冷徹御曹司の無駄に甘すぎる豹変愛

あいすらて

烏丸さんと2人でエレベーターに乗り、烏丸本社ビルの1階に下りる。
向かったのはハイブランドのブティックだった。
開店前なので窓にはカーテンが下りている。
男性スタッフがドアを開けて私たちを招き入れてくれた。
「社長。お久しぶりです。お待ちしておりました」
「無理を言って悪かったな」
「とんでもございません」

スタッフはにこやかに微笑んだ。
落ち着いた内装のフロアにはスタイリッシュな夏のスーツやワンピースが整然と並んでいた。

「素敵ですね……でも」

高そう、と心の声を飲み込めば、

「値段は気にするな。俺が買う」

エスパー烏丸が即座に言った。

「でも……」
「俺の横にダサい女を置いておくわけにはいかない。ゴミを道具に変えるプロジェクトの一環だ。つまりこれも仕事のうち」
私は口をぽかんと開けた。
「なんだ?」
烏丸さんが眉をひそめる。
「……いいえ……ありがとうございます……」
多分この人には、口を開くと毒を吐く呪いがかけられているのだろう。
触らぬ神にたたりなし。
しばらく口を閉じていよう。
「とりあえずこれを着てみろ」
烏丸さんはハンガーにかかったグリーンのスーツとブラウスを手にしていた。
私は唖然とする。今、めちゃくちゃ早くなかった?
いつ彼が服を見て選び、手に取ったのか、全然目視できなかった。
「ほら。来い」
スタスタと試着室に向かう彼の後を、少し遅れて着いていく。
烏丸さんはカーテンを素早く開けると、壁のフックにスーツとブラウスをかける。
試着室に入ると、
「着替えが終わったら見せろ」
答える間もなくシャッとカーテンがひかれる。
「は……い」
そう言いながら、私は内心感心していた。
ぶっきらぼうな言葉の反面、素早くとても優美な動きだった。
(無駄を徹底的に排除しているからだろうな……私とは全然違う)
日本を代表する企業のCEOと、未来が見えずに迷っている自分とを比べる方がおかしいかもしれないが、それでも……どうしても、焦ってしまう。
もたもたするなと言われるのが怖くて、私はそそくさと着替えを済ませ、試着室のカーテンを開ける。仁王立ちの烏丸さんが、眉根を寄せて腕組みをしていた。
「どう……でしょうか……」
おずおずと彼に尋ねてみれば、
「舐めてんのか」
プリザードのように冷えきった返事が返ってきた。
「え?」
彼は私の肩を両手で挟み込むと、くるりと鏡へ反転させた。背後から覆いかぶさるようにして、肩口に触れる。距離が近い。微かな香水の香りが鼻腔をくすぐる。ドキッ、とした瞬間、鼓動が早鐘を打ち始める。これは恐怖による心拍数の上昇だと、自分で自分に言い聞かせる。
「肩のラインがズレてる。ちゃんと着ろよ。服が泣くだろ」
真剣な眼差しで左右を整え今度は腰へ指を伸ばす。彼がほんの数ミリ布地をずらすだけで、明らかな変化が起きるのに私は驚いた。うんと洗練されて見えるのだ。まるで最初とは違う服を着ているみたいに。
洋服の上からとはいえ、体に触られているのに、ちっともいやらしい感じはしない。
恐らく烏丸さんの態度が明らかにプロフェッショナルだからだろう。
それなのに……。
鏡に映る烏丸さんの姿と、至近距離に迫るリアルな体に私は1人ドキドキしていた。
身長は恐らく180センチを超えている。腰の位置が高いモデル体型で男性にして細身な方だろう。
しかし私と並べば逞しく見える。肩幅も首の太さも全然違う……。
男と女なのだから当たり前ではあるのだけれど。
「これでよし」
うん、と大きく頷くと、烏丸さんはまた私を反転させた。1メートルほど距離を取り私の全身を舐めるように見る。

