【書籍化】勤め先は社内恋愛がご法度ですが、再会した彼(上司)とまったり古民家ぐらしを始めます。
奇跡と奇跡の起こる家 9
彼の瞳から目が離せなかった。心臓がばくついて、体の芯が熱く潤むような感覚がした。視界がぎゅっとせまくなる。
「…篠原さん」
しなやかな腕が伸びて、つかまれたのは手首だった。
肌の触れ合ったところから、甘い電気のような痺れが拡がる。
ぐい、と引き寄せられて、彼が体をかがめた。熱をともなった彼の瞳に抗えない引力のようなものを感じてゆっくると目を閉じると、唇に柔らかいものがそっと触れた。
おそるおそる重ねられたキスは、数回交わされた後には熱を帯びた。淫靡な音が響いて、腰がくだけそうになったところで、体が離れる。
目を開くと、間近に彼の顔があった。形の良い薄い唇がゆっくりと開くのをぼうっと見つめる。
「…結婚してください」
「えっ」
驚きが過ぎて、思わずあずみは冷静になった。もちろんそれは「はい」と返事をしたいところだけれど、再会して数時間しか経っていなくて、「またお付き合いしよう」などの言葉もすっ飛ばして結婚というのはいくらなんでも唐突ではないだろうか?
もしかして冗談かな、と思って彼の瞳を覗く。そのまなざしは真剣そのものだったけれど、あずみの反応を受けてしだいに困惑しているような色になった。
やや気まずい沈黙が流れる。
「ごめん。先走りました」
「び、びっくりした…って、ひゃっ」
気持ちがゆるんだところでまた手首を引かれ、彼の体にすっぽりと抱き込まれる。その胸からは、たぶん常よりもいくぶん速くなっている心臓の鼓動が聞こえて、あずみはお腹の底から愛おしさのような気持ちがあふれるのを感じた。
「…篠原さん、彼氏いるの?」
「…いないよ」
「いてもどうにかして奪うつもりだったけど」
大人になった彼はこんな穏やかでないことをさらりと言うんだな、とあずみは思った。
「和玖君は?」
「いないよ、もちろん」
その言葉に心の底から安心していると、ぎゅ、と抱きしめられる力が強くなった。
「じゃあ、…また、お付き合いしてくれますか」
彼の言葉に鼻の奥がつんとする。すぐに言葉が出てこなくて、そのかわりにあずみはこくりと頷いた。それだけでも彼には伝わったようだった。
そのまましばらくの間抱き合った。この家に来た直後に二人の間にあったよそよそしい空気を思い出すと、くすりと笑いが零れた。あの時は彼も緊張していたのだと今ではわかる。
「そういえば、どこかに行こうとしてた?」
「あ、そうだった。晩ごはんの買い物に行こうと思って」
「車出そうか?いろいろ買いたいものがあるでしょ。冷蔵庫はあの通りほぼ空だし」
「え、良いの!?」
車ならたくさん買い物が出来るし、何よりあずみのために車を出してくれようというその気持ちが嬉しかった。
「彼氏だからね」
そう言って彼が笑う。あずみは母親に「あんたは他の人に比べると喜怒哀楽がわかりやす過ぎる時がある」と言われたことがある。その姿を大人になった彼にあらためて見せるのは恥ずかしい気がして、慌てて両手で口をおさえ、気持ちを落ち着かせた。
「車、こっち」と彼が手招きするのをあずみは小走りで追いかけ、車に着くと彼が開けてくれた助手席に「失礼します…」と乗り込んだ。
大きい道路に出るまでの間、なんとなくどちらもしゃべらず無言の時間が続いた。聞きたいことはいろいろとあるし、話をしたいのに、何故だかまた緊張してしまっている。
先に口を開いたのは彼だった。
