白昼夢さんはそばに居たい

Raito

第十一話:二人目の初恋少女

 八月六日水曜日。


 夏休みの課題に手をつけていると、魚住さんが家にやってきた。
 なんでも、彼氏の部屋の抜き打ちチェックだとか。


「先輩、なーんにも面白いのがないよ」


「人の部屋に面白さを見出すのがおかしいと思うけど?」


 ベッドに座って足をバタバタとさせる魚住さん。
 完全に緊張感というものが感じられない。
 まるで、自分の部屋でくつろいでいるようだ。


「つーまんないー!」


 なんだろう、この子は初めて会ったころから随分と性格が変わってしまった。
 最初会った時は物静か、その次に明るく。
 そして今に至っては駄々っ子のようになってしまった。


「あー!一つ忘れてた!」


 魚住さんはそう言うと、ベッドの下を覗き込んだ。


「薄い本を探さないと!」


「だからないって!」


 琴音が居るからそういう本は買えないっていうのに!
 いや、買わないけど!


「んー、なんかあった…!」


 すると、猫の唸り声が聞こえた後、シャッと明石が出てきた。
 魚住さんは涙目になって、手を見つめる。


「痛い!」


「魚住さん…」


 魚住さんの手には、明石の爪痕が。
 うわぁ、結構ざっくり行かれたなぁ…。


「消毒液持ってくるよ」


「うん、お願い…」


 テレビの下にある戸棚の上の段の左。
 そこには薬品やら絆創膏やらが入っている。


「お兄ちゃん、どうかしましたか?」


「魚住さんが怪我したんだよ」


「お兄ちゃんが怪我させたんですか!?カップル解散の危機!?」


「僕らは別れないよ。明石が引っ掻いちゃって」


「そういえば、まだ爪を切ってませんでした!明石ー、爪を切りますよー」


 琴音が呼びかけると、何故か明石は琴音の膝に飛び乗った。


「大変です、動けません!」


「はい、爪切り」


「ありがとうございます、お兄ちゃん!」


 満面の笑みを振りまいた後、琴音は明石の爪を切り始めた。


 少なくとも、僕は別れる気は無い。
 魚住さんだって、きっとそうだろう。


 何せ、魚住さんから告白してきたんだから。


「いてて…」


「動かないで」


「だって染みるもん…」


 僕は魚住さんの手に消毒液をかけて、その上から絆創膏を貼った。
 魚住さんは涙目でこちらを見つめる。


「…ありがと」


「どういたしまして」


 にしても、この子が彼女になってくれてほんとに嬉しい。


 白状しよう。魚住さんはかなり人気だ。
 なんでも、大人しい感じがそそられるらしい。
 顔だっていい、それでもって小柄。
 うん、ストライクゾーンど真ん中である。


 って!何気持ち悪い事考えてんだ、僕!


「面白いことがないから、外に行こうよー!」


「しょーがないなぁ」


「やったー、デート!」


 デート…か。
 今まで、二人で居ることもあった。
 でも彼女というだけでこんなにも捉え方が違うとは。


「どう…?変じゃない?」


「…可愛いと思うよ?」


 薄い色のサングラスをかけた魚住さん。
 魚住さんの母方はイギリス人の家系らしい。
 目が青くて、それ故に日本人の黒や茶色の目なんかよりも眩しく感じられるのだとか。
 なのでこのようなサングラスを随時持っている。
 学校では我慢してるらしいけれど、プライベートでは専ら掛けている。


 それが原因で少しクラスで浮いている。
 というか、女子とはあまり上手くいってないらしい。
 だから友達が白澤さんくらいしか居ないのだとか。


「ふんふふーんふふーん」


 魚住さんはとてもご機嫌のようで、鼻歌を歌っていた。
 僕とデートしているから…かも?
 いやいや!自意識過剰過ぎ!
 たまたま機嫌がいいだけなんだ!


「せんぱーいーこっちこっち!」


 魚住さんはこちらを振り返って笑った。
 ミンミンと蝉の音が鼓膜から脳に、次第に響いていく。


「行先は?」


「デパート!」


 デパート…か。


 僕らはデパートにやってきた。
 ひんやりとした空気が体を包む。


「何するの?」


「本を買いたくってさー、ついでに服も」


「また服…?」


 琴音の件もあって、服を買うのにちょっとしたトラウマがある。
 だが、そんな僕に気も使わず、魚住さんはどこ吹く風。


「彼女に振り回されるのなら、本望でしょ?」


「…それもそうだね」


 僕みたいな消極的な性格な奴には、彼女みたいな活発系?な性格の女子がお似合いなんだろう。
 だって、振り回されでもしないと外に出ようなんて思えないから。


「ところでさ…?」


「何?」


 悪びれもせず、屈託もない笑顔を浮かべる魚住さん。


「自分の水着くらい自分一人で決めなよ」


「先輩に選んで欲しいの!」


 何故だ、何故に僕は女性用の水着売り場にいるんだ!


