冷徹御曹司の無駄に甘すぎる豹変愛

あいすらて

7月、午後の貴賓館ホール。
客席はリクルートスーツ姿の男女で埋まっていた。
二階もほぼ満席で腕章をつけたスタッフが、座席難民たちをわずかな空席へと誘導している。
私は一階の後方、通路側に腰を落ち着けた。
スマートフォンの電源を落とし、改めて会場を見下ろす。
グループ参加が多いのか、あちこちで会話の花が咲いている。
学生時代、いくつか参加した会社説明会は、参加者はまばらで会場も地味だった。
さすがは老舗一部上場企業。心なしかどの人も賢そうに見える。

開始10分前のベルが鳴ると、ざわついていた会場がしん、となった。
コンサート前の静けさに似ている。学生時代はアルバイト代をためて、クラッシックピアノのリサイタルに行くのが楽しみだった。ほんの数年前だが、遠い昔の出来事みたいだ。あの頃を思い出し、条件反射みたいに胸が高鳴る。
照明が落ち、舞台袖からスポットライトに包まれた男性が現れた。長身で腰の位置がとても高く、高級そうなスーツを颯爽と着こなした姿は、映える、という言葉がぴったりだ。全体のバランスに対して顔はとても小さく、商社の社長というより、モデルか芸能人のように見える。SNSでつけられた「イケメンすぎるCEO」という渾名が納得の華やかさである。

彼は長いコンパスであっという間に中央の演台へと到達し、客席に向き直った。
観客席が再び明かるくなる。
 
「初めまして。烏丸商事社長の烏丸怜《からすまれい》です」

よく通るバリトンが力強く鼓膜を打つ。
私はこの声に会いにきた。



烏丸さんの存在を知ったのは、国営放送のドキュメンタリー番組だった。ちょうど1週間前、色々あって落ち込んでいた私は、抜け殻のような気分で、ぼんやりとテレビを眺めていた。

『四年前、烏丸商事TOPの座を引き継いだ、28歳の若社長ミスター烏丸。彼は元デザイナーとしてのスキルを存分に活かし、主要事業であるアパレル部門で過去最高利益を叩き出した! 恵まれた美貌に裏打ちされたカリスマ性とユニークな言動は各界から注目の的! 企画開発、デザイン、マーケティングまで、社長自ら全ての業務に携わる、こだわりの男にズームオン!」

ドラマティックなバイオリンのテーマ曲にテンションの高いナレーションがかぶさる中、カメラは烏丸さんのアップをとらえる。
整ったスマートな顔立ちだ。頭から首、頬、顎まで全てが綺麗なラインで作られている。
切れ長の目、高い鼻、そして薄く口角の上がった唇と、パーツ全ての完成度が高い。髪の毛は黒く艶やかで前髪が少し長くなっている。芸能人より華やかな人、というのがぱっと見抱いた印象だ。
洗練されたオフィスの中で、あるときは社員にゲキを飛ばし、あるときは何億という商談を秒速でこなす麗しい姿を、カメラは舐めるように追っていく。いかにも都会のエリートCEO、といった面持ちだ。
「すごいなあ。私と3つしか違わないのに……」
鬱々した気分がこみ上げてきて、ぎゅーっと抱えていたクッションに力を込める。
勤めていた音楽教室が突然潰れ、無職になってしまった私は進むべき道を失っていた。今は不景気で、会社が潰れるなんて普通にあることで、私だけが特別な不幸に見舞われたわけじゃないとわかっている。
それでも……暗い気持ちは否めない。

『若者たちに何か一言を』。
インタビュアーの要請に応え、彼は鋭い眼差しをモニターに向け言葉を発した。
そう。まさにこんな風に。

「今から未来の話をしましょう」

私はハッとして前を見た。
いけない。せっかく生で見ているのに、別なことを考えていた。
リアルに没頭できないのは勿体ない。時間を無駄にしているようなものだ。

集中しなきゃ。
烏丸さんは、宴台に両手を置き、活力のある声で話している。

  
「私が社長に就任し4年経ちました。我が社は新しいカラーに染まりつつあります。つまりここからが真の勝負。老舗というブランドにあぐらをかくことなく更なる上を目指し世界を牽引する。そのためにも高い志を持つ人材が必要です」

