【書籍化】勤め先は社内恋愛がご法度ですが、再会した彼(上司)とまったり古民家ぐらしを始めます。

梅川いろは

きみのしらない僕の話 3

『川谷と付き合うの』

 自分の無謀さと極度の緊張のせいで頭の上の方がちりちり痛み、視界がぐらついていたのを創太郎は今でもよく覚えている。

『…それが和玖君と何か関係あるの?』

 突き放すような言葉が返ってきたことには動揺した。確かにそうだ。彼女の反応はもっともだった。創太郎の気持ちを知らないあずみからしたら、どうしてここまで踏み込まれなければいけないのかと思うだろう。

 ゴメンと言ってこの話は終わりにした方が良いのだろうか。少し迷ってから、自分は腹を決めたのだった。

『あるよ。俺、篠原さんのことが好きだから』

 告白すること、気持ちを伝えることは相手を振り向かせるための手段ではないと自身の経験から知っていたはずなのに、後戻りの出来ない境目さかいめを自ら乗り越えてしまった。彼女は驚いた顔でこちらを見て、思いがけないことを言った。

『私も、和玖君のことが好きです』

 自分にこんな幸せな出来事が起こるとは思っていなかった。

 その後初めて一緒に学校の外へ出ると秋のにおいがして、体に入っていた力が少し緩んだ。

 万が一母親に見られていたらという恐怖があったが、それ以上に隣を歩くあずみが可愛らしく、目を見て何か言われると恥ずかしくて顔を直視出来なくなった。

 朝いつも立ち寄るコンビニが見えて、一緒に帰れるのはここまでだと見切りをつけた。
 
 名残惜しそうな彼女を見て、自分ももっと一緒にいたいという気持ちになった。
 
 別れ際に告げたのは『大事にする』という決意の言葉だった。

 言葉をどう受け取ったのか、あずみはぽかんとしていた。それを見ると恥ずかしさがこみ上げてきて、別れの挨拶をする時には顔を見られなかった。



 
 昼それなりにたくさん食べたのに、もう腹が減っている。

 今日はランチにけっこうな額の金を使ってしまったので、また月曜から切りつめなければならない。

 母親は本や服は頼まなくてもいくらでも買ってくるが、創太郎には昼食代以外の現金を滅多にくれなかった。父親はほとんど帰ってこず、祖父母ともここ数年は疎遠なので、現金をくれる大人がいない。たまにあずみと出かけたり食事をするためには、やはり学校での昼食を節約するほかない。

 早く大人になりたいと思う。

 大人になれば働くことが出来る。そうすればこの家を出て母親の干渉から逃れ、自分の金であずみに食事をごちそうしたり、アクセサリーなんかのプレゼントを買うことだって出来るはずだ。

 未来のことをひととおり空想した後、のろのろと起き上がり、創太郎はリビングに向かった。

 母が街中へ行くときはたいていデパ地下でケーキやそうざいを買ってくるので、それをつまもうと思ったのだ。

 予想どおり、ダイニングテーブルの上にはいろどりが綺麗で高価そうなそうざいのパックが袋に入ったまま、無造作に置かれている。

 ソファに座ってワインを飲みながら夕方のテレビ番組を眺める母の機嫌は、とくに悪くはなさそうだった。

「母さん、これ食べていい?腹減った」

「どうぞー、食べていいよ。冷蔵庫にプリンとケーキもあるから」

 創太郎は食器棚から手ごろなサイズの取り皿と箸、グラスを二人分出して、麦茶をピッチャーごと持ってくると、早めの夕食にすることにした。

 まずはサラダからと思い、芝海老しばえびとアボカドのサラダを口に運ぶ。

 アスパラが入っていて、歯ごたえが良い。レモン風味のマスタードドレッシングが爽やかでとても美味しかった。正直なところそうざいの味は飽きたと思っていたが、やはりデパ地下のものは違う。

 パックにあるラベルがなんとはなしに目についた。このサラダはなんと100グラム当たり598円もするらしい。母はこういうそうざいをしょっちゅう買ってくるので、月にかかる食費はなかなかのものだろうな、と創太郎は推測した。

 続いてキッシュに手を付けていると、母も食べることにしたのか、創太郎の向かいの席に腰を降ろした。

 母の呼気こきからは、既に酒のにおいがする。

 足元には創太郎が私服でよく着ているブランドの紙袋が置かれていた。また何か買ってきたのだろうか。

「どう?美味しい?」


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