Pessimist in love ~ありふれた恋でいいから~

櫻井音衣

私なんかじゃ釣り合わないから (3)

「大変!もうこんな時間!!」

腕時計を見た店長が突然立ち上がり大きな声を出したので、驚いて肩がビクッと跳ねた。

「店に戻らないといけないのに、すっかり話し込んでしまって……。では私はこれで失礼します。福多さん、またお店にいらしてくださいね」

「はい……失礼します……」

私もベンチから立ち上がり軽く頭を下げた。

急ぎ足で去っていく店長を見送って、チラッと横目で恵介の様子を窺う。

なんか……機嫌悪い……?

「恵介……なんか怒ってる?」

「別に怒ってない。ヘコんでるだけ」

恵介がいつもより明らかにぶっきらぼうな返事をした。

「私、なんか気に障ること言った?」

「自覚無しか……。とりあえず……ここで突っ立ってるのもなんだし、そろそろ行こう」

恵介はいつものように私の手を引いて歩き出そうとした。

隣の人たちが食い入るように私たちを見ていることに気付いて思わず手を引っ込めると、恵介が顔をしかめた。

「俺と手ぇ繋ぐのイヤ?」

「イヤとか、そういうわけじゃないんだけど……会社のすぐそばで、私と手なんか繋いで大丈夫?」

「どういう意味?」

「会社の人たちに見られていろいろ聞かれたりとか、恵介が後々めんどくさい思いしないかなと思って」

私が声を潜めてそう言うと、恵介は苛立った様子で大きくため息をついて、私の手を強く握って引き寄せた。

「なんでそれがめんどくさいの?彼女と手繋いで歩いて何が悪い?つまらんこと言ってないで行くぞ!」

隣のベンチの彼女たちは、ポカンと口を開けて放心状態だ。

もしかしたら明日には、恵介が地味な女と付き合ってるとか、その地味な女と手を繋いで歩いてたとか、噂になっているかも知れない。


駅までの道のりを、二人とも黙ったまま歩いた。

恵介に手を引かれて歩きながら、本当に手なんか繋いでるところを見られて良かったのかなとか、恵介は私のことどう思ってるんだろうとか、私は恵介とどうしたいんだろうとか、とりとめもないことを考えた。

地下鉄の駅に着くと、恵介は自動券売機で切符を1枚買って、黙って私に差し出した。

「ありがとう……」

「……うん」

恵介は通勤用の定期で、私は恵介が買ってくれた切符で自動改札機を通り抜けると、恵介が左手を差し出した。

私は素直にその手を取った。

改札を通るときには離していた手を、また繋いで歩く。

地下鉄のホームへ向かう階段を降りながら恵介の背中を見ていると、少し胸が痛くなった。

周りの人たちにどう思われるのかとか、自分に自信がない私は、いつも人の目を気にしてばかりだ。

それを恵介は、いとも簡単に『つまらんこと』と言い切った。

私、恵介の隣にいてもいいの?

恵介は本当にそれを望んでくれている?


階段を降りてホームの端まで歩いた。

何から話せばいいのかわからないけど、私が恵介と一緒にいたいのだけは確かだ。

とにかく何かを伝えなければと、恵介の手を強く握った。

「あのね、恵介……」

「何?」

恵介は私の方を見ずに無愛想に返事をした。

「本当に私、『恵介の彼女です』って……言っていいのかな?」

恵介は少し振り返って私の方を見た。

「腹減った。早く幸の作った夕飯食べたい」

私の問い掛けに、恵介は答えてくれなかった。

バカなこと聞いたな。

恵介が何も答えないなら、私は今の言葉をなかったことにしてしまおう。

「……うん、何が食べたい?」

「毎日一緒にいても俺の気持ちわからない?」

それは何が食べたいか当ててみろと言うこと?

「えっと……エビフライ……かな?」

恵介は苦笑いをして私を軽く抱き寄せた。

「そっちはわかるのかぁ……」

スーツからほのかに恵介のタバコの匂いがして、胸の辺りがキュッとしめつけられるような甘い痛みを覚えた。

好きじゃないなら、無理にこんなことしなくていいのに。

「あ……はずれちゃった?」

「いや、お見事です。エビフライ食べたいって、昼頃からずっと思ってた」

「じゃあエビフライとサラダと……唐揚げも作ろうかな」

「うわ、めっちゃ楽しみだ」

優しく私の頭を撫でる恵介の手のあたたかさに、また鼓動が速くなった。

私の気持ちは矛盾だらけだ。

思わせ振りな態度はやめて欲しいと思うのに、恵介が私の作る夕飯が楽しみだと笑ってくれるだけで、嬉しい。

先のことはどうなるかわからないけど、私は今、恵介と一緒にいる。

今だけでいい。

今だけでいいから、恵介の言葉を信じたい。

こんな風に思うってことは、きっと私は恵介が好きなんだろう。


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