「ごめん、きちんと話すタイミングがわからなくて。あの家は俺の父の実家なんだ」
「そうなんだ…すごい偶然だよね」
「おばあちゃんが女の子を下宿させるって聞いて、しかもそれが篠原さんだってわかって」
真っすぐ前を向いて運転しながら、彼が静かな声で話す。
驚いて、すぐには信じられなかったこと。自分と再会したあずみが嫌な気持ちになるかもしれないから、この家を出ようかと思っていたこと。
「でも結局、出来なかった。もちろんおばあちゃんが急に家を出ることになって、篠原さんがあの古い家に一人で住むのは大変だっていうのもある。でもそれ以上に、」
そこまで言って、彼が言葉を飲み込む。そして少しの間をおいて、また口を開いた。
「今さらかもしれないけれど、君に会って、謝りたかった。話をしたかった」
そんなことをぽつぽつ語った後、彼は黙りこんだ。
あずみは何も言えなかった。彼も何も話さない。長い沈黙が続いた後、口を開いたのは彼だった。
「さっき結婚して欲しいって言ったの、本気だから。そのつもりで付き合おうね」
「…うん」
答えた拍子に、涙が零れそうになる。
「…っ、ごめん、泣いてる?」
彼が少し焦った声を出し、路肩に車を停車させると、あずみの方を向いた。
「あんなことがあったのに、一方的に結婚したいとか付き合いたいとか言ってごめん。しかも今日から同居することになって、ただでさえ篠原さんは複雑な心境なのに。俺のことがやっぱり無理なら、同居のことは改めて考えなおそう。俺が出て行って、家の維持はハウスキーパーに頼むのでもいいし」
「ち、違うの」
「…え」
「…私も和玖君のことが好き。また付き合えて、今日からいきなり一つ屋根のに一緒っていうことがなんだかもう、…気持ちがいっぱいいっぱいで」
自分が嬉しいのか戸惑っているのか、よくわからなかった。でも、どちらもあずみの正直な気持ちで。
心の中を整理しようと頬に両手を当てようとすると、運転席から創太郎が身を乗り出してきて、あずみの手首を捕まえると唇にキスをした。
「ん…」
不意の甘い感触に、額の奥が痺れる。柔らかく、さらりとした感触の唇はすぐに離れていった。
「今度は絶対に離さない。愛してる」
近い距離で言われて、あずみはこくりと頷いた。
「でも、あの時のこと、納得できる説明が欲しい。いつでもいいから」
「…うん。わかった」
後ろから車が通り過ぎて、走行音が間近に響いた。創太郎とあずみの車も再び、ゆっくりと走り出す。
あずみは彼のことをこれからなんと呼ぼうか迷って、下の名前で呼ぶことにした。
「…篠原さん」
しなやかな腕が伸びて、つかまれたのは手首だった。
肌の触れ合ったところから、甘い電気のような痺れが拡がる。
ぐい、と引き寄せられて、彼が体をかがめた。熱をともなった彼の瞳に抗えない引力のようなものを感じてゆっくると目を閉じると、唇に柔らかいものがそっと触れた。
おそるおそる重ねられたキスは、数回交わされた後には熱を帯びた。淫靡な音が響いて、腰がくだけそうになったところで、体が離れる。
目を開くと、間近に彼の顔があった。形の良い薄い唇がゆっくりと開くのをぼうっと見つめる。
「…結婚してください」
「えっ」
驚きが過ぎて、思わずあずみは冷静になった。もちろんそれは「はい」と返事をしたいところだけれど、再会して数時間しか経っていなくて、「またお付き合いしよう」などの言葉もすっ飛ばして結婚というのはいくらなんでも唐突ではないだろうか?
