帝国愛歌-龍の目醒める時-
終焉②
「黄架、今すぐ還りなさい!そして・・・」
ふっ、と沈んだ体につられ、魂狩鬼の体が前のめりに傾く。その隙に背後に回り込み、ライラは背中目掛けて剣を振り下ろす。
「この世界への道を閉ざしなさい!」
背中に剣が突き刺さったまま、それでも魂狩鬼は鎌を振った。自分の足が切断されるのも構わず、背後のライラを狙う。
剣を手放し後ろに跳び、再び手の平から新しい剣を引き抜く。
「バニス、あなたも行きなさい。私が道を開く!」
魂狩鬼には決して手を出す事が出来ない、本当の死後の世界への道。
バニスは珠から人間の姿に変わり、言葉を紡ぐ。
《陛下、それではあなたは?この世界への道を閉ざしてしまったら、陛下は現世へ還れなくなります。私は一人で行けますから、どうぞ陛下も》
クスッと笑ってライラは答えた。
「現世に紫杏がいる限り、私には還る目印がある。大丈夫よ。それに」
瞳を細め、前を見据える。
「魂狩鬼は一人ではない」
魂を求めて彷徨う魂狩鬼は、黄泉の世界に幾人も存在する。此処にいくつもの魂が存在する事を知って集まってきたのだろう。
「さあ、みんな行きなさいっ!」
頷いて飛び立とうとしたバニスが、突然振り返った。
《トパレイズっ!》
名を呼ばれ、涙目でそちらを向いたトパレイズの唇に触れるもの。
《また、いつか逢える日まで・・・》
止まらない涙を拭く事すら忘れ、彼女は何度も何度も頷いた。声を上げて泣く彼女の体を抱きしめ、黄架は《こうが》走り出す。
現世へ。
「ゴメンね」
ぽつりと呟かれた言葉は、トパレイズに向けられたもの。謝れば謝るだけそれはちゃちなものに変わってしまうけれど。
言わずにはいられなかった。
《僕は・・・》
天への道へと進みながら、バニスは言う。
《陛下がそうやって言って下さるだけで、救われていたんですよ・・・》
バニスの声の余韻だけが、ライラの耳に残る。
救われていた。
その言葉がライラの心にどれだけの悦びを与えてくれるのか、バニスは知っているのだろうか。
こんなに何もしてやれない自分が、ライラには辛かった。
けれど。
(救われたのは・・・)
ライラ自身。
バニスのたった一言で、これまでの辛い事も総てリセット出来たような気がした。
◆◇◆◇◆◇◆
「トパレイズっ!」
ぐにゃりと歪んだ空間から、人型の黄架に抱えられてトパレイズが出てくる。ボロボロに泣き崩れているのに、それでもすっきりしているように感じるのは何故だろうか。
二人が地上に降り立つと、出て来た穴はすぐに狭まり、消えてしまった。
「えっ⁉」
カルスは驚いてそこに駆け寄った。出てくる筈の人間が、一人足りない。
「ライラ・・・?」
ゾクリと背中が粟立つ。
ライラの居る場所に繋がっている穴は、もう何処にもない。手を伸ばしてみても、掴める物は手応えのない空気だけ。
「冗談だろ・・・?」
これでは、ライラは存在すら消えてしまう。生きてきた時間も、育んできた総ての者達との関係も、何もかもが消えてしまう。
「紫杏っ!」
くるりと向きを変え、カルスは紫杏の服を掴んだ。そのままガクガクと揺さぶって訴える。
「今すぐライラを呼び戻せっ!それが無理なら・・・」
もう離れているのは嫌だ。姿が見えないだけで、怖くて、不安でどうしようもなくなる。
「俺を黄泉の国へっ‼」
ライラが来ないと言うのなら、こちらから追いかけて行くだけ。
「無理だ」
必死の形相で言い募るカルスから視線を外し、紫杏は瞳を閉じる。
「私が黄泉の国への道を開いてやれるのは、ライラにだけ。それに、例えそれが可能だとしても、私はお前を黄泉の国へやる事はしない。それがライラの願いだから」
無事に生きていて欲しい。それがライラの唯一の望み。
「お願いだ、紫杏っ!此処にいると恐いんだ!ライラが二度と還ってこないような気がするんだ!」
根拠なんて無い。ただ漠然とした恐怖だけ。だからこそ、余計に胸が騒ぐ。
「紫杏っ‼」
「私が・・・」
躊躇いがちに掛けられた声に、カルスはゆっくりと振り返った。
