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ただいま冷徹上司を調・教・中・!

伊吹美香

始まりは意地と恥(5)

月曜日の朝は、休み足りないという不服感と、一週間を乗り切るための気合で何とも言えない気持ちになった。

ただでさえ週末にやらかした出来事を思い起こすと、仕事の準備をするのがおっくうになるというのに。

鳴り響くスマホのアラームを止めてベッドの中で大きく伸びをすると、脱力と同時に身体を起こしてベッドから抜け出た。

肩甲骨まで伸ばしたストレートの髪を束ねながら洗面所へと向かい、歯磨きと洗顔をすませると、心も体もスッキリした気がする。

職場に行きたくない要素が和宏と梨央の他に平嶋課長まで増えてしまったけれど、間違いなく課長は蒸し返すようなことはしない。

迷惑をかけてしまった分も、宣言通り仕事で返そう。

さっさと身支度をすませると、私はいつもより少しだけ明るい色のジャケットを羽織り、心の準備をして家を出た。

昨日まで晴れていた空は雲に覆われており、私の気持ちを表しているようだったが、土曜日に見た平嶋課長のレアな姿を思い出して心持を立て直した。

電車に揺られること三駅、会社の最寄り駅に到着した。

改札を出て十分も歩けば、すぐにオフィスビルが見えてくる。

流れに沿って歩を進めて行くと、後ろの方から名前を呼ばれた気がした。

ゆっくり振り向くと、全力で私に向かって走ってくる紗月さんと瑠衣ちゃんを見つけた。

立ち止まって二人を待ち、「おはよう……」とあいさつをしかけたところで。

「千尋ちゃん!凄いことになってる!」

「千尋さん!やばいです!」

と、焦った二人から両肩を掴まれてしまった。

「ちょっとこっち」

紗月さんが出勤する人の流れから私を引っ張り、会社の手前にあるコンビニの駐車場へと私を引き入れた。

「いったいどうしたっていうんですか?」

いくら時間に余裕を持って家を出たとはいえ、それでも始業時間二十分前だ。

そこまで時間があるとは言えない。

「時間がないんで単刀直入に言いますね」

瑠衣ちゃんがずいっと私との距離を縮めてくる。

「千尋さん、金曜日に平嶋課長に連れられて帰りましたよね?」

そう言われて私は平嶋課長が言っていた言葉を思い出した。

私の荷物なんかを紗月さん達から受け取ったけど詳しい説明はしていないので、誤解はしっかり解いておくように……というような話ではなかっただろうか。

「あれは、私が酔っ払って意識を飛ばしちゃったから……」

恥ではあるがちゃんと説明しなくてはと話し始めたのだが。

「そんなことはいいんです!問題は見られてたってことなんですっ!」

興奮して早口になる瑠衣ちゃんの背中をなだめながら、紗月さんがバトンを受け取った。

「飲み会の会場近くにあるクリニックで機材入れ替えを手伝っていた一課の人数人がね、ホテルに入って行く千尋ちゃんと平嶋課長を見たっていうの」

「それだけじゃなくて、翌日昼間に千尋さんと平嶋課長が仲良くランチしてたのも目撃されてるんです!グループSNSから広がって、社内中の噂ですよっ!」

「うそっ!」

私は一気に血の気が引くのを感じ、激しくなり始めた鼓動を抑える為に胸元を握りしめた。

そんなことになっているなんて……。

私はバッグの中からスマホを取り出し画面を開いた。

「SNS見てないの?」

紗月さんの問いかけに、私は小さく頷いた。

面倒くさがりな私は、基本的に個人以外の公式アカウントやクループは通知音をオフにしているのだ。

何度も何度も通知音が鳴るのも鬱陶しいし、大したことのない話題に参加するのも気が乗らない。

だから見ていないことなんて珍しいことではない。

大切なことはいつも紗月さんと瑠衣ちゃんが個人的にメッセージをくれるし、今までそれで困ったことなんて一度もなかった。

だって……こんなに大事なことなんて今までなかったのだから。

SNSを開くと私の知らないところで、おびただしい数のメッセージがやり取りされていた。

内容を確認すると、私と平嶋課長の話がずらりと並んでいる。

「土曜の昼からずっとこんな感じなの。私と瑠衣ちゃんはきっと誤解だって思ってるけど、何せホテルに入って翌日ランチしてるなんて、普通に考えたらデキてると言われても仕方ないわ」

「本当に……本当に誤解なんです。とりあえず潰れた私をホテルに寝かせて帰ろうとしたら、私が嘔吐で平嶋課長のスーツ汚しちゃって……。だから帰れなくなっただけで。みんなが言ってるようなことは何もないんです」

顔面蒼白になりながらも必死に訴える私をなだめ、紗月さんは困ったように溜め息をついた。

「理由はわかったけど……。どんなに千尋ちゃんが自分のしでかしたことを公言しても、きっと誰も信じないでしょうね」

「どうしてですか?」

「おもしろいからよ」

「なるほど……」

紗月さんの一言は簡潔で重く、私と瑠衣ちゃんを一瞬で納得させる力を持っていた。

なにをどう考えてもこの問題を打破する案が浮かばない。

それもそのはず、私の思考回路は緊急停止してしまっているからだ。

「私と瑠衣ちゃんも千尋ちゃんに連絡するかどうか悩んだんだけど、敢えてしなかったの。ごめんね」

「少しでも早くこの情報は知りたかったです……」

ガックリと肩を落とす私に向かって、瑠衣ちゃんも「すみませんでした」と肩をすぼめた。

「でもこの噂を千尋さんが知ったら、慌てて鎮静化を図ろうとして逆効果になっちゃうか、最悪会社休んじゃうかと思ったんですもん」

「…………」

……大いにありうる。

「なんにしても」

紗月さんが口を開くと何か、解決の糸口があるのではないかと期待してしまう。

完全に他人依存型弱虫だ。

「この状況で好奇の目を向けられるのは千尋ちゃんだけじゃない。平嶋課長も同じよ」

「千尋さんの場合、向けられるのは好奇の視線だけじゃなくて、敵意の視線の方が多いと思いますけどね」

半笑いでそう言った瑠衣ちゃんを肘で小突きながら、紗月さんは私を優しく見つめた。

「千尋ちゃんは平嶋課長と同じ態度を取ればいいと思うわ。平嶋課長のことだから、きっと最善の姿勢でいるはずだから」

紗月さんにそう言われて私はハッとした。

どんな噂が立とうとも、相手はあの平嶋課長なのだ。

いいように騒がれて面白がられることはないだろう。

私は平嶋課長の対応を信じて任せておけばいいんだ。

そう考えると一気に気持ちが軽くなり、時間の余裕もなくなってきた私は、両サイドの二人に守られるように会社へと急いだ。


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