【書籍化】勤め先は社内恋愛がご法度ですが、再会した彼(上司)とまったり古民家ぐらしを始めます。
花とみつばち 3
そのまま何も気づかず、読書を再開すると思ったのに。
「…大丈夫?何かあった?」
彼は心配そうに言うと、あずみの顔をじっと見つめた。
こんなぐちゃぐちゃで、ボロボロに混乱した自分を見られたくなかったのに。
「うん、ちょっと熱っぽくて。今日はもう帰るね」
咄嗟に答えたにしては、なかなかうまくいったと思う。声色もたぶん、不自然ではなかった。実際に顔が熱かったから、熱っぽく見えるはず。
図書準備室に入るためにカウンターの内側へ行き、スチールのドアノブに手をかける。手が震えて、捻っていたドアノブが滑り、空回りして大きな音が響いた。
「篠原さん、違ってたらごめん。…川谷と何かあった?」
和玖君が男子生徒の名前を出して、はっきりとした声で聞いてくる。そういえば和玖君と川谷君は同じクラスだった。
なぜだか強烈な後ろめたさを感じて、言葉が出てこない。沈黙に耐えられなくて、そのまま準備室に逃げ込む。
かなり挙動不審な自覚はあったけれど、それしか出来なかった。
どうか、『熱があるみたいだし、よく聞こえなかったのかな』ぐらいに解釈して納得して欲しい。
でも、彼がそんなに鈍感ではないこともあずみは知っていた。
職員室で先生方が使っているのと同じ武骨な事務机の引き出しを開け、所定の位置にデジカメを戻す。それから長机に置いていたスクールバッグにメモ帳と筆記用具をしまい、準備室の入り口に向かおうとしたら、和玖君が入ってきた。
「…川谷と付き合うの?」
この人はなんでそんなことを聞くんだろう。私の気持ちを知らないくせに、なんて残酷な。もう、放っておいて欲しい。
自分本位なことばかりを考えてしまう。その自覚はあったけれど、今のあずみは冷静にものごとを考えられなかった。
抑えきれず、口に出してしまった。
「…それが和玖君と何か関係あるの?」
そんなつもりはなかったのに、不機嫌な口調になってしまった。
自分の発した言葉に怯んで、後悔した。恥ずかしさがこみ上げる。
(ああ、どうしよう。呆れられたかもしれない)
「あるよ」
静かな声に顔を上げると、和玖君は真っすぐにこちらを見つめていた。
「俺、篠原さんのことが好きだから」
声にはほんのわずか、震えが滲んでいたように思う。
「…カウンターで一緒になったくらいから、ずっと好きだった。俺と付き合って欲しい」
言い切った彼の、目尻と耳たぶが赤い。
それを見て、ここで自分の気持ちを伝えないのはあまりにも不誠実だと思った。
「私も…和玖君のことが、好き、です」
あずみはやっとの思いでそう返した。伝えてくれた彼に対してきちんと応えたくて、真っすぐに目を見て言う。
緊張してつっかえつっかえになってしまって恥ずかしかったけれど、和玖君は気にしていないようだった。
「じゃあ俺と、篠原さん」
両想いだね。
言葉は途切れたけれど、彼の言いたかった言葉があずみにはわかって、こくりと頷く。
「よろしくお願いします…」
あずみが言い終えた途端、下校の時間を知らせるチャイムの音が部屋の中に鳴り響いて、二人はびくりとした。
「…なんか、信じられないな」
チャイムが鳴り終わった後、和玖君がそう言う。
あずみも全く同じだった。
「うん、私も」
和玖君に対して抱いているのは戦友だとか盟友みたいなものだと思っていた。
「…川谷から、告白されたの?」
和玖君はまだそれが気になるようだった。
「…うん。でも本当なのかな?今回の取材が決まるまで、川谷君とは全然話したことなかったんだけど」
感じていた疑問を口にすると、和玖君は少し複雑そうな顔になって言った。
「それは本当だと思う。うちのクラスの運動部のやつら、篠原さんが川谷に取材するって聞いて、からかってたし」
「そうなんだ…」
「というか、からかってたやつらの中にも篠原さん狙ってたのがいると思う。俺の見立てでは」
本当だろうか。にわかには信じがたかった。そんなに男子と話さないので、なにしろ接点がない。
納得は出来ないけれど、もう終わったことだ。そう考えた後、思い切って言う。
「でも、私が好きなのは和玖君だから」
大胆すぎるだろうか。
「だから、一緒に帰ってもいい?」
