非公開日記

文戸玲

妻の非公開日記⑧~言われたことしかできないのか~

 
令和二年 九月七日 月曜日
 
 世間をにぎわす記録的な台風が接近している。これだけニュースで騒がせているため新聞を読む習慣のない私にさえその警戒感は伝わってくる。いわんや新聞を毎日穴が開くほど読んでいる夫をや。それにしても無神経さと無防備さにはあきれ果てるばかり。こっちの心が安らぐこともない。せめてもう少ししっかりしていてくれたなら多少は目を瞑ってやろうという気もさすがの私でもしないでもない。ただ,ほんの少しでも先を見通して行動することはこの男には求めてはならぬ事なのだ。たとえほんの少し,ミジンコほどの大きさでも。

 「今日から本格的な台風が最接近するみたいだから,気を付けてね。あと,風に備えて日よけのシートとかもベランダから取り入れておいてほしいな」
と最大限に目じりを下げて赤子をあやすように優しく言うと
「そうだな,今日から本格的に風が強くなりそうだし,対策しておかないとな」
なんて言って颯爽とベランダへと向かっていった。いろいろと気を利かせてやってくれるだろうと期待してはいけないと思っていながらも,どこかそわそわしてしまう私。そして後悔するのが世の常,いや,我が家の常だ。仕事へと出ていった夫を玄関先で見送り,家のことを済ませて私も仕事へと向かう。玄関に出ると,バケツは出しっぱなし,自転車は起こしたまま。ため息をついて作業をして,ふと見上げるとベランダには物干し竿がそのままになっている。何しにあいつはベランダに出たんだ。目的は何だったのだ。日よけのシートを片付けるのが目的ということもあったのかもしれないが,台風が来るからその備えをするのが大切なことで,その中の一つに日よけのシートを取り込むことが挙げられたのではないのか。本当に言われたことしかできないでくの坊なのだろうか。

もう知らない。

わざわざ家に戻る気にもならず,台風が直撃する訳ではないのだからと半分投げ槍の気持ちでそのまま仕事へと向かった。
 地獄の入口へと入ったばかりだったことにはあとで気付く。
 仕事から帰宅してベランダを見上げると,物干しざおはそのままそこにあった。そのことが少しだけ私の気持ちを楽にさせた。
 旦那の帰りを待ちながら夕食を作っていると,待ってもいない旦那が帰宅した。(もはや自分の文章を見返しても訳が分からない)部屋に入ってかばんを投げるなりベランダへと向かった。そして叫んだ。どうしたのと一応ベランダへと向かうと、旦那が割れた鉢を抱えてべそをかいていた。

何それ。声にならないつぶやきを聞き取ったらしい旦那は「この前買ったんだ・・・・・・。高かったのに。三万円!!」と悲痛な叫びを放ったが,盆栽なのかサボテンなのかすら分からない私は哀れに思うこともなく再びこの男に絶望した。お前は言われたことしかできないのか。本日二度目だ。心底イライラする。この広い世界を見渡しても,私ほどハイペースでお前は言われたことしかできないのかと感じる女は珍しいのではないだろうか。いや,私以外いないに違いない。私は今後の身の振り方について真剣に考えなければならないかもしれない。

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