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小学生のぼくは日記を書くことにした

文戸玲

世紀の大発見

 ”主体的”というのは簡単に言うと”自分から”ということなのだと思う。これまでのぼくの行動を振り返ってみると”反応的”であった事例を一つ思い出した。それは大変難しい問題で改善には困難を伴うだろうということは子どもでも想像できそうなことであった。それは,なつみさんが関わる問題でもあったからだ。そう,あの魔法のおっぱいの件だ。磁石のごとく引き合わされたあの小さな山のような美しいふくらみとぼくの一点の曇りもない瞳はお互いに反応し合うように向き合ってきた。しかし,このままではいけない。これからはその謎と向き合い,自らの意思を持っておっぱいと対峙しなけらばならない。
 そのような経緯で,断固たる決意と共に三浦くんの家に行った。この世を司る磁石の原則に逆らい,自らの意思でおっぱいと向き合うために。しかし,今日はなつみさんはいなかった。満を持して三浦くんに理由を聞いたところ,「今日はアルバイトで一日いない」と言われたときには心底がっかりした。この時の方の落としようは今思えばおかしなもので,この世の摂理に抵抗する意思を示すために落胆したとは違うような気もした。
 そして今よくよく自分の行動をこうして振り返ってみると,実行に移そうとしたことはあまり上品ではないような気もしてきた。そう思えば今日はなつみさんと会わなかったことはお互いにとって良かったことなのかもしれない。日記を書くということは思わぬ収穫があるというものだ。
 明日は佐藤さんぼくが学んだことを伝えてみよう。一見バカげていると考えられることも,のちのちもの凄い大発見だったということは少なくないのだから,もしかするとぼくのことを見直してくれることになるかもしれない。

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