あずみがそう言うと、和玖君は少し驚いた顔をして頷いた。長めの前髪から覗く耳が赤くなっているのが見えた。
二人でいるところを誰かに見られたらどうしよう、と考えたけれど、部活動がまだ続いている時間なせいか、誰もいなかった。
考えてみれば和玖君とあずみは同じ委員会なのだし、別に一緒にいるところを見られてもどうということはないはずだ。
廊下の方を見ていると、職員室に鍵を返しに行っていた和玖君が走ってきた。
あずみは先に靴を履き替えていたので、彼が形の良い足を黒いコンバースに押し込んで、つま先をトントンするまでをじっと見守る。
(黒のコンバース、似合うな。トントンするのもかわいい…)
好きなことを自覚したとたん、普段は気がつかないような仕草が目に入って、胸がドキドキするのを抑えられなかった。
「どうかした?」
「ううん、なんでもない」
「そう?待たせてゴメン、行こう」
「うん」
(男の子って、足が大きいんだな)
ガラス戸を開けて外に出た彼に続く。あずみが出るまでドアを開けて待ってくれていたのが嬉しい。
和玖君は二人がよく話すようになった春先と比べると、少し背が伸びた気がする。
前はあずみとそう変わらなかったのに、いつの間にか和玖君の方がはっきり背が高くなっていた。
校門を出ると、どこからか金木犀の香りがした。
今日はずっと秋晴れで、そんなに寒くない。夕日の滲んだ空には雲ひとつなく、グラウンドで練習する野球部員の声が響いている。
「…川谷の取材だけど」
和玖君が言う。
「俺がやるよ。同じクラスだから休み時間にでも話聞けばすぐだし」
正直彼と会うのは気まずいので和玖君の申し出はありがたかったけれど、委員の仕事をそんな理由で代わってもらっても良いのかな、とあずみは一瞬悩んだ。
陽菜ならなんて言うだろう。頭の中で相談してみると、「全然良いじゃん?何がダメなの?」と返ってきた。
やっぱり、代わってもらおう。あずみは決心した。
「ありがとう。代わりに和玖君が今回書く予定のコラム、私がやるね!」
彼の顔を見て言う。
感謝の気持ちを伝えたいという思いと、甘えるだけではダメだという考えが重なって、ちょっと力んだような言い方になってしまった。
「…うん、じゃあそうしよう」
そう言ったきり、和玖君は顔を背けてしまった。
どうしよう、何か変だっただろうか。
二人とも何も話さないまま、学校から一番近いコンビニが見えてきた。
「俺、こっちだから」
和玖君は左に行くらしい。あずみとはここで別れなければならないようだ。
「う、うん…じゃあ、また明日」
名残惜しく思いながら見送ろうとしたけれど、和玖君はなかなか立ち去らなかった。
自分と同じように感じてくれているのかなと考えると、胸がきゅうっとなる。
二人の間に数瞬の沈黙があった後、和玖君は口を開いた。
「…送っていかなくても大丈夫?」
「人通りの多い道だし、まだ明るいから大丈夫。ありがとう」
「そっか。…あのさ」
「うん」
なんだろう。やっぱりお前にはコラムを任せられないとか、そういう話だろうか。なにしろ和玖君には文才がある。
彼が言ってくれたのは、誠実な言葉だった。
「付き合ってくれて、ありがとう。大事にする」
胸がつかえたようになって、うまく言葉が出てこない。返事の代わりにこくんとうなずく。どうにか彼の目を見ることが出来た。
「…また明日」
和玖君はそう言うと、今度こそ行ってしまった。後ろ姿に見える耳たぶが赤い。詰襟の背中があずみの記憶にあるよりも広かった。
そのまま見ていると、和玖君は一度振り返ってあずみに手を振った。あずみも振り返す。彼の姿が角を曲がって見えなくなるまで見届けて、あずみも自分の家へ歩き出した。
私も大事にしよう、とあずみは思った。「大事にする」というのは具体的にはどんな風にしたらいいのか、そもそも改めて考えてみると、付き合うというのは何をするものなのか、考えながら歩く。
今みたいに一緒に帰ったり、休みの日にお出かけしたり、というイメージが頭に浮かんだ。和玖君とそんな風にして過ごすのは、とても魅力的に感じた。
まだ公園で元気いっぱいに遊んでいる子供たちを横目に見ながら、明日からの学校生活のことを考える。
今この瞬間も自分は和玖君の彼女で、明日もそうらしい。
付き合うことになったのだから、考えてみればそれは当たり前のことだったけれど、その事実はあずみの心をこの上なく満たした。