 昨年度の業績を軽く発表した後、烏丸さんはビジョンを語り始めた。
人差し指を天に立ててこう続ける。
 
「意思あるところに道は開ける。リンカーンの言葉です。会社も人も、志が何より大切。自分が一体何をしたいのか。会社に貢献できるスキルは何なのか。君たちは考えたことがありますか? ヒントをあげましょう。無駄とゴミ時間を徹底的になくし、やるべきことに集中する。これが成功への鍵です。どんなに長生きしたとしても、人の寿命はたった100年。そう。人生には限りがある。それなのにほとんどの人は、毎日を無駄なことに費やして時間をドブに捨てている。それではいくら足掻いても、自分の未来は掴めない」

彼の紡ぐ言葉には確実に力があって。
会場全体が、カリスマの魔法に痺れていく。
烏丸さんは再び演台に両手を置いた。
流れるようなパフォーマンスにうっとりする。
笑顔の使い方も計算され尽くしていて、自然に聴衆が前のめりになってしまう。
 
「今この瞬間も、時間は着々と流れている。実にもったいない。というわけで今から採用面接を始めようか。我こそはという人は手を挙げて」

そこで私ははた、と考え込んだ。 
面接?
 
一瞬意味がわからなかった。
 
舞台下に立っている腕章付きの男性が、両手でバツ印を作っている。烏丸さんはそれを無視して客席へおりた。つまりこれは予定調和ではなく突発的な行為らしい。
最前列にいる七三分けの大学生っぽい男性が手を挙げる。烏丸さんは微笑んだ。
 
「君は勇気があるな。素晴らしい。名前は?」
「北上拓也です」
「ここに来たってことは、当然我社に興味がある、ということだよな。君は烏丸商事のどこが好きなんだ?」
「は、はい……! 無駄を排した社風とブランド力、それから社会を変えていこうというビジネスマインドです」

七三分けの男性は息追い込んだ様子で言った。
烏丸さんは彼の肩をポンポンと叩く。

「すまない。ピンと来なかった。それくらいなら誰だって言える」

そしてこう続けた。

「しかしファーストペンギンになれたのは評価できる。本試験までに軸を決めておけ。希望はある」
 「ありがとうございますっ!」

不採用だったと言うのに、男性の顔は高揚していた。

(ユニークだなあ)

私は心の中で感心する。
烏丸さんのアイディアのおかげで地味で退屈と思われがちな会社説明会が、一気にスリリングなものへと変わっていく。
1人目のジャッジが終わって要領が掴めたからか、数人が手をあげる。烏丸さんは2人目に声をかけた。

「君はうちが第一志望か?」
「え…………は、はい」
「不採用」
「えっ」
「少し間が空いたな。嘘はこの世で最もコスパの悪い行為だ」
 
かなり流暢に情熱を語った人もいたが、それでも採用には至らなかった。
この即席の面接で選ばれるのは、よっぽど有能な人材だということだろう。


階段を上がってくる烏丸さんを見て、隣の女性二人が、どうしよう、と肩をつつきあっている。手をあげるかスルーすべきか悩んでいるようだ。
(チャレンジしようと思えるだけすごいわ)
もじもじしている二人に私は(頑張って)と心の中でエールを送る。
手を上げてアピールする、なんて選択肢は絶対にないから、私はここで余裕たっぷりに座っていられる。
選ぶ道が決まっていると気持ちが楽だ。
やるか、やらないか。
行くか、行かないか。
人生も、そんな風にわかりやすければいいのだけれど。
それにしても間近で見る烏丸さんの顔は、テレビで見るよりよっぽど綺麗だ。整えられたさらりとした黒髪に、すっとした鼻と切れ長の鋭い目。唇は薄く形がよい。全体的にクールなイメージで「高嶺の花」と言われてしまうタイプだと思う。遠くで眺めて崇められる、みたいな。私なんて絶対に話しかけられない。
なんとなく心がざわついて私はふと髪の毛に手を当てた。
緊張した時に取ってしまういつもの癖。
露骨に見すぎてしまったためだろうか。
階段を登る烏丸さんと目があった。
 
