【コミカライズ】寵愛紳士 ~今夜、献身的なエリート上司に迫られる~
「ここで抱かせて」4
その日、昼食も取引先の接待で済ませたため、結局日中に雪乃への連絡はできなかった。代わりに最速で仕事を終わらせ、部下の進捗も滞りないと確認し、午後六時に終業して会社を出る。
とにかく彼女に電話だ、と目をギラギラさせながら駅へ向かう。
晴久は雪乃のことで頭がいっぱいで、習慣になっていたはずの眼鏡とマスクすらつけ忘れていた。
電車が来るまであと数分、晴久は待ちきれずにスマホを操作し、耳にあてた。
呼び出し音が鳴っている。祈るような気持ちで待っていた晴久だが、いっこうに彼女は出ない。
(雪乃……)
もちろん料理や入浴をしていて着信に気付かない可能性は大いにあるが、今まで彼女が電話に出ないことはなかった。
晴久は彼女は今回出ない選択をしたのでは、という予感がし、心臓が重苦しく揺れていた。
電車に乗ってもその鼓動は収まらず、ガタンゴトンという揺れとは別にドクンドクンと胸が痛む。
座る気にはなれず、ドア付近の吊り革に掴まり、足を棒にして立ち尽くしていた。
(会って話がしたい。今夜会わなきゃダメだ)
ショックで我を忘れそうだったが、解決へ向けて何度も冷静になろうとした。
会えばなにかが変わるはず、そんな希望を持ち、電車を降りた。
彼女のアパートへ向かう前に、駅のロータリーでもう一度電話をかけてみる。
(……出ない)
絶望的な気分になりながらフラフラと駅から歩きだした。
ときどきすれ違う人が顔を覗き込んでくる。彼は相変わらず夢中でそれどころではなく、素顔を晒していると気付かなかった。
アパートが見えてきたところで、電話ではなく彼女からメッセージが来た。手に持っていたスマホが震え、晴久はすぐに確認する。
【すみません。お風呂に入っていて出られませんでした。なにかありました?】
きちんと返事をもらえてとりあえず安堵した。本当にお風呂で気付かなかっただけなのでは、そんなかすかな希望を取り戻す。
ここで電話をかけ直してもよかったが、まるで急かしているようでよくないと判断し、同じくメッセージを返す。
【様子が気になったから話したいんだけど、会えないかな】
送信を押すとちょうど彼女のアパートに到着し、エントランス近くで返事を待った。許可がもらえたらすぐにここにいると伝えるつもりである。
返事は一分後にきた。
【会うのは難しいのです。すみません。電話でもいいですか?】
(なんで!?)
返信を確認し、また絶望に襲われる。勘違いではない、やはり避けられている。
電話には出るというのだからもうかけてやる、と晴久はなりふり構わず通話をタップした。
『は、はい。すみません』
雪乃はすぐに出た。
「どうして会えない?」
ズバリ、単刀直入に尋ねた。電話の向こうで『それは……その……』とボソボソ話す声がしている。晴久はここは強引にいこうと覚悟し、強い口調で話した。
「なにか不満があるならちゃんと言ってほしい。今、雪乃のアパートまできてるんだけど」
「ええっ!?」
彼女の戸惑った声がした後、電話からもアパートのそばからも、バタバタと走ってくつを履く音がした。晴久は雪乃の部屋の扉へ目を向ける。そこには、恐る恐る扉を開けた彼女の姿があった。
「晴久さん……!?」
彼女は電話を切ると、すぐに階段を降りて晴久のもとへとやってくる。パジャマ姿だったが、丈の長いカーディガンを羽織って隠していた。
彼女がエントランスまで降りてくると、内側のセンサーでドアが開いた。
「ごめん。突然来たりして」
雪乃は言葉を失っていたが、彼の姿を見てギョッとする。
「晴久さん……眼鏡とマスクはどうしたんですか?」
目もと口もとを順々に指し示し、晴久に尋ねる。彼は「あ」と短く反応した。
「忘れてた」
「ダメですよ!  忘れちゃ!」
雪乃は誰かに見られてやしないかと、外をキョロキョロと見渡した。
そんな彼女の様子に首をかしげる。
晴久はここまで来れば家に入れてくれるのではと期待していたが、手短に終わすつもりでいる雪乃はアパート横の歩道で立ったまま「それでどうしたんですか?」と尋ねた。
「電話でも聞いたけど、会えない理由が気になって」
「それは、その……いろいろとやることがあって……」
「雪乃。俺は好きな人が嘘をついているかどうかくらい、分かるよ」
厳しい口調で責めると彼女はハッとした顔をし、晴久は「ね?」と緩めた。
晴久に迷惑をかけたくない、雪乃はその一心で距離をとっていた。
ここまで追いかけてきてくれるとは予想しておらず戸惑っているが、それほど愛されているのだと気付き、うれしくも切なくなる。
(会社で広まっていると晴久さんにも話すべきかもしれない。でももし、噂になるくらいならやっぱり付き合うべきじゃなかったと思われたら……)
晴久と別れる覚悟ができず、彼女は理由を話せなかった。
それならば黙ったまま、距離を置いて沈静化するまでやり過ごせないか、と卑怯な考えをしてしまう。
「俺が悪かったのは分かってる。ごめんね」
しかし彼に頭を下げられ、雪乃は「へっ?」と混乱した。
「負担をかけて、無理をさせていた。毎晩キミを泊めて、あんなに好き勝手に抱いて。嫌になったよな」
突然これまでの夜の営みに言及され、雪乃はたまらず赤くなった。慌てて否定しようとするが、否定するからには本当の理由を言わなければならず、それが思いつかない。
「いえ、そ、それは……そのっ……」
言葉に詰まって下を向く。
ああやっぱり、とショックを隠せない晴久は、外にも関わらず彼女の頭を抱き寄せた。
「ひゃっ」
「ごめん……もうしない。雪乃がその気になるまで、なにもしないから」
言い聞かせるようにつぶやく彼は必死だった。目を閉じ、彼女の頭に頬を寄せる。
「許してもらえるまで手は出さない。ベッドに入っても我慢する。だから距離を置くのは勘弁してくれないか。連絡もしてほしいし、今まで通り会ってほしい」
彼の祈るようなお願いにドキドキが止まらなくなった雪乃は、抱きしめられながら心臓が破裂してしまいそうだった。
「頼むよ雪乃。こんなの耐えられない……」
(晴久さんっ……)
あまりの言葉に感激してたまらず、雪乃も抱きしめ返そうと彼の背に腕を回そうとしたが。
晴久の背後から自転車がやってきて電灯に照らされると、ハッとした。
慌てて彼の体を離し、「ダメですっ」と叫ぶ。
「……雪乃?」
自転車は通りすぎていった。乗っていたのは買い物中と思われる中年の女性。
しかしまた会社関係者に目撃されたら……とゾッとした雪乃は、晴久から離れて「ごめんなさい」と言い残し、エントランスへ走り去った。
残された晴久は「雪乃っ」と声をかけるが、エントランスを閉められてしまったためこれ以上は追ってもどうしようもない。
その場に立ち尽くし、彼女を追って宙に浮いていた腕を戻した。
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