「トパレイズ?」
名を呼んでも、視線を合わせようとはしない。次の言葉を何と続けていいのかわからずに、もどかしそうに唇を噛んでいる。
「私が・・・」
ギュッと服の裾を掴んで、それでも真っ直ぐにカルスを見た。
「私が陛下を黄泉の国へお連れします」
揺るぎ無い決意を宿した瞳が、スッと伏せられた。そのまま片膝を折り、胸に手を当て頭を垂れる。
「ト、トパレイズ?」
驚くのも無理はない。それは臣下が取る最高の礼の動作なのだから。
「これまでの私の行動や想いが消える事は無いけれど、私の中で一つだけ、確かなものが生まれました」
後悔や憎しみが完全に消え去る事はない。ふとした時に再び沸き上がるこの気持ちを、トパレイズ自身も消そうとは思わなかった。
ただ、その中で知った事がある。
「・・・死なせないで」
生まれる筈の無かった気持ち。
「あの人は、ここで死んでいい人間じゃない。これから先も、ギルアを治めていくべき人」
紫龍の力を以てすれば、もっと簡単にトパレイズをどうにか出来た。自らの命を危険に晒さずとも、トパレイズを人知れず殺してしまう事も可能だった筈なのだ。
それをしなかったのは、皇妃として民を愛しているから。まるで、自らの子のように。
立ち上がり、手を差し延べてトパレイズは言う。
「死なせないで下さい。我々ギルアの・・・大切な皇妃陛下を」
泣きそうに笑って、カルスはその手を取った。
◆◇◆◇◆◇◆
もう何本目かさえわからない。幾度も幾度も剣を生み出し、魂狩鬼の体を突き刺し大地に縫い止める。
振り返って数える気にもならなかった。一体どれ程の魂狩鬼が此処に存在するのか。
剣は完全に体を貫いているのに、痛みも感じずただ生きている者の魂を狙う。生きる事も死ぬ事も出来ずに。
「大人しく───」
パシッと逆手に持ち直し、その場で宙に飛び上がる。此処は魂を現世から切り離す場所。大地に縛る力が少ない分、ライラの体は軽い。
「眠りなさい!」
ドスッ!と背中に刃を突き立てると、魂狩鬼はキイィィッと奇妙な声を上げた。苦しみから上げる断末魔の悲鳴ではなく、堪えようのない悦びの。
ザシュッ‼‼
「うっ!?・・・きゃ、あああぁっ‼」
着地した瞬間の不意打ち。まるでそれを狙っていたかのような正確さで、魂狩鬼はライラの右肩の肉を殺ぎ落とした。
「っああぁっ!はあっ!」
右手に握っていた剣が、消える。それと同時に魂狩鬼を繋ぎ止めていた剣も消えてしまった。
「タマ、シイ・・・光リ輝ク、ムラサキ色の・・・」
総ての魂狩鬼が起き上がり向かって来る光景に、正直ゾッとした。
「来ないで・・・っ!」
鎌を振り下ろした魂狩鬼の腕に、バチバチと紫色の電流が疾る。一瞬見えたのは、ライラを中心にして広がる、半径一メートル程のドーム状の結界だった。
しゅうしゅうと煙を上げているのに、魂狩鬼は構わない。指の骨が欠けようと、腕が消えてしまおうと、ライラに手を伸ばす。
「いや・・・」
これ程までにさせる、人間の執念が恐かった。逃れられない、そう思った。
「来ないでぇっ!」
ドンッ!と見えない風に突き飛ばされ、結界の周りに群がっていた魂狩鬼達は宙を舞った。白骨化した体は存外簡単に崩れ、カラカラと乾いた音をたてて地に落ちる。
けれど骨は何事もなかったかのように再び寄り集まり、人の姿を形取っていく。
「もう・・・しつっこい・・・」
クラリと世界が回った。いや、これは眩暈だ。血が、足りない。
「・・・・・・」
グシャ、グシャと草花を踏み潰し向かって来る魂狩鬼を見つめながら、ライラは終焉を感じていた。
高々と持ち上げられたその鎌が振り下ろされる時、総てが終わる。
そう思った。
「ライラッ‼」
ドシュウッ‼‼
居る筈のない所に、居る筈のない人。何時の間に現れたのか、目の前には確かに人の身体。首からぶら下げた龍の紋章のペンダントが、ゆらゆらと揺れている。
「カル、ス・・・?」
貧血で暗い視界に、それでも飛び込んでくるのは紛れもなくカルスその人だった。