「……悪くはないが……ま、次だな」

今度はピンクのワンピースを渡される。
シャッとカーテンが閉まった瞬間、私はふう、と大きく息を吐いた。
(ドキドキした……)
鏡を見ると顔が真っ赤だ。これはただの仕事だというのに、変に意識してしまう自分が情けない。

「いいか。服は鎧だ。会社でどう振る舞いたいか、どんな女に見られたいか、これからはちゃんと考えて選べ」

外から烏丸さんが声をかけてきた。

(服は鎧……)

この魅力的なバリトンで紡がれる言葉は、いつもすーっ、と私の心に染み渡る。
血液に入って、体中を駆け巡る気がする。
スカイブルーのツーピースを身につけ、カーテンを開けると、烏丸さんの目が一瞬光った。

「その服はいいな。君の髪色、そして雰囲気に合ってる。君もそう思うだろう?」
「そ、う、でしょうか」

今まで着た物とどこが違うのだろうと、私は思わず首を傾げる。

「わからないのか?」

怪訝そうな顔でそう言うと、烏丸さんは私の髪にそっと触れ、長い髪束を背中へと移動させた。

「君の体型は典型的なウェーブ型だ。華奢で鎖骨から上のボリュームが足りない。そういう場合は、遊び心のあるデザインがいい。それに、パステルカラーは君の肌質に合う。ほらもっとちゃんと見ろよ」

蕩々と語られる言葉だが、間近に迫る彼の顔と頬に当たる吐息が気になって意味を咀嚼する余裕がない。

「このウェーブ、天然なんです。ストレートパーマをあてて短くカットするつもりだったんですけど……」

ドギマギしながらそう言うと、

「ウェーブとは髪のことじゃない」

烏丸さんは、うんざり顔で言った。

「後で自分で調べてみろ。これから必要になってくる知識だ」

彼の体が離れていく。
感じていた圧が遠くなり、奇妙な寂しさが胸をよぎる。

「よし。決まりだ」

烏丸さんは店員を呼び、試着したうちの何着かと、私の元着ていたスーツと靴を包ませる。そして、私のアパートへ送るよう手配した。



社長室に戻ると水上さんが待っていた。

「わあ。似合ってますね。より一層素敵です」
「ありがとうございます」

エレベーターで冷たくされた、と感じたのは気のせいだったのだろうか。
水上さんの態度は最初に感じた親しみやすいものに戻っていた。

「社長。倉田さんのエントリーシート、見ました?」
「いいや」
「かなり凄いですよ」

水上さんはノートパソコンを操作して、くるりと私たちにモニターを向けた。
私のエントリーシートの資格欄を拡大する。
 
「倉田さん、秘書課だったみたいで、とれる資格はほとんど1級。英検はまあ、2級ですけど、他にも色々。ね、ちょっとびっくりでしょ」

烏丸さんはモニターを覗き込むと両眼を見開く。

「……来い」

また、ちょいちょいと指で呼ばれた。
犬の気分でご主人様に近寄る。

「何か適当に打ってみろ」

そう言うと烏丸さんは椅子を引いてくれた。
モニターにはテキストエディタが立ち上がっている。
両手をキーボードに伸ばすと、烏丸さんと水上さんが正面から覗き込んできた。

「では、行きます」

ドキドキしながら指を走らせる。
しばらくパチパチという打鍵音が部屋に響き、烏丸さんが

「もういい」

と私を止めた。
顔を上げると、2人は驚いたような表情で私を見ていた。

「すごい速さでしたね」
「……ああ。想像以上に使えるかもな」
「ですね」

値踏みされているような会話だ。
私は気まずい気分で立ち上がる。

「定時までしごいてやってくれ」

烏丸さんが言うと水上さんはにっ、と笑って敬礼をした。

「了解です!」

そして私に向き直る。

「じゃ、とりあえず研修室に行きましょうか」



広い研修室には窓がなく、長机と椅子、ホワイトボードが置かれていた。
各種書類の記入が終わった後、水上さんによるレクチャーが始まる。
 
「ハンカチから船舶までっていうくらい、生活に必要な物やサービスを何でも扱うのが総合商社。その中でも、うちはアパレルと観光ジャンルに強いんです。とりあえず倉田さんは特別枠ですから手をお膝にでも置いて、社長の言いつけを守っていればいいです」