「もう学校の水着でいいでしょ」


「良くない!あんなの個人情報だだ漏れだし、それ以前に可愛くない!」


「僕は別にいいと思うけどな…」


「先輩…」


 僕は包み隠さずそう告げた。
 しかし、何やら魚住さんの目が冷たい。


「そういう趣味?」


「ちちち、違うよ!」


「えー、でもさっきべつにいいって…」


「それは…君には、どんな水着でも似合うかなって思った。それだけだよ」


 すると、何やら魚住さんは黙りこくってしまった。
 覗き込むと、顔が火を吹きそうなくらいに赤くなっている。


「ど、どうしてそんなこと言うの…」


「だって、魚住さん可愛いし、スタイルもいいし、きっと似合うよ」


 そう、魚住さんは小柄な割にはスタイルがいいんだ。


「そ、そういうこと、あんまり言わないで!」


 魚住さんは小声で、「嬉しいけど、恥ずかしいよ…」と言った。


「じゃあなんて言って欲しいのさ」


「可愛い…かな」


「言ったけど?」


「だから、嬉しいって言ったじゃん!」


 あー、確かに言ってた。


 それよりもだ、今は魚住さんに最も似合うような水着を探さなければ。


「これとかどう?」


「先輩はそういうのが好きなの?」


 ジト目でこちらを見つめる魚住さん。
 それは、僕が布地が少し少ないビキニを選んだからだろう。


「試着してみるね」


「う、うん」


 魚住さんは足速に試着室に向かった。
 数分後…。


「おまたせー」


「どうだった…って、うわぁ!?」


 試着室から魚住さんに話しかけられたため、振り返ると水着を着ていた!
 ん…?でも待てよ?水着の下にも何かあるような…。


「魚住さん、その下にあるものは何かな?」


「あぁ、下着だよ。さすがに直で着るのは許してもらえないからね…って、先輩。何見てるの?」


「何も見てないよ!?」


 いや、そもそも付き合ってまもない彼氏に下着を見せる方がおかしい!


「先輩、どう…かな?」


 魚住さんは少し顔を赤らめながら、こちらを見つめる。
 僕は率直な感想を述べた。


「似合ってるね」


「ほんと!?じゃ、これにしよっと!」


 そう言うと、魚住さんは勢いよく試着室のカーテンを閉めた。
 宣言通り、彼女はその水着を購入した。


「次は本だね。何を買うの?」


「人間失格。最近授業で読んだら案外面白くてさ」


「てっきり漫画とか雑誌だと思ってた」


「古き良き作品もいいものだよ?先輩」


 それは否定しないけれど、なにか意外だな。
 結局、古そうな本の中から人間失格を引っ張り出してレジで会計を済ませた。


「先輩ー、何か食べてこー?」


「まぁいいけどさ。何食べるの?僕も一緒に食べるから」


「んー、パフェ!」


「あれって結構並ぶんじゃないの?それにボリューミーだよ?」


「うん。だけど食べたいの!」


「しょうがないなぁ…」


「やったぁ!」


 案の定、人はかなり並んでいた。
 それも女子ばっかり。
 インスタ映えするってやつなのかな?
 琴音に聞いたら「ハエがどうにかしたんですか?」と返された。
 しょうがないか、インスタどころかなんのアプリもしてないんだし。
 そもそも携帯を持っていない。


「ごめんねー、奢ってもらっちゃって」


「別に気にしてないよ」


「このお礼は必ず…体で返すから」


「せめてお金で返してよ…」


「えー、後輩の彼女から金巻き上げるんだー」


「そういう意味じゃなくて!」


 魚住さんは悪い笑みを浮かべて、こちらを見つめる。
 なんか、この子のキャラが掴めなくなってきたな…。
 が、そんな笑みは長く続かず、直ぐに次の話題に話を摩り替えた。


「そう言えばさ、加古川の花火大会、いつだっけ?」


「もうそろそろだよ、確か今週の日曜日」


「誰かから誘われたりした?」


「いや…あ、でも豊岡さんからは琴音とライブに来て欲しいって言われてる。なんか祭り会場でやるんだってさ」


 魚住さんは「ふーん…」と返して、それからまた僕を見つめた。
 いや、さっきみたいな目じゃない。本気で人を軽蔑している目!


