愛と呼べるかもしれない境界線の狂気

カムラ(仮村)

恋愛と類型

君へ

今日、君に手紙をしたためようなどと言う慣れない行為を思い立ったのには訳がある。君にいつぞや聞かれた、僕が好む女性の類型に関しての話だ。

その時僕が答えに窮するものだから、君はへそを曲げてしまっていたけれど、その答えについてこの数日考えていたところ、興味深い結論に至った。
その結論について自身の考えを纏める意味も込めて、君への手紙という形でここに収めたいと思っている。

まずはっきりさせよう。僕は君が好きだ。
では、僕が好む女性の類型が君の様な容姿だったとして、君と全く同じ、そっくりそのままの人物が現れたとして、僕はその人物を好きになるだろうか。
では、僕が好む女性の類型が君と少し違う容姿だったとして、より類型に近しい人物が現れたとして、僕は君を捨ててその人物を好きになるだろうか。
好む女性の類型とはそういうものではないか?理想があり、あわよくばその理想に近い人物を自身のパートナーにしたいという欲求であるはずだ。

言いたいことは分かるだろうか。
僕は君が好きだ。だが、僕が好きなのは君の容姿ではない。
君の声ではない。
君の髪ではない。
君の胸ではない。
君の腕ではない。
君の脚ではない。
君の香りではない。
君の頭脳ではない。
君の資産ではない。
君の性分ではない。

どうだろう、君は今どうしようもない不安に駆られてしまっているだろう。事実僕もそうなのだ。僕が君を好きであることに疑いはないはずなのに、好みの類型ではそれを示せない。

だが一つ、この膨大な否定を超えてたどり着いたものがある。

僕は君と過ごす時間が好きだ。君と語り合う空間が好きだ。

それは確かに、より好ましい時間と空間を僕に与えてくれる人が現れるかもしれない。
しかし、君とこうして過ごしてきた日々という果てのない時間の重なりを、これから出会うような人が瞬時に超えてしまうようなことは無い、これは時間の流れが人類にとって共通だからだ。

ああ、君よ。
僕はようやく結論付けることが出来た。
僕は君が好きだ。
君と過ごす時間が好ましい。
君と語り合う空間が好ましい。

だからどうか、これからも僕と出来るだけ多くの時間を過ごしてほしい。
だからどうか、これからも僕と語り合う事に積極的であって欲しい。

僕より

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