ふっ、と沈んだ体につられ、魂狩鬼の体が前のめりに傾く。その隙に背後に回り込み、ライラは背中目掛けて剣を振り下ろす。
「この世界への道を閉ざしなさい!」
背中に剣が突き刺さったまま、それでも魂狩鬼は鎌を振った。自分の足が切断されるのも構わず、背後のライラを狙う。
剣を手放し後ろに跳び、再び手の平から新しい剣を引き抜く。
「バニス、あなたも行きなさい。私が道を開く!」
魂狩鬼には決して手を出す事が出来ない、本当の死後の世界への道。
バニスは珠から人間の姿に変わり、言葉を紡ぐ。
《陛下、それではあなたは?この世界への道を閉ざしてしまったら、陛下は現世へ還れなくなります。私は一人で行けますから、どうぞ陛下も》
クスッと笑ってライラは答えた。
「現世に紫杏がいる限り、私には還る目印がある。大丈夫よ。それに」
瞳を細め、前を見据える。
「魂狩鬼は一人ではない」
魂を求めて彷徨う魂狩鬼は、黄泉の世界に幾人も存在する。此処にいくつもの魂が存在する事を知って集まってきたのだろう。
「さあ、みんな行きなさいっ!」
頷いて飛び立とうとしたバニスが、突然振り返った。
《トパレイズっ!》
名を呼ばれ、涙目でそちらを向いたトパレイズの唇に触れるもの。
《また、いつか逢える日まで・・・》
止まらない涙を拭く事すら忘れ、彼女は何度も何度も頷いた。声を上げて泣く彼女の体を抱きしめ、黄架は《こうが》走り出す。
現世へ。
「ゴメンね」
ぽつりと呟かれた言葉は、トパレイズに向けられたもの。謝れば謝るだけそれはちゃちなものに変わってしまうけれど。
言わずにはいられなかった。
《僕は・・・》
天への道へと進みながら、バニスは言う。
《陛下がそうやって言って下さるだけで、救われていたんですよ・・・》
バニスの声の余韻だけが、ライラの耳に残る。
救われていた。
その言葉がライラの心にどれだけの悦びを与えてくれるのか、バニスは知っているのだろうか。
こんなに何もしてやれない自分が、ライラには辛かった。
けれど。
(救われたのは・・・)
ライラ自身。
バニスのたった一言で、これまでの辛い事も総てリセット出来たような気がした。
◆◇◆◇◆◇◆
「トパレイズっ!」
ぐにゃりと歪んだ空間から、人型の黄架に抱えられてトパレイズが出てくる。ボロボロに泣き崩れているのに、それでもすっきりしているように感じるのは何故だろうか。
二人が地上に降り立つと、出て来た穴はすぐに狭まり、消えてしまった。
「えっ⁉」
カルスは驚いてそこに駆け寄った。出てくる筈の人間が、一人足りない。
「ライラ・・・?」
ゾクリと背中が粟立つ。
ライラの居る場所に繋がっている穴は、もう何処にもない。手を伸ばしてみても、掴める物は手応えのない空気だけ。
「冗談だろ・・・?」
これでは、ライラは存在すら消えてしまう。生きてきた時間も、育んできた総ての者達との関係も、何もかもが消えてしまう。
「紫杏っ!」
くるりと向きを変え、カルスは紫杏の服を掴んだ。そのままガクガクと揺さぶって訴える。
「今すぐライラを呼び戻せっ!それが無理なら・・・」
もう離れているのは嫌だ。姿が見えないだけで、怖くて、不安でどうしようもなくなる。
「俺を黄泉の国へっ‼」
ライラが来ないと言うのなら、こちらから追いかけて行くだけ。
「無理だ」
必死の形相で言い募るカルスから視線を外し、紫杏は瞳を閉じる。
「私が黄泉の国への道を開いてやれるのは、ライラにだけ。それに、例えそれが可能だとしても、私はお前を黄泉の国へやる事はしない。それがライラの願いだから」
無事に生きていて欲しい。それがライラの唯一の望み。
「お願いだ、紫杏っ!此処にいると恐いんだ!ライラが二度と還ってこないような気がするんだ!」
根拠なんて無い。ただ漠然とした恐怖だけ。だからこそ、余計に胸が騒ぐ。
「紫杏っ‼」
「私が・・・」
躊躇いがちに掛けられた声に、カルスはゆっくりと振り返った。
「トパレイズ?」
名を呼んでも、視線を合わせようとはしない。次の言葉を何と続けていいのかわからずに、もどかしそうに唇を噛んでいる。
