそこの椅子に座った。
「先生ね、嘉人さんに聞きたい事があるの。
嘉人さんは、何の事だか分かる?」
「……… 」
嘉人くんは答えない。
「嘉人さんは、何のお話か、全然分からない?」
俯いた嘉人くんは、首を横に振った。
「そう。分かるんだね。
何のお話だと思う?」
私は出来るだけ優しく聞く。
「……礼央さんの事」
「そう。礼央さんの事。嘉人さんは、礼央さんが、けがをしたのは知ってる?」
「……うん」
「どうしてけがをしたのかな?
  嘉人さん、知ってる?」
「……うん」
「じゃあ、教えて。
どうして、礼央さんは、けがをしたの?」
「……僕が押したから」
「そう。
嘉人さんが押したのね?
どうやって?」
「ブランコの横から、ドン!って」
「何で?」
「代わって!って言ったのに、全然代わってくれなかったから」
「そう。
それは、嫌だったね。でも、嫌な事されたら、押してもいいのかな?」
嘉人くんは、黙って首を横に振る。
「そうだよね。ダメだよね。じゃあ、何で、ダメなのに、嘉人さんは押したの?」
「…… 」
嘉人くんは答えない。
「嘉人さん
今ね、礼央さんは、お医者さんに行ったんだよ。
もし、頭の中にも血が出てたりしたら、礼央さんはそのまま入院するかもしれない。
もし、頭の中の大切なところをけがしてたら、もう治らないかもしれない。
そのまま、命まで失くすかもしれないんだよ。
嘉人さんは、礼央さんはブランコを代わってくれないから、死んじゃってもいいと思って押したの?」
嘉人さんは、首をブンブンと横に振る。
「そうだよね。
でも、嘉人さんはそう思ってなくても、嘉人さんがやった事は、礼央さんの命に関わるとてもいけない事なんだよ。
分かる?」
「……うん」
「じゃあ、嘉人さんは、まず、何をすればいいかな?」
「謝る?」
「そうだね。
でもね、それは、礼央さんが無事だった時にしかできないの。
分かる?
もし、礼央さんが嘉人さんのせいで一生治らないけがをしてたり、万が一、死んじゃったりしたら、嘉人さん、どうやって謝るの?
嘉人さんは、一生、ごめんなさいをしたくてもできなくて、ずっと苦しい思いをしながら、生きていく事になるんだよ。
礼央さんのお家の人は、一生、嘉人さんを許してくれなくて、嘉人さんは、一生、大っ嫌いって思われるんだよ。
それでもいい?」
嘉人くんは、ポロポロと涙を零しながら、また首をブンブンと横に振る。
「じゃあ、とりあえず、校長先生に何があったのか、お話に行こうね。
嘉人さん、いらっしゃい」
私は、嘉人くんの手を引いて校長室へ向かう。
校長先生に、嘉人くん同席のもと、今回の報告をする。
校長先生からも、また嘉人くんにお説教があった。
嘉人くんは泣きじゃくりながら、それを聞いて、「ごめっ…なさっ…ヒッ」としゃくりあげながら、謝った。
そして、嘉人くんを教室に帰した後、校長先生は、私に向かって言う。
「神山先生。
今夜、田村さんのお宅へお詫びに伺います。
私が行きますので、神山先生も同行してください」
「はい」
当然だ。仕方ない。
「そのあと、瀬崎さんのお宅へ家庭訪問してください。
今回のトラブルの説明をして、ご家庭でもお話をしていただけるようにお願いしてきてください。
その際、分かっていると思いますが、田村礼央さんの名前は出さないように。
こちらから田村さんの連絡先を教える訳にはいきませんから」
「はい。
ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
私は、頭を下げる。
「ADHDの子は全クラスにいます。
こういう問題は、いつ起きてもおかしくはありません。
だからこそ、注意してあげてくださいね」
校長先生は、静かに言う。
だから、余計に堪える。
「はい」
私はうなだれて、返事をした。
そのあと、努めて平静を装って、5時間目の授業をする。
5時間目、嘉人くんは、いつになく静かだった。
5時間目が終わり、1年生は下校する。
私は職員室に戻り、落ち着かないながらも、翌日の授業準備をする。
「夕凪先生。
きっと礼央くんは大丈夫ですよ」
