僕と彼女のアヤカシ奇譚

ひよこ

壱 運転中のボクとネコ









 これは彼女と付き合いたてでその上、運転免許もとりたてだった頃の話です。


 皆様ご存知の初心者シールを車にはっつけて、僕は彼女を連れてドライブへと出かけました。洒落たデートがしたくて地元から1時間くらいかかる海へと行ったんですよ。僕もたまにはやるでしょう?


 わいわいきゃいきゃいと青春を楽しんだあと(これは省略しますが)日も暮れるので、じゃあそろそろ帰ろうかということになったんです。そしてまあ、問題はその帰り道に起こりまして。


 帰りの車で彼女がすごーく眠そうだったんです。それはもう可愛らしく目を擦ったりなんかして。まあ、あれだけはしゃぎ回ったら疲れるのも仕方ないです。僕はそれを見て男らしく「着いたら起こすから寝ていていいよ」だなんて言ったんですよ。


 それを聞いて彼女はありがとうと、眠りにつきました。よっぽど疲れていたのかほんの一瞬で寝息をたてはじめたのです。ただ一言「黒猫を見掛けたら必ず起こしてね」と言葉を残して。



 意味不明でした。なんのこっちゃ?


 彼女は多分寝ぼけていたんだろうな、と考えて僕は車を動かしていたわけです。


 出掛けた先の海というのが車で1時間とはいえ、少し辺鄙なところにあったんです。帰り道に山道を通らなくちゃいけなくて。


 行きは木々の間からキラキラ輝く海が見えるので、それはもう絶景だったんです。だけど日が沈んだあとの山道は暗くて鬱蒼としていてなんともいえない不気味な雰囲気が漂っていました。おどろおどろしい空気とはまさにこのことです。


 チキンな僕は言わずもがな恐怖に震えたわけですが、今は助手席で愛しの彼女がすやすや可愛い寝顔を見せています。男して怖がるわけにはいきません。ここは腹をくくって車を走らせます。


 彼女を起こさない程度に、静かに音楽をかけながら山道を走っていたんです。懐かしの名曲カーペンターズをメドレーで流しながらね。


 愉快な曲調に僕は先ほどの恐怖なんてすっかり忘れていました。もちろん彼女が発したあの一言も。


 曲が僕の大好きな『Yesterday once more』に切り替わった時です。


 ブツリ。


 歌の第一声が入るか入らないかくらいの時に音楽がいきなり切れたのです。つまり僕はイントロしか楽しめなかったわけです。


 故障かな? とは考えたのですが、最近買ったばかりの新車(買ったのは父ですが)。欠陥車でない限りそんなはずはありません。……多分。


 いくつかボタンを押したりしましたが、うんともすんとも動かないのです。一度電源を切って、もう一度入れました。今度はザーザーという雑音しか流れません。ラジオに切り替えても雑音以外の音はしません。音楽がないのは悲しいですが、僕は諦めてそのまま車を走らせました。


 彼女はすっかり隣で眠りこけています。超絶キュートな寝顔です。あまりの可愛さに躍り出しそうです。普段しっかり者でしゃきしゃきとした表情しか見せない彼女も寝ている時は穏やかです。


 ちなみに彼女は弓道部でいつも弓を射るときは真剣な顔で的を見ます。僕はそんな彼女に一目惚れしたわけです。彼女はクレオパトラが泣いて逃げ出すほど美しいのです。


 一目惚れした時の場面を思いだし、僕はハンドルを握りながら頬が緩むのを感じました。







 その時です。僕が異変に気付いたのは。


 エンジン音と走行している時の風の音に混ざって何か奇妙なものが聞こえるのです。何の音かは全く判断出来ませんでした。


 車に何か引っ掛かっているのかもしれないなあ。


 そう考えてブレーキをかけました。車はゆっくりと止まります。その瞬間、その奇妙な音の正体が分かりました。















 ニャー。

 





 猫でした。真っ黒で艶々と光る毛並みを持つ黒猫でした。黒猫は道沿いにある大きな岩に腰掛けて満月に向かってニャーニャーと鳴いていました。


 猫に良い思い出はありません。小さい頃から犬には好かれるのですが、猫にはどうやら嫌われているようでよく噛みつかれたり引っ掛かれたりしたものです。


「なんだ、猫か。驚かすなよー、まったく。びっくりするじゃんかー、あはは」


 本当はさっきの音が猫の鳴き声でないことは分かっていました。もっと何かをぎーぎーとひっかくような音でした。でもそうでも思わなくてはやってられません。



 僕はエンジンをかけました。ブロロと音が立ちます。


「にゃー」


 エンジンの音に被せてまた鳴き声。……ん? なんでこんなにはっきりと聞こえるんだろう。隣では愛しの彼女が眠っています。いくら可愛くても彼女は寝言でにゃーにゃー言いません、多分。


「にゃーにゃーにゃー」


 鳴き声は後ろから聞こえます。しかしバックミラーを見ても後ろには何もいません。


 まさか、とは思いながらも僕は恐る恐る後ろを振り向きました。


「にゃー」


 振り向くと後部座席で一匹の黒猫が毛繕いをしていました。

 
「ひっ……!」


 僕は堪らず声にならない悲鳴を上げました。確かにその行動は愛嬌があるといえばそうかもしれません。


 だけど考えても見て下さい。暗闇の中、どこから入ったのか分からない猫が後部座席に我が物顔で座っているんですから。しかも、この猫バックミラーには映らないんですよっ。……いや、黒猫だから見辛いだけかもしれないですけど。