「私が・・・」
ギュッと服の裾を掴んで、それでも真っ直ぐにカルスを見た。
「私が陛下を黄泉の国へお連れします」
揺るぎ無い決意を宿した瞳が、スッと伏せられた。そのまま片膝を折り、胸に手を当て頭を垂れる。
「ト、トパレイズ?」
驚くのも無理はない。それは臣下が取る最高の礼の動作なのだから。
「これまでの私の行動や想いが消える事は無いけれど、私の中で一つだけ、確かなものが生まれました」
後悔や憎しみが完全に消え去る事はない。ふとした時に再び沸き上がるこの気持ちを、トパレイズ自身も消そうとは思わなかった。
ただ、その中で知った事がある。
「・・・死なせないで」
生まれる筈の無かった気持ち。
「あの人は、ここで死んでいい人間じゃない。これから先も、ギルアを治めていくべき人」
紫龍の力を以てすれば、もっと簡単にトパレイズをどうにか出来た。自らの命を危険に晒さずとも、トパレイズを人知れず殺してしまう事も可能だった筈なのだ。
それをしなかったのは、皇妃として民を愛しているから。まるで、自らの子のように。
立ち上がり、手を差し延べてトパレイズは言う。
「死なせないで下さい。我々ギルアの・・・大切な皇妃陛下を」
泣きそうに笑って、カルスはその手を取った。
◆◇◆◇◆◇◆
もう何本目かさえわからない。幾度も幾度も剣を生み出し、魂狩鬼の体を突き刺し大地に縫い止める。
振り返って数える気にもならなかった。一体どれ程の魂狩鬼が此処に存在するのか。
剣は完全に体を貫いているのに、痛みも感じずただ生きている者の魂を狙う。生きる事も死ぬ事も出来ずに。
「大人しく───」
パシッと逆手に持ち直し、その場で宙に飛び上がる。此処は魂を現世から切り離す場所。大地に縛る力が少ない分、ライラの体は軽い。
「眠りなさい!」
ドスッ!と背中に刃を突き立てると、魂狩鬼はキイィィッと奇妙な声を上げた。苦しみから上げる断末魔の悲鳴ではなく、堪えようのない悦びの。
ザシュッ‼‼
「うっ!?・・・きゃ、あああぁっ‼」
着地した瞬間の不意打ち。まるでそれを狙っていたかのような正確さで、魂狩鬼はライラの右肩の肉を殺ぎ落とした。
「っああぁっ!はあっ!」
右手に握っていた剣が、消える。それと同時に魂狩鬼を繋ぎ止めていた剣も消えてしまった。
「タマ、シイ・・・光リ輝ク、ムラサキ色の・・・」
総ての魂狩鬼が起き上がり向かって来る光景に、正直ゾッとした。
「来ないで・・・っ!」
鎌を振り下ろした魂狩鬼の腕に、バチバチと紫色の電流が疾る。一瞬見えたのは、ライラを中心にして広がる、半径一メートル程のドーム状の結界だった。
しゅうしゅうと煙を上げているのに、魂狩鬼は構わない。指の骨が欠けようと、腕が消えてしまおうと、ライラに手を伸ばす。
「いや・・・」
これ程までにさせる、人間の執念が恐かった。逃れられない、そう思った。
「来ないでぇっ!」
ドンッ!と見えない風に突き飛ばされ、結界の周りに群がっていた魂狩鬼達は宙を舞った。白骨化した体は存外簡単に崩れ、カラカラと乾いた音をたてて地に落ちる。
けれど骨は何事もなかったかのように再び寄り集まり、人の姿を形取っていく。
「もう・・・しつっこい・・・」
クラリと世界が回った。いや、これは眩暈だ。血が、足りない。
「・・・・・・」
グシャ、グシャと草花を踏み潰し向かって来る魂狩鬼を見つめながら、ライラは終焉を感じていた。
高々と持ち上げられたその鎌が振り下ろされる時、総てが終わる。
そう思った。
「ライラッ‼」
ドシュウッ‼‼
居る筈のない所に、居る筈のない人。何時の間に現れたのか、目の前には確かに人の身体。首からぶら下げた龍の紋章のペンダントが、ゆらゆらと揺れている。
「カル、ス・・・?」
貧血で暗い視界に、それでも飛び込んでくるのは紛れもなくカルスその人だった。
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