武先生が隣の席から、優しく声を掛けてくれる。
「……だといいんですが」
嘉人くんが入学以来、最大のトラブルを起こした。
それは、昼休みの事。
うちのクラスの由亜(ゆあ)さんが、教室に駆け込んできた。
「先生、先生!」
何事だろう?と思いつつも、どうせ誰かが転んだとか、泣いてるとか、その程度の事だろうと思っていた。
「由亜さん、どうしたの?」
「礼央さんが、頭から血が出て、嘉人さんが押したから、泣いてて、だから、先生、来て!」
話は支離滅裂でよく分からなかったけど、頭から血が出てるというフレーズだけは耳に入ったので、私は、丸つけ中の算数のノートをそのままにして立ち上がり、廊下を急いだ。
保健室前まで来ると、うちのクラスの児童達が、「先生!」「夕凪先生!」と口々に連呼して手招きしてる。
中には今にも泣き出しそうな女の子も何人かいる。
私は、状況を確認したくて子供達をかき分けて、保健室に入った。
「石田先生!」
私は、泣きじゃくる田村礼央の頭を抑えて圧迫止血する養護教諭に声を掛けた。
「ああ、神山先生!」
養護教諭の石田先生は、顔を上げた。
「今、タクシーを呼んでもらいました。
頭を強く打ってるので、念のため、礼央さんを病院に連れて行きます。
保護者への連絡も事務の橋口さんがしてくださいました。
保護者の方は、直接病院にいらっしゃるとの事なので、向こうで落ち合います。
先生は、状況の聞き取りをお願いします」
ベテランの石田先生は、テキパキと指示をくれる。
私はその場にいる子供達に声を掛ける。
「この中で、礼央さんがけがをするところを見た子、いる?」
すると、何人かが、
「私、見た!」
「私も見た!」
と声を上げた。
「何があったのか、先生に教えて」
「あのね、礼央さん、ブランコに乗ってたの」
「うん。でね、嘉人さんがね、横からドン!
  ってしてね」
ドンって、何?
「嘉人さんが、ドンって、どうしたの?」
「押したの!
そしたらね、礼央さんが、ブランコから落ちてね、地面でゴンってなってね」
ゴンって…
「地面に頭をぶつけたって事?」
「うん。
そしたら、礼央さんが泣いてね、血が出てね、そばにいた5年生のサキさんがね、礼央さんを抱っこしてね、連れてきたの」
状況は何となく、分かった。
「それで、嘉人さんは?」
「逃げてる。
拓哉さんが追いかけてるけど、捕まらなくて」
「どこで?  運動場?」
「うん」
「分かった。ありがとう」
私は、それだけ言うと、靴を履き替えて運動場へ出た。
嘉人くんは、足が速い。
同じ1年生では、捕まらないし、万が一捕まえても、また手を上げないとも限らない。
私は運動場を見回す。
鬼ごっこをしてる子、ドッジボールをしてる子、いろいろいる中で、全力で走る嘉人くんを見つけた。
ま、あれだけ走った後なら、大丈夫でしょ。
私は走る。
子供の頃から、私も駆けっこは得意だった。
拓哉くんから逃げる嘉人さんの前に回り込んで挟み撃ちにして、あっという間に捕まえた。
私は、嘉人さんの手首を握って、校舎へ引きずっていく。
「離して!  やだ!  離せって!  離せ!」
嘉人くんは暴れるが、私は絶対に手を離さない。
もしかしたら、手首にアザができるかもしれない。
それでも、今、離す訳にはいかない。
興奮状態の嘉人くんは、他の子を傷つける可能性があるから。
私は嘉人くんを連れて、今日は誰も使っていない相談室へ入った。
「嘉人さん、座りなさい」
私は、出来るだけ静かに言う。
こちらが声を荒げれば、嘉人くんはますます興奮してしまう。
嘉人くんは、大人しくそこの椅子に座った。
「先生ね、嘉人さんに聞きたい事があるの。
嘉人さんは、何の事だか分かる?」
「……… 」
嘉人くんは答えない。
「嘉人さんは、何のお話か、全然分からない?」
俯いた嘉人くんは、首を横に振った。
「そう。分かるんだね。
何のお話だと思う?」
私は出来るだけ優しく聞く。
「……礼央さんの事」
「そう。礼央さんの事。嘉人さんは、礼央さんが、けがをしたのは知ってる?」
「……うん」
「どうしてけがをしたのかな?
