実況!4割打者の新井さん

わーたん

契約を結びます1

「あなたが新井さんですね。 先程のお寿司屋さんでの件、本当に助かりました!申し訳ありませんでした!」



アメリカおばちゃんを横に立たせ、眼鏡なスーツ姿の女性が後ろにまとめた黒い髪の毛を振り回す勢いで俺に頭を下げる。



「まだ社長は日本に来て間もないのに、勝手に出歩いたりしてしまって、あなたがいなければお寿司屋さんで支払いが出来なくて大変な事に…………」





社長? 日本に来て間もない………?





まさか!?



「そういえば紹介がまだでしたね。こちらビクトリアカンパニーの社長であります、ビクトリア・レッセウェルフです」



「ドーモ! コンニチハ、スシボーイ」



アメリカおばちゃんが社長さん!? つまりは、北関東ビクトリーズのオーナーということですの!?

確かにすげえ色したクレジットカードとか、身に付けている腕時計とかサーモンネックレスも凄い高そうなやつだしな。


ビクトリア・ベッセ………じゃなくてレッセなんとか。





覚えられん! ビクトリアおばちゃんでいこう。



「それじゃあ、新井君。後は秘書さんの言う事聞いていれば大丈夫だから。私は下で待っているよ」



中込さんはそう言ってまたエレベーターに乗って行ってしまった。やっぱり他にお仕事があるみたい。



「私は秘書の山吹です。山吹色の山吹ですよ。ちなみに球団管理課にも所属していますのでよろしくお願いしますね」

眼鏡の女性はそう自己紹介してくれた。


改めて見ると、なかなかの美人さん。知的で大人っぽくて、透明感があって落ち着いた雰囲気。銀縁のスマートな眼鏡がよく似合っている。出来のいい学級委員長的な。


そんな俺好みの雰囲気。


「よろしくお願いします。山吹色の山吹さん。僕は新井色の新井時人です。ホームラン王取る予定です」


「そうですか。頑張って下さいね。新井色の新井さん。まずは体を鍛えるところからですね」



おお。なかなかに手厳しい。



「それでは、球団取締役もお待ちですので、着いてきて下さい」



「はい、どこまでも!」


俺は声高らかにそう宣言したのだが……。


「それは止めて下さい」



冷たく否定されてしまった。


とはいっても、くるん振り返り、スーツ越しに控えめなお尻をぷりんぷりんさせながら先を歩く姿はご褒美以外の何物でもない。


案内されたのは正面の社長室の横。でも同じくらい大きくて立派な扉だ。きんのカギが必要そうなくらい。



「新井さんをお連れしました。入室してもよろしいでしょうか?」



社長秘書の山吹さんは俺を連れてドアを2回ノックした。



そして、返事が聞こえたドアを開け、部屋の中に入るようにと俺に促す。彼女が開いてくれた扉の隙間。

山吹さんの側を通ると、フローラルないい香りが俺の鼻孔を擽る。


俺はにやけそうになるのを必死に堪えて、キリッとした勇ましい顔。1打サヨナラのバッターボックスに向かう感じで堂々と入室した。



すると、部屋の中央に座っていた男性がすっと立ち上がる。



「どうもはじめまして。新井君。よく来てくれたね。さ、入って入って」



その男性は俺に対して1度頭を下げ、感謝の意を表しながら笑顔で俺を出迎えた。片腕を伸ばすようにしながら、立派なソファーへ俺を誘う。



「山吹君ありがとう。契約の邪魔をしないように社長を見守っていて欲しい」



ビクトリアおばちゃん。随分な言われようだな。お調子者タイプのシャッチョさんか。

「はい。そうですね。では、失礼します」



俺を送り届けた山吹さんは深く頭を下げて部屋から出ていってしまった。



「新井君座って、座って」



案内された部屋はソファーとツヤツヤした茶色のどっしりとしたテーブルがあるだけ。



俺はそのソファーに遠慮なく座る。目の前には美味しそうな餡菓子が置いてあるぞ。


「それではとりあえず、美味しそうなんでいただきます!」

これまた遠慮なく手に取り、包みを開け、一口でぱくりと笑顔で食べてやった。


「おっ! これ、ものすごい美味しいですね!!」


もぐもぐしながらそう言うと、シーンと部屋が静まり返り、目の前に座る厳かな雰囲気のおじさんがじっと俺を睨み付けた。


そして…………。



「わはははは! なかなか度胸があるな、君は!!これはすごい新人が入ってきたかもしれないぞ!」


大口を開けて豪快に笑った。


よし、ウケた! と、心の中で俺はガッツポーズ。



「私は本郷。球団取締役社長。つまりは、北関東ビクトリーズの責任者。君を招き入れた者は、人事部長の菅原だ。我々2人で君の契約について進めていくからよろしくな」



「まあ話を進めていくといっても、たいした事はしないのだがな。これが君のプロ野球選手としてのウチが出す契約内容だ」



そう言われ俺の目の前には1枚の用紙が差し出された。



なんやかんやといろいろ細かい字もあるけど、契約金の1000万と年俸の350万円という数字が目に入ってきた。





いや、目から離れない。





「君はうちのチームに今秋のドラフトで10位指名されたわけだ。契約金と初期年俸は下限いっぱいの契約からスタートになる。それでも構わない。ビクトリーズの一員になってくれるならここに判を押してくれ」



契約金1000万か。



全額手元に入るわけではないだろうけど、1000万なんてあとどれくらい今のパチンコ屋で働けば手にする事が出来るのだろうか。



俺は何故だかそんな事を考えながら、胸元のポケットに手を伸ばす。



しかし。そこにはないもない。



印鑑を車の中に忘れてきてしまったようだ。

          

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