それでは心苦しいな、と思っていたら、すかさずフォローを入れられた。

「今まで秘書はいませんでしたからね。なんとかなっちゃうんですよ。とはいえ、倉田さんのスキルを眠らせとくのはもったいないから、そのうち指示があると思いますよ。気楽に待っててください」
「はい」

私は素直に頷いた。
まだ初日。
焦らずゆっくり落ち着いて行こう。
1時間ほど経つと水上さんは部屋を出て行き、缶ジュースを2つ手にして戻ってきた。

「水分補給です」
「ありがとうございます」

プルタブを上げて冷たい液体を喉へと流し込む。
久しぶりに頭を使ったせいか、ジュースの甘みが心地よい。

「さて、何か質問はないですか?」
「あの、今日のディナーってどういうことなのでしょうか? 会食か何か?」
「ああ。あれね。多分女避けです」
「女……避け……?」
「社長は見ての通りイケメンでしょ。しかも適齢期の御曹司。仕事振りは超有能。T大卒で8カ国語がペラペラな二十代後半の独身男性。ここまで揃うと結婚相手として女性たちから狙われるんですよ。で、困ってる」
「はあ……」
「倉田さんが美人だから、使えると思ったんでしょう。おそらく、言い寄られている女性か、元恋人かがディナー会場に来ているはずです。その人に倉田さんとの2ショットを見せつけるつもりですよ。ちなみに、社長の結婚観はハッキリしていて、会社にとってメリットのある相手、だそうです」
「……そうなんですか……」

水上さんの説明を聞いて、心がどんよりと落ちていく。
私は美人なんかじゃないし、女避けなんて荷が重い。
でも……いやだとは、とても言えない。

(洋服も買ってもらったし……)

「他に質問は?」

水上さんがにっこりと笑いかけてきた。

「あの……水上さんって、会長をタツキさんって呼んでますよね。皆そうなんですか?」
 「あ、それは僕の専売特許です。よし、今からその説明もしちゃいましょう」

水上さんは立ち上がると、ホワイトボードのキャップをあけた。

「僕はタツキさんの家で育ったんです。社長と一緒に」
「えっ……?」
「説明しますね」

水上さんはホワイトボードに図を書き始めた。

「僕の父は烏丸家の運転手をしてまして。妹と親子4人、烏丸家の敷地内に住まわせてもらってたんですよ」

烏丸龍樹、烏丸怜、水上正、と主要人物がボードに書き記されていく。

「社長と僕は同い年なので、よく一緒に遊んでいました。怜の両親も美形で……あ、プライベートでは今も怜って呼んでますよ。小中高、大学、職場まで一緒ですから。タツキさん呼びもそのせいです。6歳になった時、社長の両親が事故で亡くなって、それからは僕たち親子は烏丸家の中で暮らすようになりました。怜の遊び相手として」
「事故……」
「はい。怜はタツキさん……つまり祖父母に育てられたんです」

 タツキさんと烏丸さんの名前を赤いマーカーで囲み、一本の線で結びあわせた。

「タツキさんの奥さん、つまり社長の祖母にあたる方も病気で早逝されてますから、実質タツキさんが怜の教育を担っていました。とはいえ、屋敷内には使用人がごろごろいる環境ですから、普通のシングル家庭とは全然違いますけど」