 暗闇の中で猫の金色の瞳が妖しく光ります。猫はもう一度「にゃー」と鳴きました。泣きたいのはこっちです。この不可解な現象は一体何なんでしょうか。


 ふいに黒猫の金色の目が僕を捉えました。その瞬間黒猫は飛び上がり、全身の毛を逆立て僕を睨み付けます。猫のシャーシャーと言う声に僕のチキンな心は大パニック寸前です。



 カリカリカリカリカリカリ。


 背後から妙な音がします。僕は後部座席の猫に隙を見せないようにしながら後ろを振り返りました。


 ああ、僕はもう気絶してもいいでしょうか。そこにはフロントガラスいっぱいの猫、猫、猫! しかも皆が皆黒猫なのです。


 サイドの窓を見ると黒猫が何匹もわらわらと車に近付いてくるのが見えました。皆、満月に照らされて目が妖しく光っています。


 ちなみに言い忘れていましたがこの車にはマタタビも猫じゃらしもはたまたネズミ一匹も乗っけていません。


 しかし、黒猫達はどこから湧いてくるのか次々と現れます。木々の間から岩の影から草むらの中から。


 車を無理矢理に出そうかとも思ったのですが、きっとそんなことをしたら黒猫を数匹は轢いてしまいます。それは僕の良心が許しません。


 やがてさっきまで可愛らしい声を出していた後部座席の猫はだんだんと僕を威嚇、フロントガラスは黒猫で埋め尽くされ、車の周りはこれまた黒猫だらけ。これほどに心臓が止まりそうなシチュエーションはないでしょう。しかし冷や汗は止まらない。


 もう涙目ではすまないです。僕が半べそをかいた時でした。


「もう、だから起こしてって言ったじゃない」

  







「うげあっ」


 彼女です。しかし、突然聞こえた声に不覚にも僕はかなりのオーバーリアクションと共に変な声を上げてしまいました。しかもその上吃驚しすぎて上げた肘がクラクションを鳴らしてしまうという失態。


 いつの間に起きていたやら、彼女は僕を見てにっこりと微笑みました。それはもう黒猫なんて頭からぶっ飛ぶくらい可愛らしいものでした。


「まったく満月の夜は隙を見せたら駄目よ。はーくん」


 はーくん、僕の呼び名です。うん、なんて素晴らしい響き。これ以上にこの世に素晴らしく甘い音色があるものか。


「シャーシャー」


 その鳴き声で僕の桃色ピンクな脳ミソは一瞬にして現実の恐怖と向き合いました。


 猫達が僕を睨み付け全身の毛を逆立て威嚇しています。目は月の光を反射して金色に鋭く光ります。こわひ。


「さて、これをどうにかしなきゃね」


 彼女はいつもの調子で呆れたように周りを見ました。どうやら彼女はこの状況に何の恐怖も抱いていないようです。チキンな僕とは違って。


 いきなり彼女は冷たい声で高らかに言い放ちました。


「……さぁ、あなたたちはあなたたちの居場所へ帰りなさい。これは私の獲物よ!」


 彼女は『これ』と言いながら僕の汗ばんだ首根っこをつかみました。え? 何、どういうこと?


 僕は訳が判らないままでしたが、黒猫達は彼女の言葉を聞くとすごすごと逃げていきました。後部座席を振り返るとさっきの猫はもういなくなっています。


「これでもう大丈夫。まったくはーくんはツカレヤスイから黒猫達に嫌われたり食べられそうになったりするのよ」


 ツカレヤスイ?


「疲れやすい?」


「そう、憑かれやすいの。気付いてなかったの?」


 あれ、僕、体力には自信があったはずなんですけど。


「うん、気付いてなかった」


「じゃあこれからは気を付けなきゃ駄目よ。……まあ見ていて楽しいからいいんだけれど」


 疲れやすいと黒猫に嫌われるなんて初めて聞いた。そういう訳で小さい頃から黒猫と相性が悪かったのか。なるほどねえ。


 僕の素敵な彼女はとても物知りです。


 
「じゃあ帰りにウチ寄っていこっか。有り合わせで良いならなんか美味しいもの作ってあげる」


 彼女は垂れ気味の目を更に下げて微笑みました。なんて素敵な提案なんだ!


「うん、行く行く。行きます!」


 僕はエンジンをかけました。ちなみに僕のテンションもフルスロットル。彼女の手料理は男の夢ですよねっ。


 僕は彼女の家を目指して車を走らせました。最後に猫の鳴き声が聞こえた、……気がします。



***


 この時の僕は自分がツカレヤスイ――憑かれやすい体質だということに気付いていませんでした。今考えると僕はなんとすごい思い違いをしていたのでしょう。まさに能天気な考えしか持っていなかったのです。そして思ってもみなかったのです。


 まさか、この先とんでもなく非現実的な日々が待ち受けているなんて、ね。


 

 



 

 



 

コメント

コメントを書く

「ホラー」の人気作品

書籍化作品