【コミカライズ】寵愛紳士 ~今夜、献身的なエリート上司に迫られる~

西雲ササメ

「連絡を取るのは控えましょう」4


雪乃のことを思い出し、胸が痛くなった。
突き放すメッセージを送ったが、彼女からそれに対しての返事は来ない。

連絡するなと送ったのだから来なくて当然だが、どんな様子か気になって仕方がなかった。


(傷つけてしまっただろうか)


晴久は胸が痛くなるが、どうにもできなかった。彼女が社員だったという事実を知ると焦りがこみ上げ、平静を失って遠ざけるメッセージを送っていた。

どうしても、五年前の事件がフラッシュバックする。


「あーあ、いいなぁ課長、俺も一度でいいから岩瀬さんみたいな美女から告白されてみたかったなぁ」

「静かにしろ」


廊下で名前を出す小山を晴久は肘で小突く。
ちょうどそのとき、女性社員が突き当たりからこちらへ曲がってきた。

眼鏡にマスク。晴久はそれが雪乃だと分かると、小山に肘をあてたまま固まった。


「お」


小山だけが短く声を出し、首で雪乃を追いかける。

雪乃はふたりになにも言わず、視線も合わせずに、会釈だけをしてすれ違っていった。

晴久は足早に廊下を去っていく彼女の背中を目で追うが、なにも声を掛けることはできず、彼女が角を曲がるまでジッと見つめるだけだった。


「知ってますか課長、今の細川さんっていうんですけど」


彼女が去ってから突然そう切り出した小山に、晴久は「えっ」と声を漏らす。

小山はさらに声を潜め、内緒話をするように晴久に顔を寄せた。


「彼女。いつも地味だし、顔が見えないんであんまり知られてないんですけど、結構いい子なんですよ」

「……そ、そうなのか?」

「毎日早く来て仕事してるし、早朝に内線かけても出てくれるんで営業部は助かってます。レスポンスも早いし、なに頼んでも嫌がらないでやってくれるんで、俺らの間じゃ電話かけて細川さんが出ると当たりなんですよ」


たしかにいい子だった、晴久も同感だとうなずく。


「……それに実はあの子、めっちゃくちゃ美人らしいんです」

「なっ……」


晴久は初めて小山の噂話に身を乗りだし、「なんでそんなこと知っているんだ」とすごい剣幕で尋ねた。
ガクガクと彼の肩を掴んで前後に揺らす。

小山も圧倒されながら「それは」と続けた。


「俺、総務に彼女がいるんですよ。相葉皆子っていうんですけど、知ってます?」

「知らん」

「そ、そっすか……。で、皆子が細川さんと結構仲良いんですけど、素顔を見たことあるんですって。清楚で上品で、少し童顔だって言ってました。そんなん俺、下手したら岩瀬さんよりタイプだったりするかも」


腹立つ顔でポッと赤くなる小山に、晴久は呆然とした。


「……お前、彼女いるんだろ」

「あ、はい。まあ一番のタイプは彼女って言ってますよ。怒られちゃうんで。でもそれはそれ、これはこれっすよ」


軽い小山に呆れつつ、晴久は「だが」と付け加えた。


「あまり言い触らさない方がいいんじゃないか。なにか理由があって、本人が隠しているのかもしれないだろう」


ここまで言っては不自然ではないかと不安になった晴久だが、口止めしておかなければ雪乃の身が心配になった。


(それに、あまり他の男に彼女の素顔を知られたくない)


自分の本音に、気づかないふりをする。


「さすが課長、鋭い!  細川さんが顔を隠しているのには、実は深ーい理由があるんです。教えてあげますけど、秘密にしてくれます?」


だから言うなと言ってるだろうがと腹が立ってきた晴久は「いい」と断るが、言いたくて仕方ない小山は逃がさない。


「トップシークレットですよ。細川さんが皆子にしか話してない、重要機密。聞かなくていいんですか?」


すでに知っている晴久は仕方なく足を止めた。


「手短にしろ」


小山はニヤニヤしながら、おネエのように手の裏を添えて耳打ちする。


「実は、男性恐怖症なんですって」


ほら知っている、と晴久はため息をついた。


「そんなことか」

「問題はそのきっかけですよ。ストーカーに夜道で後をつけられたことがあって、そのまま、襲われちゃったらしいです」

(……襲われた?)

「あ、襲われたと言っても、未遂だったらしいですよ。でも玄関を閉める前に押し入られて、脅されて。隣の住人が気付いたから助かったんですって」


軽快な小山とは対照的に、ドクン、ドクン、と心臓が鳴り、冷や汗が出る。


「……そ、それで?」

「それから暗闇と男がダメだとか。顔を隠しているのも男避けです。かわいいのにもったいないですよねぇ。そのストーカー男、死刑ですよ死刑。あ、この話マジで秘密ですよ?  皆子は俺だから話したんですから。俺も、口が固ーい課長だから話したんですからね」


晴久は神妙な顔で口を覆った。

小山の「高杉さん聞いてますー?」という問いかけも耳に届かない。

雪乃の説明はすべてではなかった。
晴久は、昨夜の、泣きながら震えていた彼女を思い出した。

襲われた事実についてだけ隠していたのは、おそらくそれはまだ彼女の中で消化しきれていないということ。

気持ちを落ち着けて頭を整理し、晴久はスッと冷静な表情に戻すと、小山を睨んだ。


「……おい。その話は彼女のプライバシーに関わる。例え俺にでも軽々しく話すべきじゃないだろう。よく考えろ」

「え?  あ、はい。すいません……」


彼女のトラウマは予想以上に影を落とすものだった。

誰かに守ってもらえることもなく、ひとりで暗闇に怯えて、素顔を明かすこともできず、恐怖ゆえ男を頼ることもできない。

そんな雪乃の孤独を考えると、晴久は可哀想でならなかった。


『是非今度、昨日のお礼がしたいです』


なら、あれは彼女なりのSOSだったのでは。

誰にも頼れなかった雪乃にとっては昨夜のことは特別で、これからも晴久を頼りたいという期待が込められていたのかもしれない。それを無下に切り捨ててしまった。


(……なにをやってるんだ、俺は)


晴久は彼女を傷付けたことを自覚すると、後悔に苛まれた。


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