世界実験開始 

クロム

第一章 その9

「……殺すのか……」
 今回は、公平に命を賭け合う戦場ではない。その状況で殺すことは、ただの虐殺だ。
 だが相手の殺意が強ければ強いほど、手加減はできなくなる。
「────」
 波が向かってくる方向を探りながら、涼河はゆっくりと歩き出す。
 波は相変わらず、リズムを崩さずにこちらへ向かってきている。
 どうやら、敵はまだ涼河に気づいていないようだ。
「はぁぁ…………」
 右手をナイフ程度の刃に変え、何度も脳内でシミュレーションを繰り返す。
 狙うは相手のアキレス腱、次いで首元。     
 足の自由をなくし、倒れかかったところを後ろから支える形で捕まえれば、戦闘にはならないはずだ。
 ──気づくな。
 涼河は強く祈る。
 着実に近くなっていく距離。大きくなっていく呼吸の波。
 敵はきっと、この茂みの先にいるはずだ。
「っ────!」
 涼河は地を蹴って瞬間的に加速。茂みを抜ける。
 そして目前に現れるであろう敵兵士をすぐに視認し、相手に反応の隙を与えぬまま、一気に足元を──、
「──っ!?」
 いない。どこにもいない。
 そこにいるはずだった敵の姿は、涼河の視界には映っていなかった。
『どこだ? どこにいる?』
 茂みを抜け、広がっていた空間に一歩を踏みだす。
 刹那、涼河は今考えられる可能性の全てを洗い出す。
 森の中に突然現れた野原。この何もない空間の中で、成人男性が姿を隠せるはずがない。
 だとすれば、敵は涼河の気配に気づいて逃げたのか? いや、どこから茂みの揺れる音はしていなかった。
 それか、まだ視認できていないだけなのか? だがこの広い野原に、死角なんて──、
「──きゃっ!」
 声が響く。女性の声だ。かなり近いところで聞こえた。
「──あ」
 その声の主は、飛び込んだ涼河のすぐそばにいた。
「────」
 突然の何者かの襲撃に驚き、頭を抱えながらこちらを見る、一人の女性。
 両者の視線が、まっすぐぶつかり合う。
「がっ!」
 涼河は勢いを止められず、全身を地面に叩きつけながら転がった。
「だ、大丈夫ですか!?」
 少女はまた驚き、大の字で倒れる涼河に駆け寄る。
「痛ってぇ……大丈夫です。気にしなく──」
 涼河は言葉を失った。
「──どうしたんですか?」
 否。失ったのではない。目を奪われたのだ。
 彼女が持つ、透き通った青い目の美しさに。

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