「…大丈夫?何かあった?」
彼は心配そうに言うと、あずみの顔をじっと見つめた。
こんなぐちゃぐちゃで、ボロボロに混乱した自分を見られたくなかったのに。
「うん、ちょっと熱っぽくて。今日はもう帰るね」
咄嗟に答えたにしては、なかなかうまくいったと思う。声色もたぶん、不自然ではなかった。実際に顔が熱かったから、熱っぽく見えるはず。
図書準備室に入るためにカウンターの内側へ行き、スチールのドアノブに手をかける。手が震えて、捻っていたドアノブが滑り、空回りして大きな音が響いた。
「篠原さん、違ってたらごめん。…川谷と何かあった?」
和玖君が男子生徒の名前を出して、はっきりとした声で聞いてくる。そういえば和玖君と川谷君は同じクラスだった。
なぜだか強烈な後ろめたさを感じて、言葉が出てこない。沈黙に耐えられなくて、そのまま準備室に逃げ込む。
かなり挙動不審な自覚はあったけれど、それしか出来なかった。
どうか、『熱があるみたいだし、よく聞こえなかったのかな』ぐらいに解釈して納得して欲しい。
でも、彼がそんなに鈍感ではないこともあずみは知っていた。
職員室で先生方が使っているのと同じ武骨な事務机の引き出しを開け、所定の位置にデジカメを戻す。それから長机に置いていたスクールバッグにメモ帳と筆記用具をしまい、準備室の入り口に向かおうとしたら、和玖君が入ってきた。
「…川谷と付き合うの?」
この人はなんでそんなことを聞くんだろう。私の気持ちを知らないくせに、なんて残酷な。もう、放っておいて欲しい。
自分本位なことばかりを考えてしまう。その自覚はあったけれど、今のあずみは冷静にものごとを考えられなかった。
抑えきれず、口に出してしまった。
「…それが和玖君と何か関係あるの?」
そんなつもりはなかったのに、不機嫌な口調になってしまった。
自分の発した言葉に怯んで、後悔した。恥ずかしさがこみ上げる。
(ああ、どうしよう。呆れられたかもしれない)
「あるよ」
静かな声に顔を上げると、和玖君は真っすぐにこちらを見つめていた。
「俺、篠原さんのことが好きだから」
声にはほんのわずか、震えが滲んでいたように思う。
「…カウンターで一緒になったくらいから、ずっと好きだった。俺と付き合って欲しい」
言い切った彼の、目尻と耳たぶが赤い。
それを見て、ここで自分の気持ちを伝えないのはあまりにも不誠実だと思った。
「私も…和玖君のことが、好き、です」
あずみはやっとの思いでそう返した。伝えてくれた彼に対してきちんと応えたくて、真っすぐに目を見て言う。
緊張してつっかえつっかえになってしまって恥ずかしかったけれど、和玖君は気にしていないようだった。
「じゃあ俺と、篠原さん」
両想いだね。
言葉は途切れたけれど、彼の言いたかった言葉があずみにはわかって、こくりと頷く。
「よろしくお願いします…」
あずみが言い終えた途端、下校の時間を知らせるチャイムの音が部屋の中に鳴り響いて、二人はびくりとした。
「…なんか、信じられないな」
チャイムが鳴り終わった後、和玖君がそう言う。
あずみも全く同じだった。
「うん、私も」
和玖君に対して抱いているのは戦友だとか盟友みたいなものだと思っていた。
「…川谷から、告白されたの?」
和玖君はまだそれが気になるようだった。
「…うん。でも本当なのかな?今回の取材が決まるまで、川谷君とは全然話したことなかったんだけど」
感じていた疑問を口にすると、和玖君は少し複雑そうな顔になって言った。
「それは本当だと思う。うちのクラスの運動部のやつら、篠原さんが川谷に取材するって聞いて、からかってたし」
「そうなんだ…」
「というか、からかってたやつらの中にも篠原さん狙ってたのがいると思う。俺の見立てでは」
本当だろうか。にわかには信じがたかった。そんなに男子と話さないので、なにしろ接点がない。
納得は出来ないけれど、もう終わったことだ。そう考えた後、思い切って言う。
「でも、私が好きなのは和玖君だから」
大胆すぎるだろうか。
「だから、一緒に帰ってもいい?」
あずみがそう言うと、和玖君は少し驚いた顔をして頷いた。長めの前髪から覗く耳が赤くなっているのが見えた。
二人でいるところを誰かに見られたらどうしよう、と考えたけれど、部活動がまだ続いている時間なせいか、誰もいなかった。
