Pessimist in love ~ありふれた恋でいいから~

櫻井音衣

見返してやろうよ (2)

それから私は、一人分には多すぎる材料を調理台に並べて夕飯の支度を始めた。

「手伝おうか?」

「いえ、お気遣いなく」

一緒にキッチンに立つなんて冗談じゃない。

相手は何を考えているのかわからない肉食獣みたいな男だ。

空腹の肉食獣のことだから、例えあまり美味しくなさそうな私にでも噛みついて来るかも知れない。

料理をしている間も、裸でエプロン着けろとか、キッチンでやらしいことしようとか、また無茶な要求をされたりはしないかと気が気でなかった。

しかし私のそんな心配は無用だったようで、富永さんはベッドにもたれて、料理ができるのをおとなしく待っていた。


そして向かい合って食事をしている今に至る。


「ホントうまいな。彼女の手料理っていいよね。昔から憧れてたんだ」

彼女の手料理って……。

そもそも私はお酒に酔った勢いに任せて一度寝ただけの女であって彼女なんかじゃないし、そこそこ男前の彼なら琴音以外にも彼女くらいいただろうに。

「料理作ってくれる彼女の一人や二人、いたでしょう?」

「いや、いなかったよ。どうしてかわからないけど、俺はなんにもできない女の子を引き当てちゃうらしいんだよね。料理作ってあげたことはあっても、作ってもらったことはなかった」

「……それはお気の毒に」

ダメな男ばかりを引き当ててしまう“ダメンズウォーカー”なんて言葉を聞いたことはあるけれど、その逆バージョンもあって、男の人にもこういう人はいるってわけだ。

「琴音とは付き合い長かったの?」

「えーっと……なんだかんだで6年……もうじき7年かな?」

「な……7年……?!」

彼の7年に比べたら、私の3年なんてまだまだかわいいもんだ。

私の場合は定宿として3年間利用されただけで、結局彼女にはなれなかったんだけど。

「あの……琴音との話、聞いてもいい?」

私が尋ねると、富永さんは少し顔をしかめた。

「話して聞かせるほどのことは特にないよ。とにかくわがままで世話が焼ける。それだけ」

7年近くも付き合っててそれだけ?

それとも話したくない理由でもあるのかな?

これ以上踏み込むのはやめた方がいいのかも。

そう思ったのだけど、そんなに長い間、琴音の世話を焼き続けてきた富永さんの気持ちを思うと、なんとなく黙っていられなかった。

「でも7年は長いよ……。富永さんはなんとも思わないの?」

「んー……正直言うと、琴音が俺に黙って結婚したことにはムカついてる。そこはせめて、礼の一言くらいは言うべきだろって」

琴音が富永さんに一言でもお礼を言えば、それまでのことを水に流して笑って送り出せたのかな?

もしこれが私だったら……?

夏樹に“3年間ありがとう”とお礼を言われたとしても、決して割り切れなかったと思う。

「本当にそれだけ?」

「それだけ?って……どういうこと?」

「琴音は富永さんと付き合ってたのに、他の人と浮気を繰り返してたんでしょ?好きじゃなかったら、7年も面倒見られなかったんじゃないかなって」

富永さんは箸を止めて意外そうな顔をした。

そして少し首をかしげた後、何度か小さくうなずいた。

「好き……だったのかな?」

「え?」

「最初こそそういう感情はあったんだと思うけど……だんだんそう思えなくなったんだ」

富永さんが琴音を恋人として好きだと思えなくなったのはいつなんだろう?

それでも琴音を見捨てたり突き放したりはせず、面倒を見続けたのはどうして?

そんなに長い間、好きでもない相手の世話を焼けるものかな?

「富永さん……ホントは琴音のこと、今でも好きなんでしょ?」

食後のコーヒーを飲みながら私が尋ねると、富永さんは眉間に深くシワを寄せた。

「そんなことない。ただ手が掛かるから放っておけなかっただけ」

「嘘だ……。私だったら、そんなに長い間、好きでもない相手の面倒見られないもん」

「嘘じゃないよ。実際俺は琴音がいなくなって清々してる。結婚は琴音本人が決めたことなんだから、それでいいんだ。幸さんはまだ彼のことが好き?」

「うん……。好きにはなってもらえなかったけど、3年間、私には夏樹しかいなかったんだよ。そんな簡単に忘れられない……」

「ふーん……。あんなひどい仕打ち受けてもまだ好きなんだ」

富永さんは少し呆れたように大きなため息をついた。

「俺ね……どうやら独占欲が強いみたい」

「そうなの?」

言ってることとやってることが違うでしょ?

独占欲が強いなら、7年もの間、琴音を好き勝手泳がせたりはしなかったはずなのに。

「なんかちょっとムカつくよね」

「何が?」

「いや、こっちの話」

そう言って富永さんはジャケットのポケットからタバコを取り出した。

「あ……そうか。幸さんはタバコ吸わないから灰皿なんかないよね?」

「あるけど……」

「彼がタバコ吸う人だったから?」

「うん。持ってくるね」

キッチンの換気扇の下には、夏樹がうちに来ていた時のまま灰皿が置かれている。

もう必要ないのに、なんとなくそのままにしていた。

「もしかしてその灰皿は、彼のためにずっとそのままにしてるの?」

「そんなんじゃないよ。なんとなく捨てそびれてただけ」

「ふーん……」

灰皿を差し出すと、富永さんはタバコに火をつけた。

私から顔を背けて煙を吐き出すあたり、一応気遣ってくれているらしい。

そういえば夏樹はそんなことしなかったな。

「じゃあこの灰皿、これからは俺のために置いといて」

「……え?」



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