「……白いスーツにウェーブヘアの君」
 
私は口をぽかんと開け、次の瞬間髪の毛を触った行動が手を挙げたように見えてしまったということに気がついた。

「わ、私ですか?」

驚きながら自分を指差す。 
 
「そう。君だ」
 
烏丸さんはうなずくと、さらにこちらへ近づいてきた。焦った私は慌てながら「はいっ!」と大きく返事をして立ち上がり、ちょうど横に来た彼と並ぶ形になった。

「いいお返事だな。一瞬小学校に来たかと思ったぞ」

烏丸さんが言い、会場はどっと湧いた。

「す、すみません」

慌てて座ろうとすると、

「そのままでいい」

烏丸さんに止められる。

私は真っ赤になりながらも彼を見上げた。
傍らに立つ彼は体幹がすわり、遠目より背が高く、多少背中を仰け反らせないと目が合わない。
ピリッとした緊張感と圧倒的なオーラが至近距離に迫ってくる。
値踏みするような厳しい光が目の色に宿っている気がしたのは……いきなり当事者になってしまった人間の被害妄想だろうか。
心臓がバクバクいっている。
こほん、と軽く咳払いをし、烏丸さんは言った。
 
「君の名前は?」
「倉田《くらた》ひかりです」
「君はここにいる大半の女性たちと毛色が違う。気付いていたか?」
「え……?」
 
周囲をざっと見回してみる。
黒か紺のリクルートスーツ、そしてショートボブの女性が多い。

「髪と服装でしょうか?」

恐る恐る尋ねれば「正解」と烏丸さんは頷いた。
 
「俺が社長になってからロングヘアの女性は一人も採っていない。髪の手入れで貴重な時間が削られるからだ。そこで一つ質問したい。なぜ君は数あるヘアスタイルの中からそれを選んだ?」
 
今までとはパターンの違う質問だ。
 
「ロングヘアだと、子供たちが喜ぶので、いつの間にか……あ、私、一ヶ月前までピアノ講師をしていたんです。倒産して今は就活中ですが」 

相手の意図を探りながら慎重に答える。

「転職組のピアノ弾きか。音大出身か?」
「いいえ……短大の秘書科でした」
「ほう。ではピアノは趣味だったんだな。仕事にしようとしたきっかけは?」

意外にも烏丸さんは、私の経歴に興味を持ったらしい。

「学生時代にアルバイトをしていまして、そのまま正社員の声がかかりました」
「なるほど。能力が認められたってことだな」

彼は興味深げに続ける。
 
「実は幼稚園のとき一ヶ月だけピアノ教室に通ったことがある。あそこまで難しい習い事はめったにないな。まず右手と左手が違う動きをするのが信じられない」

烏丸さんは柔らかな笑顔で微笑んだ。

よかった。
ピアノが私の窮地を救ったようだ。
このまま何事もなく終わって欲しい。
そもそも私はこんな大企業に就職できるかも、なんて甘い夢は見ていない。もし採用になったとしても、辞退するレベルだ。
恥さえかかなければ、それでいい。
烏丸さんの目の光が和らいでいく。

