犬神の花嫁

千絢

15

穢れ祓いをして、寮の自室に戻ってきた。本来なら二人部屋だけど、私にはパートナーが居ないから一人部屋の仮部屋なのだ。










「つっかれたー。巫女業まじ久しぶり」










学園に入学してから、巫女業なんて殆どしてこなかった。鍛練はしてたけど、実務は3年弱のブランクがある。まあ、言わなかったけど。無事に終わって良かった。








「…もしもし、環妃です」








『久しぶりだな、環妃』








「お久しぶりです、終宵さん」








『どうかしたか』








「酒呑童子の件、存じ上げているかと」








『あー…あれ、聞いてる。酒呑童子に次いで、茨城童子の封印も解けたと連絡があったが』








「茨城童子まで…。初耳です。あぁ、その酒呑童子なんですが、面倒なことに何者かが神に祀り上げようとしているんです」










今日の出来事を掻い摘んで説明すると、終宵さんは電話の向こうで黙り込んだ。神様からしたら、そんな祟り神など造られたくないだろう。祟り神ほど、哀れで厄介なものはないのだから。










『はぁ…。爺さんたちが口煩く言ってくるのも分かった。こっちから各方面に通達を出しておくから、環妃はそこで守りを固めておけ』








「はい」








『ーーさて、久しぶりに環妃から電話を貰ったことだし、近況報告もしてもらおうかね』








「え、」








『待てど暮らせど可愛い一人娘から連絡がない。あっても年1回の年明けの電話だけだ。譲羽には手紙を送って来るのに、俺には全く何もない』








「…お忙しいかと思って」








『昔は引っ付き回っていたのにな』








そんなこと言うから連絡をしないんだよ。溜め息を吐けば、電話の向こうで笑いを圧し殺したのか咳払いをしている。終宵さんは、人間界と妖界でのパイプ役を果たしている珍しい神様だ。まあ、人間好き故に、というのもある。








「…4月に黎明様の息子と再会したんです」








『うん?あの犬神の子か?』








「はい。大きく逞しくなっていて、感動やら何やらで胸がいっぱいになりました」








『それで?』








「それで。あぁ、黎明様の刀を譲ろうと思うので、新しい刀をください」








『…お前ねぇ』








「終宵さん、新しい刀を紹介してくだされば自分で交渉なり何なりしますから。ね?」








『…ったく。夏に帰ってくるなら、俺から進級祝いもかねて刀を見繕ってやる』








「進級祝い、といえばいきなり特別クラスに飛ばしたの何でですか!?新学期早々、すっごく恥ずかしい思いをしたんですよ!?」










それから小1時間ほど談笑をし、新しい刀については、夏に帰省する約束で良いモノをお願いした。元々この学園に入学してから、帰省したの2回ぐらいだったから、そろそろ帰っても良いかなあって思ってたんだけどね。










「ーー黎明様、どうかあの子をお守りください」










刀を握りしめて、私は記憶の奥深いところで笑う黎明様と樟葉様に祈る。二人が愛した犬神の子をお守りください。泣き虫だったあの子供があんなに逞しく育ったことを、私は心から嬉しく思った。泣きたいほど。










黎明様を殺したこと、後悔はしていない。ただ、防げた筈だと思うときもある。私が樟葉様に庇われなければ、あぁはならなかった。けれど、それがあの時の私たちの運命だったのだ。私が殺めなければ、私も村人たちも大勢の人間が死んでいた。










神様の人殺しは罪が重い。もし人を殺めてしまったら、天の帝から死ぬに死ねない罰を下されてしまう。『そうなることを防いだのだから、いつかきっと黎明も生まれ変われるだろう』と終宵さんは、幼い私を抱きすくめて囁いた。その時の終宵さんの声は震えていて、そうして、漸く私はとんでもない大罪を犯したのだと気付いた。










己の命と神様の命を秤に掛けた。








何百年も村に尽くしてくれた神様に、私は恩を仇で返したようなものだ。私のただ一つの失態が、皆から愛されていた神様に死人の血肉を啜らせ、祟り神に堕としてしまった。








黎明様と関わりがあった神様たちには恨まれているが弁解する気もなかった。犬っこの育ての親である神様には、『お前も殺してやる』なんて言われている。










「…気が滅入るなあ」










殺めてしまったという事実に耐えきれず、気が狂ってしまった私を保護した終宵さんは、自らの領域に作った真っ白の部屋に私を閉じ込めた。お腹が空くこともなければ、排泄するものもない。四六時中泣き叫ぶ私を、部屋の外で終宵さんが泣きながら待ってくれていた。








『ワタツミともあろう神が、小娘ごときの存在で泣くとは。』と言ったのはさて誰だったか。今となっては、あの海神終宵が泣いたという笑い話となってお酒の場では盛り上がるらしい。終宵さんのご友人曰く。








「私の神様、」








…私の神様はもういない。








「ーーなあ、入っても良いか」










俯いていた私に控え目に掛けられた声音。今だけは聞きたくなかった。明日になったら、ちゃんと向き合おうと思っていたのに。










「もう入ってきてるじゃないの。こっちに、座ったら?」










顔を上げれば端正な顔立ち。黒い髪と黒い目。昔はその頭に犬耳がひょっこり生えてたんだよね。もちろん尻尾もあったっけ。今は、隠しているみたいだけど。










「どうかした?」








「夕食後に特別室で会議を開くから、来てほしいと思って」








「会議?」








「これからの対策とか。元老院は、まだ現段階では解決してないと見なしてるからな」








「そっか。分かった参加するよ」








「あぁ、よろしく頼む」








キラキラ輝いていた無垢な目は、もうしていない。力強く前だけを見据えている。もし、私が黎明様をーーーいや、考えるだけ無駄か。








 「ねぇ、犬っこ」








「斎火朔夜と名があるんだが」








「この刀を貰ってくれない?」








握りしめていた刀を、犬っこに差し出した。きょとんとしてソレを見下ろし、私を見てくる。何度かそれを繰り返して口を開いた。










「お前に必要なものだろ?」








「いや、もう良いの。これはね、黎明様が守り刀として使ってたんだよ。いずれは犬っこに持たそうとして、鍛冶屋に打たせてたものでね。暫く私が使わせてもらってたんだけど、きっと犬っこと相性が良いよ」








「父上の刀、」








「うん。だから、受け取ってちょうだいな」










私の手から、犬っこの手に移った刀。これから思う存分振るわれると良い。きっと、私以上に刀を上手く扱うだろう。










「…ありがとう」








「礼なんて要らないよ」








「…手入れもちゃんとされているし、父上や母上の想いが沢山詰まっている。ずっと、忘れずに想っていてくれたんだろ」








「忘れる筈がないもの」










薄くなった思い出もあるけど、どれも大切な思い出ばかりだ。私が生きていくなかで必要な思い出。この犬神の子と過ごした思い出もまた、私が生きていくなかで必要なのだ。








「夕食、食べていく?」








「…良いのか?」








「かまわないよ。黎明様と樟葉様の話をしよう」










ねぇ、犬っこ。いつかお前が神様の末席に座するようになったら、あの村のあった場所に行こう。黎明様と樟葉様の墓前に手を合わせに。








今はまだ連れていけないけど、いつかそのうち。私が、生きているうちにね。

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