【書籍化】勤め先は社内恋愛がご法度ですが、再会した彼(上司)とまったり古民家ぐらしを始めます。
むさぼるけものと夏の夜 2
「お刺身、すっごく美味しいね」
手巻き寿司のネタセットに入っていた刺身はどれも、あずみのような特に舌の肥えていない人間にもすぐにわかるほど鮮度が良かった。
庭で採ってきた大葉も、風味が強くてとても良い仕事をしている。
あずみのグラスに、創太郎がペールに氷水で冷やしていた白ワインを注いでくれた。注がれた部分のグラスの表面が薄っすら白く曇るのが綺麗で、みとれてしまう。
「あ、ありがとう」
見ると、彼のグラスも残り少なかった。彼のお金で買ったワインを自分が注いであげてもいいものか、迷う。
「あとは手酌でやるから気にしないで」
創太郎がさらりと言い、長い指でボトルを握ると、文字通り自分で注いだ。
彼との食事は緊張してあまり食べられないかもしれないと思っていたけれど、美味しくてついついワインが進んでしまった。
酔いが回るとなんだかふわふわして、滑らかに話せるし、話題にも困らないのがありがたい。
創太郎もそれなりの量を飲んでいた。目の端がわずかに赤くなり、あずみが言ったことにいちいち笑ってくれるのが、あずみとしてはとっても嬉しい。
網戸にした掃き出し窓からは山から降りるいい風が入ってきて、火照った肌に心地よかった。思わず目を細めていると、彼が言う。
「…ごめん、飲ませすぎたね」
「え、なんで?そんなに私、酔ってるように見える?」
「ずっとにこにこしてる。可愛いからずっと見てられるよ」
そう言って立ち上がり、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、新しいグラスに注いでくれた。
なんとなく空気が改まったので、あずみは居ずまいを正し、彼にお礼を言うことにした。
「何から何まで、本当にありがとう」
帰ってきてからそれぞれシャワーに入って、あずみが髪を乾かして台所に来たときには、もうほとんど食事の準備が整っていた。あずみのやったことといったら、菜園から大葉(たくさん)と小ねぎを採ってきて、洗って切ったくらいだ。
しかもいつの間に昆布出汁を準備していたのか、鯛のお吸い物まで作ってくれていた。
彼がとろんとした目で笑う。
「そんなにかしこまってお礼を言われるようなことはしてないよ」
せめて後片付けは自分がと思ったけれど、この家のキッチンを使い慣れている創太郎にかなうはずもなく、結局ふたりで一緒に片付けと洗いものをした。
そして、いま。あずみと創太郎はリビングのソファに並んで座り、くつろいでいる。
彼の体が近くにあることにはまだ慣れない。
それでもアルコールのおかげもあって、ふたりの心理的な距離がどんどん近づいているのをあずみは感じていた。
「篠原さん」
酔い覚ましの水をこくりと飲んでいると、少し改まった声で創太郎が言う。
「あの時のこと、ごめんね」
「…あの時って、中学時代の?」
「うん。俺、急に話さなくなって、その後いなくなって。…本当にごめん」
そう言って謝る彼は沈んだ顔をしていて、あの時のことは彼の中でも辛い記憶として残っているのだろうと察せられた。
「うちの母親がけっこう厳しい人間で、それ加えてなんというか…激しい人でさ。情緒不安定な時もあって。俺の異性関係にも拒否反応がすごかったから、篠原さんとのことは言ってなかったんだけど」
話しながら、手の中のグラスを握りしめた。
「今思えば、もっと俺が器用に立ち回れば良かったんだけどね」
彼のお母さんが厳しいらしいというのは、あずみの記憶にも残っていた。
他の生徒とは違うタイミングで、何度も繰り返される進路相談。
何かを避けるように決められていた帰り道のルート。
「三年になって、篠原さんがうちに来た後、母親が勘づいて。俺も全然誤魔化せなくて」
たしかに、彼の様子がおかしくなったのはその後からだった。
「別れないと、篠原さんの家とか親御さんの勤務先に電話するって脅されたんだ。話すのも許さないって」
「そうだったんだ…私、何も力になれなくてごめん。自分の事ばっかり考えてた…」
あの頃のあずみはただ傷ついて、自分だけが被害者のように感じていたように思う。彼がそんな状況にあるということに、ほんの少しでも思い至れたら良かったのに。
「全然、篠原さんが謝るようなことじゃないよ。俺がうまく出来なかっただけで」
彼はそう言って目を伏せる。
「篠原さんと仲良くなったきっかけというか、初めて一緒に昼を食べた時に弁当のおかずをもらって、美味しくて。すごくそれが印象的で、今でもよく覚えてるよ。弁当って俺、作ってもらったことなくて」
