ルーチェ

千絢

52.「存在する感情、しない感情」

いつまで打ち合いを続けて来ただろう。感嘆の溜め息、呆然とした視線、様々なモノを感じながら私と千景君は己の獲物だけをぶつけ合う。










「哀れだろう」








「え?」








「千景もルーチェも、しがらみに捕われておるのだ」










「しがらみ?」










「お互いにしか、分からぬことだからあぁやって憤りをぶつけ合う。今まで主様は女に逃げていた。今までルーチェは屍に逃げていた。けれど、今は違う。互いを知る存在が目の前に居る」












感情の矛先を向ける相手は、ずっとずっと変わらない。










飛鷹王と夜鷹姫の声をBGMに、私は千景君を見据える。仄暗い黒い瞳。唯一この世界で双黒を纏う人間。エノクの民は黒髪の片黒だけ。けれど、千景君は黒い髪と黒い瞳の双黒。誰しも敵うことが出来ない、絶対的な魔力保持者の証。












「ちーかーげ」








「なんだ?よそ見してて良いのか?」








「もう私の腕が悲鳴を上げてるんだけど」






「耐え性のない奴め」






「私、元々前線出る方じゃないんだもの」










私は言葉と音を操るセイレーン。その名が持つ意味は、コレではない。獲物をぶつけ合うのは、レイ兄様やメル兄様、カイル兄上たちの担当だ。












「すっきりした?」








「いいや、まだだ」








「…まだかよ。はいはい、付き合うよ」










溜め息と共に踏み込み、私は千景君の顔面目掛けて右足を振り上げた。それを簡単に除けるのが千景君だ。そして、容赦なく攻撃を仕掛けてくるのも。今の千景君が真っ先に体力が尽きるということはまず考え難い。となれば、私が膝をつくのが先だろうな、はぁ。










もう打ち合いだけでは終わらない。そんな予感めいた確信の中で、私はこれから先千景君がどんな攻撃を仕掛けて来るのか頭を回していた。














城の一端から爆発音が響き渡る、その時までは。








「え?」








「えぇぇ?」








ポカンとした顔は、誰もが今の状況を理解していないと言うこと。ということは?予期せぬ出来事ということで。








「…ちっ、カイル!」








「承知しております。おい、お前等行くぞ!」








舌打ちと共に吐き出した指示に、カイル兄上は真っ青な顔の近衛たちを引っ張って爆音の元へと向かっていく。








「夜鷹姫、飛鷹王」






「良いだろう」




「仰せの通りに」






何も言っていないのに、飛鷹と夜鷹は鳥の姿へ戻り大空を舞いあがる。空を覆い隠すような灰色の煙。微かに匂う魔術の匂い。








「俺の眼を掻い潜ったか」






「そら、大物が釣れそうだ」








忌々しそうにしながら、それでいて愉快そうに嗤う陛下。もう千景君とは呼べない。彩帝国の頂点に君臨する皇帝の顔をしている彼に、千景君なんて呼ぶのは無理だ。似合わない。








「お前たちはどうする、エノクの怪物たちよ」








「どうするって言われてもな…。これを機として、それぞれ帰るとするかァ?」






「それでも良いぞ。此処からは、国の問題だからな」








「陛下がそう言うんなら帰るか!」








「そうですね、我々も個々に仕えている主が居ることですし」








メル兄様は、けらりと笑う。本当に帰る気なんだろう。レイ兄様もオリアスク兄上もグレイアス兄上も。多分、イゼベル姉上は残ると思う。アマルティア様の侍女を引き続きするだろうから。








「なら、私はルーティの侍女を致しましょう。ルーチェは陛下の下で動くんでしょう?」






「一応、そのつもり」






「ふふ、ルーチェは陛下が好きなのね」








アマルティア様は微笑ましそうに言うけれど、今の私と陛下の間に恋慕という感情は存在しない。うん、存在しないんだよ。今の私はね。







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