そして水上さんはマーカーに蓋をし、私を見る。

「ここまでで何か質問ってあります?」

結構重い話でリアクションに迷う。

「烏丸さんは、タツキさんを会長って呼んでますよね」
「ああ。それね。タツキさんはあの通り、人間的な優しい人です。怜を心から愛している。でも怜はあの通り、心のない冷たいロボットみたいな人間だから会長を文字通りただの庇護者、そして権力者としてしか見てないんですよ。だから必要以上に丁寧に振る舞うし、堅苦しいし、猫をかぶる」

驚く私に水上さんは笑った。

「倉田さんだって知ってるでしょ。大勢の前でボコボコにされた被害者なんだから」

被害者……。

私はマジマジと水上さんを見た。
烏丸さんと同じ屋根の下で暮らし、兄弟みたいな存在のはずの水上さん。
その彼が、烏丸さんをロボットと言う。

水上さんは一気にボードの家系図を消した。

「倉田さんを雇ったのも、タツキさんに歯向かえば職を失うからです……今でもタツキさんの力は絶大ですからね。金持ちの血縁関係というのは複雑ですから」

ちょっと……重い話に心の中がもやもやする。

(本当に烏丸さんには心がないのかしら……)

確かに初対面の私を無駄のテンプレと呼び、今だって「ゴミ」だの「馬鹿」だの散々だ。
でも……。
挨拶回りで他の社員と触れ合っている時、社員たちの態度に怯えは全く見られなかった。あれは……怖い社長を怒らせないための芝居だったのだろうか。
そうは見えなかったけれど……。

「僕はタツキさんを尊敬してるんですよ。あんなに生き生きした70オーバーいないでしょ。僕や妹のことも自分の孫みたいに大切にしてくれた」

水上さんは深々と頭を下げた。

「タツキさんを助けてくれてありがとうございます」
「いいえ、そんな……」
「怜はお礼を言いました? 倉田さんに」
「えっ?」
「言わなかったでしょ」
「いいえ。言ってくださいました」
「本当に? じゃあ、怜も成長したんだなー。あ、ブレイクタイムなのに話し込んじゃいましたね。今から15分間本当に休んで下さい」

水上さんが出て行った後、私は病室での烏丸さんを思い出していた。

(ありがとうって……言われたっけ……?)

覚えてない。私は他人からの感謝を記憶するのが下手くそだ。
でも。
『俺にはお前が必要だ』。
その言葉は、ハッキリ覚えている。
瞬間、胸がどきん、と跳ねた。
私を未来へ運んだ言葉。
その言葉が、体中を熱くしていた。



コピー機の使い方にパソコンのパスワード設定、各種書類の整備、社員食堂や各課の場所の確認など、初日らしきあれこれをこなしているうちに、あっという間に定時になった。
水上さんのスマホが震える。

「あー、ほいほい。了解」

通話を終えた後、水上さんは私に向き直った。

「さてと。以上で今日の研修は終わりです。じゃ、3階にリードヘアという名前の美容室があります。そこに行ってください」
「美容室……ですか?」
「一人で行けます? 引率しましょうか?」

いたずらっぽい笑顔に赤くなる。

「いいえ、もちろん一人で行けます」
「じゃ、レッツゴーです。お疲れ様」



「あなたが倉田ひかりさんね。うーん可愛いわぁ。私は朝陽《あさひ》。怜の同級生よ。よろしくねん」

リードヘアに行くと、サラサラショートヘアの男性スタッフが、女性っぽいジェスチャーで私を出迎えてくれた。
妙にキャラクターが強い人だ。
こんなに口角のあがった笑顔、見たことない。

「よろしくお願いします」

私はタジタジになりながら頭を下げた。

「あなた、元ピアノ講師なんですってね。実は私、音大出なの」
「そうなんですか!?」
「メイクとファッションが大好きだからこの世界に飛び込んだけど、週末はバーで演奏したりもしてるのよね。良かったら怜と一緒に聞きに来てよ」

朝陽さんはニコニコ顔で、そのバーの名刺を渡してくれた。
顔写真にあるのは、女性……いや、朝陽さんだ。
かつらをかぶっているのか、黒髪ロングヘアに赤いスーツできめている。