「先輩、それでなにかそれ以外に言われなかった?」


「んー、特に…あ、でもステージが終わったらなにか…って言われたけど」


「完全にお誘いじゃん…」


「お誘い?」


 お誘いって…。
 デート!?


「そんなわけないじゃん!」


「あるの!」


 魚住さんは、唐突には叫んだ。
 目じりには涙も浮かべている。


「あるんだよ…」


 掠れて消えそうな声で魚住さんはそう言った。
 自分のことではないのに。豊岡さんの事なのに。
 この子は、真剣に僕に訴えていた。


「なんで、分かるのさ…」


「…私も、同じだから」


「同じって?」


「そのくらいは…自分で考えてよ」


 自分で考える、か。
 他人の考えなんてわからない。
 それは魚住さんだって同じはずだ。


 でも、この子は真剣に訴えてきた。
 豊岡さんの全てを知っているように。


 魚住さんはゴシゴシと目を擦って、赤くなった目で微笑んだ。


「そんなわけだから、先輩から誘えば?」


「…彼女のお願いなら仕方ない、よね」


「そそ、初めてのお願い!」


「そんな某おつかい番組みたいに言わないでよ、それと、そういうのは自分に使ってよ」


 すると、魚住さんは「ふーん…?」とこちらをマジマジと見ながら笑った。


「先輩は、わがままな女の子が好きなのかな?」


「そうでも無いけど」


「なら、豊岡さんのこと、ちゃんと誘ってね!」


 さて、みなさんは聞いたことがあるだろうか。
 つい最近付き合いたての彼女に、他の人とデートしてと懇願される彼氏が居るということを。
 僕は今現在、かなり複雑な状況である!






 僕らは日の傾いた道を進んだ。
 金色の夕日が、辺りを彩る。


「先輩。初恋って私?」


「何、いきなり」


「昨日見たドラマで、初恋の人が付き合いたてのカップルに割って入ってきて、主人公が揺らいでた」


 ドラマ…か。
 ドロドロしてるなぁ、まるで昼ドラだ。


「そう…って言ったら嘘になる」


「揺らぐ?今その人に会ったら」


「多分抱きつくよ」


 魚住さんは「えっ…?」とでも言いたげな表情で、こちらを見つめる。
 でも、しょうがないんだ。


「その人には、もう二度と会えない」


「な、なんで?会いに行けば会えるんじゃ…」


「会えないんだよ!」


 僕は、声を荒らげた。
 ドス黒いナニかが、僕の胸を満たす。


「魚住さんには分からないよね!待ちに待った暑中見舞いの返事があんな形で返された僕の気持ちなんて!」


「先輩…?」


「前半だけでよかった!良かったのに…なんなんだよ!いきなり丁寧に、冷酷になってーー!」


「先輩!」


 魚住さんは、ぎゅっと僕を抱きしめた。
 あまり人気のない、道の隅っこで。
 体育館裏で僕がしたように、抱き寄せられた。


「ごめん、無神経だった…」


「…僕も、分かってるんだ。いつまでも過去に捕われて馬鹿みたいだって…」


「そんなことない!」


 魚住さんはまたぎゅっと僕を抱きしめた。
 その温もりにいつまでも浸っていたいと思った。


 最後にこれを感じたのは、もう四年前か。


『私、故郷に帰れるんだ!だから、ギューッ!』


 そんなむちゃくちゃなことを言いながら、むちゃくちゃに抱きついてきた、あの人。
 服に染み付いた、薬の匂い。それを、もう嗅げなくなるんだ。
 だってこれは、別れの儀式だから。


『これ、私の住所!暑中見舞いとか年賀状、書いてね!』


 出発の数日前、彼女は僕に紙を渡した。
 僕はその約束を守った。
 守ったのに…。


「否定しないで…。それは、先輩だけでなくその人まで否定してしまうことになるんだよ」


 僕は魚住さんの言葉で我に返った。
 この子は、ほんとに他人のことを思いやれる子だ。


「先輩、まだこうしておく?」


「あ、ごめん。もういい」


「そっか」


 それ以来、魚住さんは余計な詮索はしなかった。
 その優しさが、僕には手に余るほどのものだった。
 両手からこぼれおちて、それでも湧き上がってくるような、そんな優しさ。


