帝国愛歌-龍の目醒める時-

如月 環

瞳②

その時、何故声が出なかったのかヴァイネルにはわからなかった。
頼みの綱であるブラッディ・ジュエルは敵に渡ってしまい、今まさにシストは殺されてしまうと言うのに、何故か声が出なかった。
それは恐怖からなのか、絶望していたからなのか、それとも・・・

(シスト)

少し離れた場所から、まるでコマ送りのように進む映像を見ているようだ。
シストの。コウガの。二人の指先の動きさえ感じる程、長い時間。
実際にそんなものを自分が見られる筈などないが、それ程に、冴え渡った感覚だったのだ。




激しい風が、ライラの長い黒髪を巻き上げる。憎しみから生まれる風は、頬を裂き、流れる血を吹き飛ばしても猶、収まる事はない。
けれどライラは知っているから。
龍は心優しい生き物だと。憎しみだけに身を浸して生きる事など出来ないと、知っているから。
顔を上げ、顎を引き、真正面からその姿を見つめて声を上げる。

「止まりなさい、黄架こうがっ!」
「っ⁉」

ビクッと身を震わせ、コウガはライラの眼前で急停止した。遅れて舞い上がる砂埃が、髪や首筋、その美しい顔にざらざらとした不快感を与える。

「私の名を、正確に・・・?」

手の甲で顔に付いた砂を大雑把に拭き取ると、ライラはにっこりと笑った。

「ねぇ、トパレイズ」

龍の巫女は身体の何処かに宝石を持っている。
それは確かだ。例外はない。巫女の身体の宝石は、第二の心臓。龍の心臓であるブラッディ・ジュエルと同じ、魔力の源だ。

「あなたが私付きの女官になったのは、もちろん私とカルスを苦しめたかったからでしょう?」

一番近くで苦しむ姿を見たかったから。

「でも、有り得ない事だとは思いながら、どれ程に低い確率だと知りながら・・・それでも」

確認したかったのでしょう?
ライラは問う。
けれどそれは確信している事。問いはその形を取ってはいるが、確認に過ぎない。

「私の身体に宝石があるかを」

身の回りの世話をする女官として、トパレイズはライラの側にいた。

「それで、結果はどうだった?」
「そんなものっ!」

どこにもそんなものは無かったと、自信を持って言える。

「本当に?」
「しつこいわねぇっ!」

トパレイズは大きく両手を広げて、ヒステリックに怒鳴り散らす。

「腕、足、肩・・・普段は見えない胸やお腹にだって無かった!ましてや私と同じ額にだって─────っ⁉」

いや、ちょっと待て。

「皇族を守護するのは、龍王?」

紋章に埋め込まれている宝石は、総ての能力を持つ龍族の王の命。

「・・・紫龍?」

貴い色、紫。
そして巫女は、龍の纏う色と同じ宝石をその身に刻む。

「まさか・・・まさかっ⁉」

ギルアだけではなく、ハリシュアもエンジもキャンウェイも。この世界総ての中で、ライラ以外にそれを持つ者を誰も知らない。

「その─────その瞳がっ⁉」

シスト・ジュエル。
何故その名を選んだか。
それは、その身に紫水晶アメシストを刻んでいるから。

「ご名答」

ライラの瞳は、誰も持ち得ない純粋な紫色。もう一人の龍王、『紫龍の巫女』の証だ。
あまりに目の前にありすぎて、誰も気付かなかった。それが、彼女の本当の瞳ではない事を。

「私の瞳が本当はどんな色をしているのか、それは私にもわからない」

巫女である証は、身体の何処かに埋まっている。それが例え瞳であっても不思議はないのだ。
ただ、ライラのそれは例外すぎる。
両方の瞳なんて。
それはつまり、彼女のブラッディ・ジュエルが二つあると言う事。他の巫女より、二倍の力を引き出せると言う事だ。