もしかして冗談かな、と思って彼の瞳を覗く。そのまなざしは真剣そのものだったけれど、あずみの反応を受けてしだいに困惑しているような色になった。
やや気まずい沈黙が流れる。
「ごめん。先走りました」
「び、びっくりした…って、ひゃっ」
気持ちがゆるんだところでまた手首を引かれ、彼の体にすっぽりと抱き込まれる。その胸からは、たぶん常よりもいくぶん速くなっている心臓の鼓動が聞こえて、あずみはお腹の底から愛おしさのような気持ちがあふれるのを感じた。
「…篠原さん、彼氏いるの?」
「…いないよ」
「いてもどうにかして奪うつもりだったけど」
大人になった彼はこんな穏やかでないことをさらりと言うんだな、とあずみは思った。
「和玖君は?」
「いないよ、もちろん」
その言葉に心の底から安心していると、ぎゅ、と抱きしめられる力が強くなった。
「じゃあ、…また、お付き合いしてくれますか」
彼の言葉に鼻の奥がつんとする。すぐに言葉が出てこなくて、そのかわりにあずみはこくりと頷いた。それだけでも彼には伝わったようだった。
そのまましばらくの間抱き合った。この家に来た直後に二人の間にあったよそよそしい空気を思い出すと、くすりと笑いが零れた。あの時は彼も緊張していたのだと今ではわかる。
「そういえば、どこかに行こうとしてた?」
「あ、そうだった。晩ごはんの買い物に行こうと思って」
「車出そうか?いろいろ買いたいものがあるでしょ。冷蔵庫はあの通りほぼ空だし」
「え、良いの!?」
車ならたくさん買い物が出来るし、何よりあずみのために車を出してくれようというその気持ちが嬉しかった。
「彼氏だからね」
そう言って彼が笑う。あずみは母親に「あんたは他の人に比べると喜怒哀楽がわかりやす過ぎる時がある」と言われたことがある。その姿を大人になった彼にあらためて見せるのは恥ずかしい気がして、慌てて両手で口をおさえ、気持ちを落ち着かせた。
「車、こっち」と彼が手招きするのをあずみは小走りで追いかけ、車に着くと彼が開けてくれた助手席に「失礼します…」と乗り込んだ。
大きい道路に出るまでの間、なんとなくどちらもしゃべらず無言の時間が続いた。聞きたいことはいろいろとあるし、話をしたいのに、何故だかまた緊張してしまっている。
先に口を開いたのは彼だった。
「ごめん、きちんと話すタイミングがわからなくて。あの家は俺の父の実家なんだ」
「そうなんだ…すごい偶然だよね」
「おばあちゃんが女の子を下宿させるって聞いて、しかもそれが篠原さんだってわかって」
真っすぐ前を向いて運転しながら、彼が静かな声で話す。
驚いて、すぐには信じられなかったこと。自分と再会したあずみが嫌な気持ちになるかもしれないから、この家を出ようかと思っていたこと。
「でも結局、出来なかった。もちろんおばあちゃんが急に家を出ることになって、篠原さんがあの古い家に一人で住むのは大変だっていうのもある。でもそれ以上に、」
そこまで言って、彼が言葉を飲み込む。そして少しの間をおいて、また口を開いた。
「今さらかもしれないけれど、君に会って、謝りたかった。話をしたかった」
そんなことをぽつぽつ語った後、彼は黙りこんだ。
あずみは何も言えなかった。彼も何も話さない。長い沈黙が続いた後、口を開いたのは彼だった。
「さっき結婚して欲しいって言ったの、本気だから。そのつもりで付き合おうね」
「…うん」
答えた拍子に、涙が零れそうになる。
「…っ、ごめん、泣いてる?」
彼が少し焦った声を出し、路肩に車を停車させると、あずみの方を向いた。
「あんなことがあったのに、一方的に結婚したいとか付き合いたいとか言ってごめん。しかも今日から同居することになって、ただでさえ篠原さんは複雑な心境なのに。俺のことがやっぱり無理なら、同居のことは改めて考えなおそう。俺が出て行って、家の維持はハウスキーパーに頼むのでもいいし」
「ち、違うの」
「…え」
「…私も和玖君のことが好き。また付き合えて、今日からいきなり一つ屋根のに一緒っていうことがなんだかもう、…気持ちがいっぱいいっぱいで」
自分が嬉しいのか戸惑っているのか、よくわからなかった。でも、どちらもあずみの正直な気持ちで。
心の中を整理しようと頬に両手を当てようとすると、運転席から創太郎が身を乗り出してきて、あずみの手首を捕まえると唇にキスをした。
「ん…」
不意の甘い感触に、額の奥が痺れる。柔らかく、さらりとした感触の唇はすぐに離れていった。
「今度は絶対に離さない。愛してる」
近い距離で言われて、あずみはこくりと頷いた。
「でも、あの時のこと、納得できる説明が欲しい。いつでもいいから」
「…うん。わかった」
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