Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―
monologue,2 初恋を拗らせたシューベルト《1》
「わたしでよければ、シューベルトの愛人になってあげる」
ようやく手に入れた初恋の相手に、「愛人になってあげる」と言われた俺は、どうしてこうなったんだ、と思い悩んでいた。
* * *
ネメの夫であった須磨寺が死んだ際、葬儀の場で土地とピアノを買い取った旨を再会したばかりの彼女に告げた。葬儀の前に調律師として一度顔を合わせてはいるが、あのときのネメは俺のことをアキフミだと思っていなかったし、俺も彼女を須磨寺の奥様と呼んでいる。
正体を明かして真っ向からぶつかってきた俺に、メネはたいそう驚いていたが、拒絶はしなかった。
本来なら死別後の再婚を示唆して、すぐさま俺と結婚するよう伝えるはずだった。民法上は百日の制限と呼ばれるものが存在するが、彼女が妊娠している可能性が皆無ならその制限は無効になるからだ。
けれどもメネはその場で、夫と過ごした土地とピアノを守るために自らが愛人になると宣言してしまった。
もう二度と、結婚などしないという彼女の想いに気づき、戸惑った俺は、彼女の想いを踏みにじってまで結婚を提案することができなかったのだ――…‥
死んだ須磨寺を慮っての愛人発言だとわかっていたが、俺は無性にムシャクシャしてしまった。
彼女が自分から愛人になると俺に言ったのだ、それなら上げ膳据え膳、いただくのが男というものである。
寝室に連れ込んで、喪服姿の彼女を裸に剥いて抱いた。無垢な彼女を強引にひらいた俺は、亡き夫が与えなかった悦びを彼女に味わわせたかったが、はじめての彼女は痛みしか感じなかったらしい。翌朝、俺だけが亡き夫を出し抜いた一時的な満足感を得ていた現実を知り、愕然としてしまった。
次は気持ちよくしてやると言ったら「最低」と返されてしまった。それ以来、どうすればいいかわからず、彼女に軽くふれることしかできないでいる。ほんとうならもっと深く愛したいのに。
彼女をこれ以上傷つけたくないと自信喪失中の俺は、その後は蛇の生殺し状態で、毎日を同じ寝室で過ごしているのだった。
* * *
初恋の彼女と約束した「シューベルトの妻」という言葉に縛られていたのは、俺の方だったのかもしれない。ピアニストの娘として華々しく音大在学中からデビューし、世界へ羽ばたきはじめていた鏑木鳴音。彼女に寄って来るハイスペックな異性も大勢いたのではなかろうか、そう考えていたが、ネメは処女だった。添田が「白い結婚」だと言っていたのは真実で、すぐにでも結婚できる
ことが判明した。ただ、愛人でいることを選んだ彼女に心の整理をつけさせるためにも民法上の目安である百日はこの状況を我慢しようと、俺は心に決めたのである。
最初の夜に抱いた彼女は、高校時代の健康的な体つきからは考えられないほど、細く、女性らしいものへと変化していた。両親を亡くしたショックでガリガリに痩せた彼女の痛々しい姿はテレビ画面越しに何度も見ていたが、三年が経過したいまもほっそりとした体つきのままで、ちゃんと食事をしているのだろうかと不安に思ってしまったほどだ。
けれども彼女は軽井沢で健康的な暮らしをしていると言っていたから、俺の心配は杞憂だったらしい。ピアノを弾くための筋力はずいぶん落ちてしまったようだが、趣味で弾くぶんにはぜんぜん問題ない。むしろ、軽井沢に来てから見た彼女は気負っているところがなく、精神的にも落ち着いているようだった。悔しいが、軽井沢で過ごした須磨寺との穏やかな日々が、彼女を癒やしてくれたのだろう。
はじめての夜を過ごした朝に「愛の挨拶」を弾いたのは時期尚早だったかもしれない。
あれは身分違いの恋人たちが、両親の反対を押し切り結ばれたときの喜びを捧げた曲だ。俺はネメにきちんとした求婚すらできていない。身体だけでも繋げられればあとはどうとでもなる、などという双子の弟たちの助言はまったくもって役に立たないことを思い知っただけだった。
当然だ。彼女の心は亡くしたばかりの夫に傾いているのだ、本来なら時間をかけてゆっくり俺の方へ導く必要がある。
……だというのに、俺の厄介な立場がそれを許さない。
――紫葉不動産グループの子会社たる紫葉リゾートの新社長は、前妻の娘から地位を奪った平民の後妻の息子だ。得体のしれない若造が社長になるとは、何事だ!
義父は俺が独断で義姉を陥れ、紫葉リゾートの肩書を譲らせたことに疑いを持っている。義姉が買い取り予定だった“星月夜のまほろば”だけでなく管理人の邸宅とピアノまで買った俺の暴挙に釘を刺してきた。これ以上ピアノを購入する資金はないぞ、と至極当然のことを。
管理人の屋敷はともあれ、三台のピアノまで会社の経費で購入するとは思いもよらなかったのだろう。とっとと売りに出せと言われたが、ネメが大切にしていたピアノを売ることなどできるわけがないと俺は頑なまでに拒み、義父から匙を投げられた。
広大な別荘地に五棟しかない古びたログハウスなどとっとと潰して、年中無休の箱物で手っ取り早く利益を回収したい義姉のやり方に反旗を翻した俺は、社長になりながらも異分子扱いを受けることになった。それ以前から高校中退後に短大を出て調律師専門学校に入った不可思議な学歴を揶揄されたり、母子家庭に育った生まれを蔑まれることが多々あったので俺からすればたいしたことではないのだが、この状況を憂えた母親が余計なヒトコトを義父に告げたのだ。
――息子がピアノに固執するのは、初恋の女性の面影を追い求めているから。結婚して身を固めればすこしは落ち着いてくれると思うの。ねぇ、誰かピアノを嗜まれている未婚女性を紹介してくださらない? 上層部の方の娘さんとか、古くからあなたの会社にいらっしゃる関係者ならなおさらいいと思うわ。どこの馬の骨かわからない若造を支えてくれる運命の女性を社長夫人にしたら、グループ内の抗争も解決できて一石二鳥じゃない?
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