「敵う筈、ないじゃない・・・」

トパレイズは呆然と呟いた。

「何故、あんただけがこんなにも幸せなの?最高の地位と、愛してくれる人がいて、その上誰よりも強い力を持っていて・・・」

ギリギリと拳を握りしめ、トパレイズは叫ぶ。

「どうしてっ!」

自分にだけ何もない。何も出来ない。
幸せを得られる人間は、最初から決まっているのだろうか。そして、その中に私は含まれていないのだろうか。

「コウガっ!」

ライラの眼前で動きを止めていたコウガの瞳に、再び殺気が疾る。グオッと大きく開いた顎から覗く白い牙が、ギラリと光った。
ライラはそれに怯むどころか、向かって来るコウガに腕を突き付ける。
そして体の底から叫んだ。

「我が呼び声に応えよ、ブラッディ・ジュエルッ!我が名はライラ!龍王の巫女なり!」

コウガの手に渡った筈のブラッディ・ジュエルが、瞬時にしてライラの差し出した手の上に現れた。透明な水晶だったそれは、体中に流れる血のように紅く変わり、力強い鼓動を刻む。

「目醒めよっ!龍王・紫杏っ‼」

カッ‼

音もなく弾けたブラッディ・ジュエルから生まれた閃光が、辺りを紫色に包み込んだ。けれど太陽を直接見てしまった時のようなあの痛い程の刺激は無く、視力は驚く程早く戻ってくる。
無意識の内に上げていた腕を下ろし、トパレイズの瞳に映った者は。

「龍、王・・・!」

もう夕日も殆ど沈み、闇が辺りを満たしつつあると言うのに、僅かな月の光だけで美しく輝く肢体。完全な形で取り戻したブラッディ・ジュエルが、身体中に魔力を漲らせてくれる。
龍の事など何もわからないヴァィネルでさえ、その圧倒的な存在感を感じていた。

「ライラ!」

恐らく一緒に地上へ連れて来られたのであろうカルスが、ライラの姿を認めて声を上げる。
けれど彼女はちらりともそちらに視線を向けず、駆け寄ろうとするカルスにピタリと腕を突き出し、その動きを止めさせた。声を掛ける事もなく横をすり抜け、龍の姿で現れた紫杏の隣に立つ。

「目覚めた早々悪いけれど、ありったけの力を借りるわよ」

紫杏の力が完全に戻ったという事は、ライラの力も完全に解放出来るという事。何百年ぶりに目覚めたばかりで、本当の意味で本調子ではない紫杏だけれど、今回だけは無茶をして貰わなければならない。

「構わないよ。お前の納得のいくようにおやり、ライラ」

近寄って来た大きな顔に腕を巻き付け、その頬に顔を寄せる。石像の体からは決して感じない温もりが、優しくライラの背中を押してくれる。

「お前なら、きっと上手くやれるから」

一度強く瞳を閉じ、ライラは紫杏から体を離した。開いた瞳が映すのは、黄龍・コウガとその巫女トパレイズ。本当ならずっと眠っていた筈の二人を目覚めさせ、こんなにも辛い道を選ばせてしまったのは、自分達だから。
もし彼女達と同じ運命を辿ったとしたら、自分達も同じ事をするだろうと思う。そしてだからこそわかるのだ。彼女がどんな結末を望んでいるのかが。

「ねぇ、トパレイズ」

ライラは、かたかたと震えながら、それでもぎらぎら憎しみの炎を燃やして睨み付けてくるトパレイズを見据えて言った。

「私達龍の巫女は、何時だって龍と共に生き、歩んで来た。それはわかっているわね?」
「・・・・・・」

答えはない。
ただ、それだけはライラもトパレイズも心を同じにしている。だからそのまま続けた。

「でも、あなたは今、あなたの龍の君・コウガと同じ道を歩いている?ちゃんと、辛くないように歩幅を合わせてあげている?たまには隣を見てあげているの?」

何を言っているのか。
そんな戸惑った表情で、トパレイズはライラを見た。

「・・・やっぱり見てあげていないのね?」

共に生きているとは言っても、何もかもが同じではない。人間と、龍と。それだけでも生きている世界は違うのだ。
誰よりも相手の事がわかるからこそ、わからない事もある。あまりに近すぎて見えない事。相手を思う、その心。

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