「あ、私、女装が趣味なの。恋愛対象は女性なんだけど。じゃ、ぱっぱと脱いじゃいましょうか」

明るい笑顔で朝陽さんは言った。

「えっ?」

思わず後ずさる私を見て、朝陽さんは楽しげに笑う。

「んー、もう心配しなくても、ちゃんと女性スタッフにやらせるから大丈夫よん。さあ、みんな、腕によりをかけるわよ!」

それから私は洋服を脱がされ紙パンツ1枚の姿になり、体の隅々までを磨かれた。
仰向けにされ、うつむかされ、両手をバンザイの形に固定され、羞恥心に顔が赤くなる。
あまりのことに呆然としている中、パウダーをはたかれ、ヘアスタイルまで整えられ、とても素敵なワンピースに着替えさせられる。
白いハイヒールに足を通し、朝陽さんに片手を差し出され立ち上がる。

「ほらシンデレラの出来上がり」

体中にラメを振りかけながら、朝陽さんは笑った。
鏡の中の自分に、私は驚きを隠せない。
丁寧にほどこされたアイメイクは、元々大きめな私の目を倍ぐらい広げ、ファンデーションで整えられた白く艶のある頬にワンピースの淡いピンクが自分でも驚くほど似合っていた。

「私が私じゃないみたい……」

そう。いつもの10割増しは綺麗に見える。

「当然よ。この私が、チャームの魔法をかけたんだから」

朝陽さんは鏡越しにウィンクをした。

「ありがとうございます」
「ふふっ。あなたはよくお礼を言うわね。いいことよ」

朝陽さんは満足そうに頷くと、

「ほら、怜、どう?」

得意げな表情で横を向く。
その視線を追って首を傾け、私はその時初めて、こちらに近づいて来る烏丸さんの姿に気がついた。
フォーマルなブラックスーツに短めのタイ。
タイの位置を直している姿が男っぽく、ビジネススーツとは違う魅力が全身から溢れていた。
彼もこの店のどこかで着替えていたのだろうか。朝陽さんが退き、その場所に烏丸さんが入ってくる。鏡に私と烏丸さんのドレスアップしたツーショットが並ぶ。
王子が横にいるみたいで……胸の内側がきゅん、とする。
ただ立っているだけなのに、佇まいが常人とは違う。
胸が苦しくなるほど美しい人なんて生まれて初めてだ。
彼が私を見下ろして……私も鏡から目を離す。
見上げると、切れ長の瞳と目があった。
形のいい唇が動き、何を言われるか、想像してドキドキした。

「さすが朝陽。プロだな」

低い声がそう告げた。
驚いた後……ホッとする。

(そうだよね。ありきたりな褒め言葉なんて、この人が言うわけがない)

「んもう。怜ったらぁ! 相変わらずなんだからぁ! そこは私じゃないでしょ!」

朝陽さんが苦笑している。
しかし朝陽さんの技術力を評価した、ということは間接的に私を褒めてくれた、ってことだろう。

「……素敵ですね。烏丸さん」

私は小声でそう言ってみた。

「当たり前だ」

不遜な男は逆にムッとした顔になり、背後にいる朝陽さんがやれやれと肩を竦めている。

「行くぞ」
烏丸さんが背中を押す。
鼓動が更に速くなった。



タクシーで15分ほど街中を走り。
連れてこられたのは、都内でも有名な三ツ星レストランだった。
ドアの前でごくり、と唾を飲む。

「どうした?」

烏丸さんが振り返った。

「いいえ、その……やっぱりセレブな方々は違うなあと思いまして」
「はあ?」
「普通の夕食にも、ドレスアップするんだなあ、と」

ディナー、という特別な言葉を聞かされてさえまだ、私は普通の食事会を連想していた。慣れないハイヒールに、膝の裏がガクガクしている。頭の先から爪の先まで磨かれて、人生史上、最高に光り輝いているはずだ。
烏丸さんは呆れたように言う。