手巻き寿司のネタセットに入っていた刺身はどれも、あずみのような特に舌の肥えていない人間にもすぐにわかるほど鮮度が良かった。
庭で採ってきた大葉も、風味が強くてとても良い仕事をしている。
あずみのグラスに、創太郎がペールに氷水で冷やしていた白ワインを注いでくれた。注がれた部分のグラスの表面が薄っすら白く曇るのが綺麗で、みとれてしまう。
「あ、ありがとう」
見ると、彼のグラスも残り少なかった。彼のお金で買ったワインを自分が注いであげてもいいものか、迷う。
「あとは手酌でやるから気にしないで」
創太郎がさらりと言い、長い指でボトルを握ると、文字通り自分で注いだ。
彼との食事は緊張してあまり食べられないかもしれないと思っていたけれど、美味しくてついついワインが進んでしまった。
酔いが回るとなんだかふわふわして、滑らかに話せるし、話題にも困らないのがありがたい。
創太郎もそれなりの量を飲んでいた。目の端がわずかに赤くなり、あずみが言ったことにいちいち笑ってくれるのが、あずみとしてはとっても嬉しい。
網戸にした掃き出し窓からは山から降りるいい風が入ってきて、火照った肌に心地よかった。思わず目を細めていると、彼が言う。
「…ごめん、飲ませすぎたね」
「え、なんで?そんなに私、酔ってるように見える?」
「ずっとにこにこしてる。可愛いからずっと見てられるよ」
そう言って立ち上がり、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、新しいグラスに注いでくれた。
なんとなく空気が改まったので、あずみは居ずまいを正し、彼にお礼を言うことにした。
「何から何まで、本当にありがとう」
帰ってきてからそれぞれシャワーに入って、あずみが髪を乾かして台所に来たときには、もうほとんど食事の準備が整っていた。あずみのやったことといったら、菜園から大葉(たくさん)と小ねぎを採ってきて、洗って切ったくらいだ。
しかもいつの間に昆布出汁を準備していたのか、鯛のお吸い物まで作ってくれていた。
彼がとろんとした目で笑う。
「そんなにかしこまってお礼を言われるようなことはしてないよ」
せめて後片付けは自分がと思ったけれど、この家のキッチンを使い慣れている創太郎にかなうはずもなく、結局ふたりで一緒に片付けと洗いものをした。
そして、いま。あずみと創太郎はリビングのソファに並んで座り、くつろいでいる。
彼の体が近くにあることにはまだ慣れない。
それでもアルコールのおかげもあって、ふたりの心理的な距離がどんどん近づいているのをあずみは感じていた。
「篠原さん」
酔い覚ましの水をこくりと飲んでいると、少し改まった声で創太郎が言う。
「あの時のこと、ごめんね」
「…あの時って、中学時代の?」
「うん。俺、急に話さなくなって、その後いなくなって。…本当にごめん」
そう言って謝る彼は沈んだ顔をしていて、あの時のことは彼の中でも辛い記憶として残っているのだろうと察せられた。
「うちの母親がけっこう厳しい人間で、それ加えてなんというか…激しい人でさ。情緒不安定な時もあって。俺の異性関係にも拒否反応がすごかったから、篠原さんとのことは言ってなかったんだけど」
話しながら、手の中のグラスを握りしめた。
「今思えば、もっと俺が器用に立ち回れば良かったんだけどね」
彼のお母さんが厳しいらしいというのは、あずみの記憶にも残っていた。
他の生徒とは違うタイミングで、何度も繰り返される進路相談。
何かを避けるように決められていた帰り道のルート。
「三年になって、篠原さんがうちに来た後、母親が勘づいて。俺も全然誤魔化せなくて」
たしかに、彼の様子がおかしくなったのはその後からだった。
「別れないと、篠原さんの家とか親御さんの勤務先に電話するって脅されたんだ。話すのも許さないって」
「そうだったんだ…私、何も力になれなくてごめん。自分の事ばっかり考えてた…」
あの頃のあずみはただ傷ついて、自分だけが被害者のように感じていたように思う。彼がそんな状況にあるということに、ほんの少しでも思い至れたら良かったのに。
「全然、篠原さんが謝るようなことじゃないよ。俺がうまく出来なかっただけで」
彼はそう言って目を伏せる。
「篠原さんと仲良くなったきっかけというか、初めて一緒に昼を食べた時に弁当のおかずをもらって、美味しくて。すごくそれが印象的で、今でもよく覚えてるよ。弁当って俺、作ってもらったことなくて」

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