非公開日記

文戸玲

夫の非公開日記⑨~人は失敗する生き物だ~


令和二年 九月十二日 土曜日

 怒りがぶり返してきた。
 今日は休みで土曜日だというのに木曜日の疲労感だ。家に帰ると妻の目つきで仕事に疲れた精神がやすらぐかさらに追い打ちがかけられるかが決まってくる。しかし,休日ですらこれなのだ。私の寿命は確実に削り取られ,白髪は増えていく一方だ。ここ数年で増えた私の白髪を集めたなら,容易に新品の毛筆用の筆を作り上げることが出来るだろう。
 話は突然変わるが,人は過ちを繰り返す生き物だ。人並みに年数を生きているとそのことが分かる。実際私は何度もガスを点けっぱなしにするし,頼まれたことも忘れている。ただ,このことは私に限ったことではなく,多くの人間が同じような性質を持っているのではないか。生きるということは忘れっぽさに辟易し,反省し,時には笑う。なんと人間らしいではないか。そしてその性質は妻の方だって持っている。言ったことを忘れることだってあるし,ソファで寝ては起こされても起きずに後悔している。恐ろしいのは,「やっちゃった。どうして起こしてくれないの? お風呂から上がったときに起こしてくれたらよかったのに」と本気でぷんすか怒っていることだ。無論,私が風邪をひきそうで腰を痛めそうな寝方をしている妻を放っておくはずはない。激高しないように細心の注意を払いながら,「お疲れさま。今日は疲れたね。お風呂あがったよ。もう入る? それとももう少しゆっくりする?」などと言って優しく肩をさすって語りかけているのだ。まるでお姫様に話しかけ召使いのように。そのことを必死に伝えて弁解すると,「それは起こしたとは言わない。人が起きて初めて起こしたっていうの」などと自分勝手で傲慢極まりないことを言ってのける。今どき姑ですらそんなわがままは言わないのではないだろうか。私の周りに嫁姑問題で悩まされている人は一人もいないから実際のところどういう状況なのかは一切分からないのだが,この妻に勝る姑がいるというのならお目にかかりたいものだ。きっと蛇のように冷たい目をし,蜂のようにするどく鋭利で深く刺さって全身を駆け巡る毒の言葉を吐くに違いない。私はその人の下で修業を重ねたい。
 ずいぶんと話がそれてきたが,妻は今晩も言った。「あー,起こしてくれたらよかったのに。どうして自分のことばっかりするの。まだ洗濯物も済んでいないのに」と。人は失敗する生き物なのだ。だから許そう。妻がこのような発言をしたことを。私は琵琶湖のように寛大な心でそれを受け止め,富士山の頂上で日の出を眺めているときのような表情で「ごめんね」と言う。ぐちぐちと言いながら脱衣所へと向かう妻をしり目に,洗い終わった食器拭きを再開する。
 共同生活をするということは,ただ日照りにも家が流される豪雨にも動じない根のしっかり張った大山の如く耐え忍ぶことなのだ。

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