【書籍化】勤め先は社内恋愛がご法度ですが、再会した彼(上司)とまったり古民家ぐらしを始めます。

梅川いろは

八月のいちばん長い日 4

 とにかく気持ちを切り替えて、早く仕事に戻らなくてはいけないのに。

 急いでいる仕事で、担当者に問い合わせをしていて返事待ちのものもあるし、とりあえず立ち上がらないと。 

 それなのに、体がこわばって立ちあがれない。とりあえず深呼吸をしようと考えて息を吸ってもうまく酸素が肺に入っていかず、息苦しかった。

(なんだろうこれ…くるしい…)

 指の関節が強張ったようになり、思ったように動かせない。どうしようと内心焦っていると、いつの間にか創太郎がすぐ横に来ていた。

「大丈夫?」

 心配そうに言うと、手に持っていたスポーツドリンクのキャップを開けて、あずみに持たせようとしてくれた。

 会議室を出てすぐの自販機で買ってきてくれたらしい。

 かたく強張った指先は、600mlの水分が入ったペットボトルを支えられなかった。

 あずみの手から落ちそうになったボトルを創太郎は受け止め、あずみの指先に触れた。

「…っ、手が冷たい」

 彼は珍しく焦った声で言い、ペットボトルの中身を口に含んであずみに口づけた。

 やわらかい唇の合わさったところから冷たく甘い水が流れて、あずみはそれをこくりと飲んだ。
それだけで、わずかに指先に力が戻ってきた気がする。

 創太郎はあずみの手にもう一度ペットボトルを持たせ、包み込むように上から手を添えて支えた。

 最初のひと口さえ飲むことが出来れば、後はどうにかなった。

 飲むたびに、どんどん体が楽になるのを感じる。さっきまでの状態がうそのようだった。

「…脱水症状と低血糖と、あとはストレスもあるかもしれない。打ち合わせが終わった時、篠原さんの顔色見てまずいなと思った」

 創太郎はそう言うとあずみの手をきゅ、と握った。

「ごめん、俺のせいだ」

 何のことを言っているのかはすぐにわかった。あずみは顔を横に振って否定する。

「ううん、どっちのせいでもないよ」

 さっき打ち合わせの場で起こったことや言われたことは、後でじっくり考えようとあずみは思った。

 いまは、彼があずみの体調の変化に気がついてくれたことが嬉しい。

 立ち上がると、創太郎が背中を支えてくれる。

「今日、早く帰るよ。いろいろ話したいことがあるから」

 創太郎が少しだけ、二人でいる時の甘さを感じさせる声色で言う。あずみがうなずくと、唇が重なった。すぐに離れてもう一度強く押し当てられた後、ゆっくりと顔が離れる。

 そっと彼の表情を見ると、物足りない顔をしていた。でも、これ以上は出来ないということは理解している。社内でキスをするのもこれが初めてだった。

 最後に忘れ物がないか確認し、エアコンの電源を切って会議室を出た。

 薄暗い場所にいたせいか、つきあたりの大きな窓から見える欅の緑がすこしだけまぶしく感じる。

 二人は同僚の距離感で廊下を歩いた。



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