 それは、今まで求めていた優しさと、限りなく近いような気がした。


「あ、そう言えば、もう一人いた…」


「えー…、つまり、先輩は私以外に二人も好きな人がいるわけ?…あ、もしかしてその人も…?」


「いや、そうじゃないんだ。というか、一回しか会ったことない」


「つまり…」


 そう、これは恋愛ドラマとかでよくある、典型的な…。


「一目惚れだね」


「ふーん…。先輩は一目見ただけで人を好きになるんだー。私もその一人なのかなー?」


「違うよ!魚住さんは性格も考慮した上で付き合ったんだよ!あの時は…気分が落ち込んでたというか…」


 魚住さんはニマニマと笑うのをやめて、何かを察したように口を抑えた。
 この子はほんと、気を使う子だ。


「ごめん…」


「いいよ、でも彼女は僕の恩人なんだ。正直彼女がいなければ、僕は立ち直れなかった」


「それって、やっぱり…」


「うん。母さん達がいなくなって途方に暮れてる僕に…」


 僕は、夕空を見上げた。
 黄昏は、空を赤く染めあげ、この世の輪郭が崩れてゆく。
 現実が虚ろになる、黄昏の刻。
 彼女に出会った時間。


「道を示してくれたんだ」


「そう、なんだ…」


 魚住さんは落ち込んだように俯いた。


「ごめん、先輩。私先輩に、まだ何もしてあげられてない」


「なんで謝るの?」


「だって…!」


 魚住さんは泣きそうな顔を僕に向ける。
 その慰め方を、僕は知らなかった。


「彼女だもん…」


その言葉を聞いた瞬間、僕は魔が差した。


「だったらさ…」


 僕は、最低なことを言った。
 過去の自分を全て敵に回すような、そんな言葉を口にした。


「愛してよ、そんなことを忘れられるほど、僕を」


 魚住さんは、とてもビックリしていた。
 目を丸くして、考え込んでいた。
 そして、答えが出たようで顔を上げる。


「先輩がそれを望むのなら、いいよ」


 あぁ、ずるいな、魚住さんは。
 一番答えにくい方法で返してくるなんて…。


「ごめん、今のは忘れて」


 僕は逃げた。
 問いかけから、答えることから。
 選べなかった。
 選ぶにはまだ、若すぎたんだ、あまりにも。
 過去と現在の想い人、どっちが大事かなんて…。


「うん、分かった」


 また詮索しない。
 その優しさが、僕にもあれば。
 ただの上っ面だけの優しさじゃない。
 不意に口から出た言葉で誰かが救えるような、そんな優しさ。
 僕に一番欠けていたのはそれだった。


 僕は、改札の向こうで手を振る魚住さんを見て、自分が恥ずかしくなった。






「あんた、何泣いてんのよ」


 僕は、河川敷で泣いていた。
 よく、母が遊んでくれた場所。
 よく、彼女が眺めていた場所。
 そんな場所で、僕はただただ悲しみに明け暮れていた。


 道をゆく人は、僕を無視する。
 大人は目を背け、親は子供の目を覆い、学生は小馬鹿にした。


 それもそうだ。中学一年生の男子が河川敷で泣いていたら、いい笑いものだろう。
 だが、一人の短髪の少女は違った。


「なんかあったの?」


 少々荒い言葉遣い。だが、少女の言葉は暖かかった。
 今まで通りすぎて行った、冷たい奴らとは違う。
 そう思った。


「実は…」


 僕は全てを話した。
 母と想い人が逝ってしまったこと。


 その途中で、また僕は泣いてしまった。


「ご、ごめん…うぅ…」


「あー、もう!なよなよしないの!」


 少女は辛抱たまらない様子で、声を荒らげた。僕は肩を震わせる。
 そして、少女はビシッと僕を指さして、こう言った。


「私、今からあんたのために歌うから」


「なんで…?」


「あんたを元気づけるため!あんな話聞いたら、元気づけるしかないじゃない…」


「君が聞いてきたんだけど…?」


 少女は顔を赤らめて、「うっさいばか!」と言った。
 咳払いをして、マイクを持つような仕草をする。


「聞いて、あんただけに送る…『ーーーーー』」






 僕は夢を見ていたのか。
 これほどにリアルな夢は久々だな。
 一人称視点だったし…。


 でも、こんな夢も直ぐに忘れる。
 夢とはそういうものだ。


 でも何故だろう。
 あれは四年前の記憶だ。
 ハッキリとわかる。
 なのに、なのに何故…。


『あの曲の名』が、思い出せないんだ。

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