  嘉人さん、知ってる?」
「……うん」
「じゃあ、教えて。
どうして、礼央さんは、けがをしたの?」
「……僕が押したから」
「そう。
嘉人さんが押したのね?
どうやって?」
「ブランコの横から、ドン!って」
「何で?」
「代わって!って言ったのに、全然代わってくれなかったから」
「そう。
それは、嫌だったね。でも、嫌な事されたら、押してもいいのかな?」
嘉人くんは、黙って首を横に振る。
「そうだよね。ダメだよね。じゃあ、何で、ダメなのに、嘉人さんは押したの?」
「…… 」
嘉人くんは答えない。
「嘉人さん
今ね、礼央さんは、お医者さんに行ったんだよ。
もし、頭の中にも血が出てたりしたら、礼央さんはそのまま入院するかもしれない。
もし、頭の中の大切なところをけがしてたら、もう治らないかもしれない。
そのまま、命まで失くすかもしれないんだよ。
嘉人さんは、礼央さんはブランコを代わってくれないから、死んじゃってもいいと思って押したの?」
嘉人さんは、首をブンブンと横に振る。
「そうだよね。
でも、嘉人さんはそう思ってなくても、嘉人さんがやった事は、礼央さんの命に関わるとてもいけない事なんだよ。
分かる?」
「……うん」
「じゃあ、嘉人さんは、まず、何をすればいいかな?」
「謝る?」
「そうだね。
でもね、それは、礼央さんが無事だった時にしかできないの。
分かる?
もし、礼央さんが嘉人さんのせいで一生治らないけがをしてたり、万が一、死んじゃったりしたら、嘉人さん、どうやって謝るの?
嘉人さんは、一生、ごめんなさいをしたくてもできなくて、ずっと苦しい思いをしながら、生きていく事になるんだよ。
礼央さんのお家の人は、一生、嘉人さんを許してくれなくて、嘉人さんは、一生、大っ嫌いって思われるんだよ。
それでもいい?」
嘉人くんは、ポロポロと涙を零しながら、また首をブンブンと横に振る。
「じゃあ、とりあえず、校長先生に何があったのか、お話に行こうね。
嘉人さん、いらっしゃい」
私は、嘉人くんの手を引いて校長室へ向かう。
校長先生に、嘉人くん同席のもと、今回の報告をする。
校長先生からも、また嘉人くんにお説教があった。
嘉人くんは泣きじゃくりながら、それを聞いて、「ごめっ…なさっ…ヒッ」としゃくりあげながら、謝った。
そして、嘉人くんを教室に帰した後、校長先生は、私に向かって言う。
「神山先生。
今夜、田村さんのお宅へお詫びに伺います。
私が行きますので、神山先生も同行してください」
「はい」
当然だ。仕方ない。
「そのあと、瀬崎さんのお宅へ家庭訪問してください。
今回のトラブルの説明をして、ご家庭でもお話をしていただけるようにお願いしてきてください。
その際、分かっていると思いますが、田村礼央さんの名前は出さないように。
こちらから田村さんの連絡先を教える訳にはいきませんから」
「はい。
ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
私は、頭を下げる。
「ADHDの子は全クラスにいます。
こういう問題は、いつ起きてもおかしくはありません。
だからこそ、注意してあげてくださいね」
校長先生は、静かに言う。
だから、余計に堪える。
「はい」
私はうなだれて、返事をした。
そのあと、努めて平静を装って、5時間目の授業をする。
5時間目、嘉人くんは、いつになく静かだった。
5時間目が終わり、1年生は下校する。
私は職員室に戻り、落ち着かないながらも、翌日の授業準備をする。
「夕凪先生。
きっと礼央くんは大丈夫ですよ」
武先生が隣の席から、優しく声を掛けてくれる。
「……だといいんですが」
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