犬神の花嫁

千絢

08

私が五歳の頃、あっ、でも数百年も昔の話なんだけど、村で祀っていた神様の黎明れいめい様の巫女に選ばれたの。










「私が選ばれて、黎明様のお社で住むようになって半年後に、黎明様の花嫁様だった樟葉くずは様がおくるみに包まれた赤ちゃんを拾ってきたのね」










真っ白のおくるみに包まれた、真っ黒い赤ちゃん。あのときは衝撃が走ったわ。何処で拾ってきたのか、全く分からなかったのだから。誰が父親で、誰が母親なのか。名前すら与えられていなかった、真っ白な無垢の赤ちゃん。










「樟葉様は生まれつき、御子が望めない体だったから、その赤ちゃんを拾った時は天からの贈り物だって思ったんだって。黎明様は、すぐに妖の赤子だって気付いた。けどね、ちっちゃな手が黎明様の指を握って、嬉しそうに笑ったの。その瞬間、あ、もう俺の子だわってなったんだって」










そして、妖には必要な姓と名を、神様である黎明様が与えた。斎火朔夜。私にはどういう意味を持っているか教えてくれなかったけど、その日の命名式はとっても壮大だったのよ。近くの神様を呼んだり、仲の良い神様を呼んだりね。神様ばっかりだったけど、皆が祝福してくれた。










立派になれと。愛し愛される存在になれと。










「寝返りした日、ハイハイした日、つかまり立ちした日、一歩歩いた日、全部に祝ったわ。神様の会議で我が子自慢をしたり、会議が終わったらすっ飛んで帰って来た。愛しくて愛しくてしょうがなかったんだろうね」










愛しい妻に息子。私のことも可愛がってくれてたけど、息子ほどじゃあなかったわ。ただただ、愛しい家族と一緒に居て、息子の成長を見届けたかった。










「ーーだけど、私が七歳になる頃に樟葉様と二人っきりで過ごした日があったわ。いっぱい話をして、折り紙をたくさん教えてもらおうと、私は幼いながらに楽しみにしてた。でも、樟葉様は体調を崩して寝込んでたの。ザアザアと雨が降ってたわ。濃い霧も出て、雷も鳴り響いてた。今でも覚えてる」














「複数の足音と卑下た笑い声が段々と近付いてきた。それに樟葉様が気が付いて、私を床下に隠したの。隣村の若い男衆たちだったわ。うちの村と仲が悪くてね、頻繁にうちの村に来てた。樟葉様はそいつ等に暴行された。抗っても押さえ付けられ、声は雷鳴にかき消された」










私の語りだけが教室に響く。初めて語られる真実に犬っこは、黒曜石のような目を見開いていた。










「黎明様は長期の会議に出て居ないし、息子も黎明様のご友人の所に泊まりに行って居なかった。樟葉様は、吐き出された男衆たちの臭いでいっぱいだった」










気を失っている樟葉様を毛布でくるんで、引き摺ってお風呂場まで連れていった。汚れた体を流して、洗って温めた。黎明様にバレたら、いや、それでは遅すぎる。今、黎明様に伝えねばならない。










頭の奥で鳴り響く警鐘。身ぐるみを整え、布団に横たわった樟葉様を見て、私は涙が止まらなかった。










あの男衆たちは、殺されるだろう。










「…私は、黎明様に緊急時に使えと言われた水晶を壊した。雷鳴が轟き、びゅうびゅうと風が社を叩く。それらを聞き流しながら、私は涙を流し続けた。私が代わりにならなければならなかったのに、樟葉様に庇われてしまったことが苦しくて、辛くて、黎明様に謝っても謝り足りなかった」










ひとつ、雷が落ちた。黎明様が息を切らしながら帰って来たのだ。入り口で黎明様を迎えた私の顔は、とても酷かっただろう。顔を涙と鼻水でベタベタにしていたから。黎明様は、そんな私を抱き上げて、樟葉様を寝かせた寝室へ足早に向かった。










「何があったんだ、静かに問われた。私は見たこと聞いたことを全部話した。泣いてたから、支離滅裂だったかもしれない。でも、黎明様は私を急かすことなく、背中を撫でながら話を聞いてくれた。黎明様は私を責めなかった」










黎明様は言った。樟葉の傍に居てやってくれ、と。男衆に襲われたのなら、自分を見ても怯えるだろうから、と。










「その日のうちに、樟葉様は自ら命を絶った。神様の花嫁なのに、他の男たちによって穢れてしまったことが樟葉様にとって何にも耐え難い苦痛だったんだろうね。黎明様の、たったひとりのものでありたかった。私が語ることはできないけどね。息絶えた樟葉様を見つけたのは、黎明様」










慟哭が雷鳴となり、涙は雨になり、嗚咽は風となった。近隣の村と併せて30人もの人が亡くなった。樟葉様に暴行した若い男衆たちは、私たちの村に来てお前らの祀っている神のせいだと声高々に言った。










「いや、元はと言えば男衆が悪い。だから、かな。私は、黎明様や村を罵る男衆の喉仏を掻ききったの。誰も良くやった!なんて誉めてくれなかったけど、まあそれは当たり前なわけで。とりあえず、皆で男衆の亡骸を川に捨てた。置いてても腐って野生の動物が集ってくるだからね」










それでも、黎明様の悲しみは収まらなかった。大雨は七日七晩続いた。やがて雨が止めば、黎明様の悲しみは怒りと憎しみに移り変わった。










「誰にも止めれない激情。それは、黎明様を蝕んでいったの。黎明様の御心が黒く染まっていくのを、私は傍で見ていた。これ以上はダメだ。黎明様が黎明様を殺してしまう前に、私が止めなければならない。私は里唯一の巫女。黎明様を封じなければ、里諸ともがなくなり、死んでいく」










日照不足で飢饉に陥り、体力のない幼子や老人たちは次々に死んでいった。黎明様に、助けを乞いに行った者たちは戻らない。暫くして村に伝染病が流行ったわ。










「黎明様に乞いに行った者たちは、黎明様に喰われていた。体も魂も、余すところなくね。私が戸惑い、チンチラしていたから、そうなったんだと思った。樟葉様の時もそうだったし、何かもうヤケクソに近かったのよ」










七歳、神様の加護が切れる歳。私は自らの手で、黎明様の息の根を止めた。黎明様と樟葉様を抱き締めて、村の最期を見届けた私はーー兄分だったワタツミ様に願い掛けた。










このまま、黎明様と樟葉様が一緒に居れるように。息子には亡くなったことだけを伝えるように。そして、いつか息子とまみえれることを楽しみに、人として生を終われるように、お願いしたの。










「…お前、なんで、知ってたのに」










「そりゃ、一緒に過ごしてきた弟分が可愛かったからよ。あとは、幼すぎて力の制御が不安定だったこともある」










「でも、教えてくれたら良かっただろ!?」










「ーーそうしたら、お前は神様も人間も憎むだろう?お前は黎明様神様にも樟葉様人間にも愛されてきたんだ。憎ませてたまるかって、幼心で思ったの」










犬っこの怒りもわかるけど、私の悲しみも分かってほしいところだ。泣きそうな顔をする犬っこ。いや、ちょっとだけ泣いてるわ。










「ずっと言いたかった、お前は愛されていたんだと。父に母に、友人にな」










「…っ」










黎明様、樟葉様、貴方の息子は立派になりましたよ。多分。泣き虫なのは変わらないらしいけど。それはそれで、良いと思う。

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