どうにもならない社長の秘密

白亜凛

第十二章 それを人は運命という 8

 紫織は立ち止まって眩しそうに『SSg』の社屋を見上げた。ここに初めて足を踏み入れたあの日のように。
 朝日を浴びて光るビルに眩しさに目を細めることはあっても、もう顔をしかめることはない。

「おはようございます」
「おはようー」
 すっかり板についた朝の挨拶を交わしながら、エントランスを潜り抜けると、後ろから声が追いかけてきた。

「紫織さぁん、おはようございまーす」
 振り返ったそこにいたのは、袖がレースになっているワンピースを着た光琉がいた。

「うわっ。光琉ちゃん、かっわいい~」
 思わず声に力が入る。服に合わせたのか薄いベージュの口紅とほんのりとピンク色のチークで染まった頬、アイシャドーも薄目で可愛らしさの中に艶めく色気がある今朝の光琉は女性の目から見ても本当に素敵だ。

「ウフフ。紫織さんもぉ、すっごく素敵ですよぉ。優し気なシルエットが紫織さんにとってもお似合いです」

 紫織も今日は思い切っておしゃれをしてきた。
 宗一郎とレストランでディナーという約束がある。なので、ちょっと奮発して買ったブランド物のワンピースを着てきた。薄くてひらひらと涼し気なところが気に入っている。

「制服に着替えるからお仕事には支障ないし、たまには冒険したいですよねぇ」
「うん。今日は金曜日だしね」
 ふたりとも今夜は楽しいデートが待っている。そのせいか、クスクスと笑い合うふたりを穏やかで温かい空気が包んでいた。

「課長、おはようございまーす」
「おはよう」

「課長、そういえばあの……。色々心配かけましたが、しばらくここでがんばろうと思います。よろしくお願いします」

 昨夜宗一郎に言われるまで、退職届を出したことをすっかり忘れていた。

『ついに俺の手元まで来たぞ紫織の退職届』
『あっ!』
『人事部には俺から言っておくよ。退職するにしても年明けでいいよな?』

 両家への挨拶も無事済んで、来年の春には京都の小さなお寺で身内だけの結婚式をすることになった。
 仕事をどうするかは悩むところだったが、入社してまだ二か月しか経っていないのに、いきなり辞めるのも体裁が悪いしと年末付で辞めることにしようということになった。

 でもそれはまだふたりだけの秘密。
 あと数か月は秘密の恋人ということになる。

「そうだろうとは思ったよ。京都から戻ってきた時、やけにスッキリした顔をしていたしな。じゃ、人事部には言っておくよ」
 室井がクスッと笑う。

「あ、はい。すみません、」

「まあ良かった。あんなにピーピー泣いてから一時はどうなることかと思ったぞ」
 ほんとうにと、泣いていた紫織の真似をして、室井は楽しそうに笑った。
「えへへ、すみません」

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