「では君に質問する。君は我社に、どんなメリットを提供できる?」

やっと面接らしい質問が飛んできた。
私は『安心してください』という心の声を貼り付けた笑顔で答える。

「……すみません私、手をあげたつもりはなくて……ここには見学に来たんです」

烏丸さんの目が、一瞬、不穏な色に変わったのを……その時の私は気付けなかった。

「この間、御社のドキュメンタリーを見たんです。烏丸さんのおっしゃった言葉に感銘を受けて……もう一度あなたのお話を聞けば、進むべき道が見える気がしました。ただそれだけだったんです。本当に紛らわしいことをしてしまってすみません」

正直な気持ちを伝えているのに、烏丸さんの眉間には深い皺が刻まれていく。
何か私、失敗した? と流石に気付くが理由が思い浮かばない。
烏丸さんは薄い笑顔を浮かべたまま、私だけに聞こえるくらいの小声で言った。

「全く……こういう人間が一番たちが悪い」
「え?」
「前言撤回だ。脳のない真面目はただの馬鹿だ」

声に含まれたはっきりとした刺が、わけがわからないまま、私を刺す。
驚いて彼の顔を改めて見る。
さっきまで纏っていたCEOらしき礼儀正しさは消え、その目は冷ややかなものへ変わっていた。
 
「ピアノみたいな無駄なものに没頭できたのも、君が馬鹿だったからだろうな」
 
(……え?)
 
急変した彼の態度に戸惑いを隠せず立ち尽くしていると、烏丸さんはこの上なく冷ややかな声で尋ねてきた。
 
「あのドキュメンタリーを見たなら当然わかっているだろう? 俺がもっとも大切にしているものは何だ?」
 
勘違いじゃない。彼の声には苛立ちが含まれている。
 
「時間……です」
 
ゴクリ、と唾を飲みながらそう答えた。
 
「その通り。君は今俺の時間を3分以上無駄にした」
 
烏丸さんは体を起こして、両手を広げ周囲を見回した。
 
「ピアノなんて、この世で最も無駄な物だ。毎日地味な修練をこなして、プロになれるのはほんのひと握り。大半が趣味前提でマネタイズの余地なし。あんなものに時間を投資するのは、無駄の極みだ」
 
頭の中がクラクラしてきた。
おそらくは、ここにいる全員が唖然としている中、彼は朗々とした声でこう続けた。
 
「いい音楽を聴きたいなら優れた演奏家の音源を繰り返し聞けばいい。芸術なんてAIに任せろ。君は幼い頃からピアノの練習を続けてきた。だが、音楽教室が潰れて路頭に迷っている。俺に言わせれば当たり前だ。楽器に費やす時間は無駄でしかないと、俺はわずか4歳の時に気がついたぞ」
 
彼の唇に薄く浮かぶ笑み。
それが嘲笑だと気がついた瞬間、ゾッとした。
ホールは水を打ったように静まり返る。
 
「そして今も無駄なことに時間を費やしている。二時間ここにいてどうする。道なんてもんはな、人に見つけてもらうんじゃなく自分自身で見つけるもんだ」
 
ぴしゃりと、冷酷に言い放つ烏丸さんの顔は、恐怖を覚えるほどに美しく。
 この人は人間じゃない。檻から放たれた獣……いや、魔王だ、と心の声が私に囁く。
私は天国に向かおうとして魔窟に飛び込んでしまったのだ。

「社長……」

背後からスタッフが来て、烏丸さんの肩を叩く。
さっき舞台下で烏丸さんにばつ印を送っていた人だ。
彼は気の毒そうに私に視線を向けた。同情されている……たちまち顔が熱くなった。

「じゃ、次」

烏丸さんの視線が私からそれる。
もう、私との対話は終わってしまい、言い返すことも、弁解することもできなくなった。
ここにいると多分息が出来なくなって死ぬ。
唐突に私はそう悟る。
 
「失礼します」
 
彼の横をすり抜け、出口に向かう階段を小走りに進む。
 
「さようなら。無駄のテンプレートさん」
 
背後から嘲るような声がして……私は唇を噛み締めた。


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