「んなわけあるか。時間は有限だ。飯食うだけにここまでしてたらやるべき事が疎かになる」
「そうなんですか?」
「当たり前だ。今日は特別だよ」

特別……。

(そうか。私は女避けの役割を演じるんだった。ここには烏丸さんの元カノが)

その事を思い出した瞬間、緊張のあめか胸の奥がきゅーっと絞られたように疼き出す。

「いらっしゃいませ」

ウェイターがドアを開けてくれる。

(どんな人なんだろう。元カノって)

毒舌家で自信家で、心がないロボットと言われる烏丸さん。
愛した女性の前では違う一面を見せる事があるのだろうか。
甘い言葉をかけることがあるのだろうか。

それなのに、気持ちが薄れたら別な人間を使って、遠ざけようとする。

(ロボットというより、やっぱり魔王だわ……)

ロボットはプログラミングされた行動しかとらないが、魔王なら頭の中で色々考えていそうだ。
たちまち気持ちが落ちてきた。
女避けなんて微妙な役柄を、本当にこの私が演じることできるのだろうか。
それに……一度でも愛した人にそんな仕打ち、冷たすぎる。協力しようとしている自分まで、ろくでもない人間に思えてきた。

「どうぞ。こちらへ」

ウェイターは赤い絨毯敷きの階段へと私たちを誘った。
烏丸さんがエスコートの形で私の手を取る。

「えっ」

突然のスキンシップに身を竦めるが、烏丸さんの行為には迷いがなくて、すぐに身を任せてしまう。エスコートの動きが板についているのだ。何から何までプロフェッショナル。

そしてたどり着いたのは沢山の花が飾られた、ゴージャスな内装の広いフロアで。
そこには誰もいなかった。

丸テーブルにつくと、烏丸さんの手が離れた。
ウェイターが椅子を引いてくれる。ドギマギしながら座ると、烏丸さんが「グラスを持って」と囁きかけてきた。
グラスを高く上げると、ウェイターからシャンパンを受け取った烏丸さんが、静かに注いでくれる。私は目を見開いて、その優雅な動きと厳かな表情、金色に弾けるグラスの泡を交互に見た。
全て注ぎ終わるとウェイターが烏丸さんのグラスにシャンパンを注ぎ去っていく。
素敵な部屋でドレスアップした烏丸さんは、王子様さながらで、心臓の鼓動が止まらない。

「今日一日で確信した。君は本当に変わってるな」

おもむろに烏丸さんは言った。

「どこが……? 私なんて人畜無害無個性なただのヘタレって言いますか……」
「自覚がないだけで、十分変人だよ」

烏丸さんはくすりと笑う。
「俺にボロクソ言われた後、初対面のじいさんと公園で遊ぶわ、病院まで付き添うわ、スキルがあるくせにビクついてるわ、君みたいな女は初めてだ」

「烏丸さんに言われたくないです……」
「なんで?」
「烏丸さんの方が私なんかより、よっぽど変わってます」
「当然だ。トップの人間が普通でどうする。変人ってのは俺にとって最大の褒め言葉だぞ」

「え?」

烏丸さんは真っ直ぐに私を見つめた。

「君が変人だったから会長は助かった」
「え?」

「高齢者の熱中症はかなりヤバい。その時は大した事がなくても、誰にも気づかれず放置されていたら危なかっただろう。俺にとっては恩ある人だ。あの人にはまだまだくたばってもらっちゃ困る」

私は意外すぎて、マジマジと彼を見つめ直した。
そんなこと……すっかり忘れていると思い込んでいた。

「助けてくれてありがとう」

毒しか吐かないと思っていた唇から、飛び出してきた感謝の言葉に、私の心臓は早鐘を打つ。

「変人の君に乾杯」

コツン、とグラスが打ち合わされる。
頭がまだ回らない状態で、条件反射のようにシャンパンを口にする。
パチパチと炭酸が口の中で弾け……私の心を切なく揺らした。


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