考えてみれば和玖君とあずみは同じ委員会なのだし、別に一緒にいるところを見られてもどうということはないはずだ。
廊下の方を見ていると、職員室に鍵を返しに行っていた和玖君が走ってきた。
あずみは先に靴を履き替えていたので、彼が形の良い足を黒いコンバースに押し込んで、つま先をトントンするまでをじっと見守る。
(黒のコンバース、似合うな。トントンするのもかわいい…)
好きなことを自覚したとたん、普段は気がつかないような仕草が目に入って、胸がドキドキするのを抑えられなかった。
「どうかした?」
「ううん、なんでもない」
「そう?待たせてゴメン、行こう」
「うん」
(男の子って、足が大きいんだな)
ガラス戸を開けて外に出た彼に続く。あずみが出るまでドアを開けて待ってくれていたのが嬉しい。
和玖君は二人がよく話すようになった春先と比べると、少し背が伸びた気がする。
前はあずみとそう変わらなかったのに、いつの間にか和玖君の方がはっきり背が高くなっていた。
校門を出ると、どこからか金木犀の香りがした。
今日はずっと秋晴れで、そんなに寒くない。夕日の滲んだ空には雲ひとつなく、グラウンドで練習する野球部員の声が響いている。
「…川谷の取材だけど」
和玖君が言う。
「俺がやるよ。同じクラスだから休み時間にでも話聞けばすぐだし」
正直彼と会うのは気まずいので和玖君の申し出はありがたかったけれど、委員の仕事をそんな理由で代わってもらっても良いのかな、とあずみは一瞬悩んだ。
陽菜ならなんて言うだろう。頭の中で相談してみると、「全然良いじゃん?何がダメなの?」と返ってきた。
やっぱり、代わってもらおう。あずみは決心した。
「ありがとう。代わりに和玖君が今回書く予定のコラム、私がやるね!」
彼の顔を見て言う。
感謝の気持ちを伝えたいという思いと、甘えるだけではダメだという考えが重なって、ちょっと力んだような言い方になってしまった。
「…うん、じゃあそうしよう」
そう言ったきり、和玖君は顔を背けてしまった。
どうしよう、何か変だっただろうか。
二人とも何も話さないまま、学校から一番近いコンビニが見えてきた。
「俺、こっちだから」
和玖君は左に行くらしい。あずみとはここで別れなければならないようだ。
「う、うん…じゃあ、また明日」
名残惜しく思いながら見送ろうとしたけれど、和玖君はなかなか立ち去らなかった。
自分と同じように感じてくれているのかなと考えると、胸がきゅうっとなる。
二人の間に数瞬の沈黙があった後、和玖君は口を開いた。
「…送っていかなくても大丈夫?」
「人通りの多い道だし、まだ明るいから大丈夫。ありがとう」
「そっか。…あのさ」
「うん」
なんだろう。やっぱりお前にはコラムを任せられないとか、そういう話だろうか。なにしろ和玖君には文才がある。
彼が言ってくれたのは、誠実な言葉だった。
「付き合ってくれて、ありがとう。大事にする」
胸がつかえたようになって、うまく言葉が出てこない。返事の代わりにこくんとうなずく。どうにか彼の目を見ることが出来た。
「…また明日」
和玖君はそう言うと、今度こそ行ってしまった。後ろ姿に見える耳たぶが赤い。詰襟の背中があずみの記憶にあるよりも広かった。
そのまま見ていると、和玖君は一度振り返ってあずみに手を振った。あずみも振り返す。彼の姿が角を曲がって見えなくなるまで見届けて、あずみも自分の家へ歩き出した。
私も大事にしよう、とあずみは思った。「大事にする」というのは具体的にはどんな風にしたらいいのか、そもそも改めて考えてみると、付き合うというのは何をするものなのか、考えながら歩く。
今みたいに一緒に帰ったり、休みの日にお出かけしたり、というイメージが頭に浮かんだ。和玖君とそんな風にして過ごすのは、とても魅力的に感じた。
まだ公園で元気いっぱいに遊んでいる子供たちを横目に見ながら、明日からの学校生活のことを考える。
今この瞬間も自分は和玖君の彼女で、明日もそうらしい。
付き合うことになったのだから、考えてみればそれは当たり前のことだったけれど、その事実はあずみの心をこの上なく満たした。
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