犬神の花嫁

千絢

26

その頃はまだ独身だった終宵さんに保護され、同じく独身だった志那様にあらゆることを叩き込まれていた古い時代まで遡る。










少しだけ肉体年齢を重ねた私は、終宵さんの神域で暮らしていた。多分、その頃の日本は元号が明治になったばかりだったと思う。日本が明治になったからといって、私たちの暮らしが変わるわけでもなく、志那様に泣かされる日々だった。










「俺の花嫁が決まった」








「え!!本当ですか!?」








「のと同時に、長期遠征も決まった。死ねクソジジイ」








「お前、嫁さん貰うのに仕事貰うとか馬鹿か?」








「シナツヒコ、俺が仕事の間、環妃と嫁さんのこと頼む」








「人の話聞けや、オイ」








「終宵様、志那様」








「なんだよ」








「お嫁様をお迎えするって言ってましたけど、屋敷狭くないですか?面倒くさいの一点張りで、3部屋しかないんですけど」








「あー、改装もしないとな。どーんとやっとくわ」








「あと、花嫁様って何が喜ばれるんでしょう?きっと終宵様の花嫁様ですから綺麗なお方なんですよね。あ、終宵様の紋が入った着物も仕立てたいですし、食器も足りませんし、あと、家具も揃えておくべきですよね?」








「…お前、張り切ってんなぁ」








「だって終宵様の花嫁様ですから!!花嫁様は、花嫁様は…」








「わーったわーった、泣くなって。此処は神域、俺が許可してない者は誰も入れないから」










樟葉様のようなことがあってはならない。あんな酷いことなんて。あぁ、思い出したら涙が止まらない。終宵様に抱き締められて、わんわん泣いた。嫁入りだって嬉しい話題だったのに。








「終宵様、今度は、守るから」








「大丈夫だって、此処は俺の神域だ。シナツヒコも居るし」








「オイ、俺はまだ返答してないぞ」








「え、志那様、帰っちゃうの?私、守れなかったら、うぅ、また、守れなかったら、」








「ぐぅ」








「居るから大丈夫だ。何だかんだ言って面倒見良いからな。それから、嫁さんは来月には来るから。迎えたか見たかで、俺は出雲に向かわなきゃなんねえし、環妃が嫁さんのこと助けてやってな」 








「はい!!」








それから、志那様と一緒に現世に降りて反物を見繕ったり、家具や食器も買い足したりと花嫁様が来るのを楽しみにしていた。










そこで、だ。私はすっかり忘れていたのだ。神様の花嫁は巫女であり生け贄だと。終宵様の力で廃止になっていた生け贄制度は、まだ各地で根付いていたことを。










『私は生け贄ですから』が口癖だった譲羽様の意識改革から始まった奇妙な暮らしは、私にとって心地よかった。譲羽様は、非常に穏やかな、言い換えれば我が道をスローペースで突き進む人だったし、結構ネガティブだったから、要らない心配ばかりしては悩み泣き熱を出した。










終宵さんより、先に愛しさを感じたよね。譲羽様マジで可愛いから。あの時の譲羽様と一緒に過ごせなかった終宵さんは、すっごく勿体ないことしたよ。私だけが知る譲羽様の愛らしさである。優越感ぱねぇよ。










「ーー譲羽がクズって仕方ないから、早く帰ってきてくれ」








「そう、ですね。明日にでも帰れるようにします」








「悪いな」








「いえ、譲羽様の為ならなんなりと」










にっこり笑ってケーキを食べた。ケーキが昼食になろうとは思ってもなかった。終宵さんたちが帰ったら軽く食べよう。










「で、三つ目は?」








「水戸神を知ってるな?」








「確か、神産みの時代に生まれた水の神様ですよね。兄神の速秋津比古神ハヤアキツヒコと妹神の速秋津比売神ハヤアキツヒメは、セットで水戸ミナトノカミなんて呼ばれている、あの?」










「そうだ、その水戸神夫妻が大喧嘩をしていてな、」










苦々しそうに吐き捨てるように言った終宵さんは、冷えきったお茶を一気に飲み干した。嫌な予感しかしない、聞いたら終わりのような。










「アイツ等が夫妻喧嘩したせいで、治めていた河口が壊れて、穢れが垂れ流し状態でな。垂れ流し状態のくせに、何処に流れ出しているかすら分からん」








「終宵さん、それをどうにかしろってことですか?」








「あぁ。あれが人間界に流れると不味いのはお前も分かるだろ?夫妻喧嘩を仲裁して、垂れ流し状態の穢れを食い止めてくれ」








「あのー、犬すら食わないものをどうしろと?」








「お前なら出来ると信じてる」










言い切った終宵さんと良い笑顔の志那様。この神様たち、人使いが荒いうえに無茶ぶりが多い。夫婦喧嘩の仲裁を言われるのは、何も初めてではない。が、神産み時代のかなり古い神様を相手にするのは初めてだ。しかも兄妹夫婦ときた。骨が折れるどころの騒ぎじゃない。










「終宵さん、志那様、マジで言ってる?」








「あぁ、マジで言ってるよ」








「いや、流石に私では無理ですって」








「やってもないのに無理と?」








「いやいや、よーく考えて!!恋人すら居ない私に夫婦喧嘩の仲裁!?どっちを立てたら良いの!?兄神様!?妹神様!?私は終宵さんの巫女だから分からない!」








「ハッ」










渾身の叫びを終宵さんは鼻で笑い飛ばした。ムカつくなあ。流石に、何でも出来るわけじゃないからホイホイ頷いたりしないから!!土地神様と巫女さんの夫婦喧嘩の仲裁したことあるけど、あれは土地神様が温厚な方だったから仲裁出来ただけであって、そんな、神産み時代の神様相手に説くとか無理だ。










「必死だなあ、環妃」








「必死にもなります!!下手すりゃ反感を買いかねないのに!!小娘が何偉そうに言ってんだよって、言われるのが目に見えてるんですもん!!」








「かと言って、他所にも振れねぇ仕事なんだ」








「志那様がそんな顔しても、流石に頷いたりしませんから!!私だって、自分が可愛い時ぐらいありますからね!?」








「ちっ」








「舌打ちしてもダメです。やりません」










これだけは全力で拒否させてもらうつもりだ。意思表示ははっきりとね。もし、これを受けないとお見合いさせるって言われたら、お見合いをした方がマシだと思うぐらいには拒否したい案件だ。夫婦喧嘩は犬も食わない。犬も食える喧嘩から仲裁を買ってでても良いけど。小娘に解決出来る筈がない。

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