モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

番外ルリア編 若き法務官の回想

「これが軍務部から回ってきたと?」

 法務部行政館。
 そのある部局において、オルタンツ・モービエ・ディクシアは手渡された封書に視線を落とした。

「法務部宛のものが紛れ込んでいたそうです」

「……そうか」

 そう言葉を交わすうちにも、オルタンツは封書に開封された形跡が無いのを確認した。
 たとえ誤配されたものだとしても、他部署当ての封書が開封されていたとしたら、目を通したのか先方に赴いて確認しなければならないからだ。

「私も調べましたが、開封された形跡は見当たりませんでしたよ」

 局員はオルタンツに対して僅かに目配せをする。

「……そのようだな」

 局員と一瞬だけ視線を交わしたオルタンツは、封蝋の端へと開封用ナイフの先を差し込み丁寧に封書を開く。
 法務部に登用されて四年目の彼は、現在法務部へと寄せられる相談や投書などを確認し、内容に適した部局へと振り分ける部署にいた。

「これは……」

「どうかされましたかオルタンツ殿?」

 普段は、躊躇することなく振り分けを行うオルタンツが、封書の中身に目を通して逡巡したことに、局員が珍しそうに声を掛けた。

「いや、なんでもない」

 オルタンツは直ぐにいつもの様子に戻ると、広げていた紙を封筒の中へと戻して、一時保管用の棚へと入れる。

「今のところ他の部局に回す書類は無い。君も仕事に戻りなさい」

 そう局員に告げると、オルタンツは保管棚へと置いた封筒に僅かに意識を向けた。

(これは私に動いてほしい――という事なのだろうな)

 手紙には、とある貴族の動向が符牒をもちいて記してあったのだ。
 オルタンツにはそれだけで、この手紙に込められた意図が読み取れた。
 それは、これまでにも何通りかの手法による連絡を受けて、それだけの情報を得ていたからだ。
 オルタンツの脳裏に、学生時代、共に勉学に励んだロバート・フランド・エヴィデンシアの顔が浮かぶ。

(いまだに、彼が法務部に任官できなかった事が悔やまれる)

 オルタンツとロバートは同じ歳で、共に十二歳の年に王都に出来て間もないファーラム学園に就学した。
 学園は元々、王宮を守る第一城壁城門前区画の再開発に伴い、賢者ファーラムが王国の次代を担う人材の育成を提唱して建学されたものだ。
 しかし当時『そのような、海のものとも山のものともつかぬものに国費を使えるか』と、三務部や貴族院から難色を示された。
 結局、彼らからの横やりによって話が一向に進まないことに業を煮やしたファーラムが、オルトロス陛下に私財を投じて創立することを申し出て実現したものだった。
 そのような経緯もあり当初就学したは学生の殆どは、ファーラムに賛同していた貴族と、僅かな上流市民の子供たちだ。
 当時は王都在住の貴族も、子を学園に入れる家は少なかったのだが、現在では各行政機関へと任官した者たちの目に見える活躍によって、その有用性がおおいに認められたことで国からも運営資金が入っている。
 その実績によって各地領主の子供たちも、その多くが学園で学ぶようになっていた。

 そんなファーラム学園に就学した当時、あのときはまだエヴィデンシア家の前当主オルドーが法務卿として健在で、バレンシオ伯爵を告発する前の事だった。
 あの当時、ロバートの周りには多くの友がいた。
 それは彼の人当たりの良さもあったが、彼の家柄にすり寄る者たちも多かったのだろう。
 現在ではバレンシオ伯爵を陥れようとした冤罪事件として知られているあの事件後、オルドーが法務卿の地位と、エヴィデンシア伯爵家の当主の座も退くと、多くの者がロバートの周囲から消えた。
 それでも彼との友誼を続ける者たちもいたが、力を失ったエヴィデンシア家に対して、力を増したバレンシオ家。
 親からの戒めもあったのだろう、櫛の歯が欠ける※彼の周りから人影が消えていった。
 高等部に上がる頃には彼の周りには友はおらず、下級生の面倒を見る役を仰せつかった上級生――それも市民階級の学生が一人、たまに目に付くくらいだった。

 ロバートの状況に対するように、オルタンツの周りには人が集まるようになっていた。
 それは明らかに下心の分かるすり寄りであった。だが人付き合いが苦手であったオルタンツは、在学中に他家との繋がりを作るように父よりも厳命されていたので、そのような切っ掛けであろうともそれを利用した。だがそれは、ある意味貴族らしい冷たい関係を築いただけであったのだが……。
 そんなオルタンツが真に友と呼ぶ間柄になったのが、奇しくも貴族社会からはじき出された等のロバートであったのだ。

(きっかけは、あのお節介者だったな……)

 オルタンツは、いままさに部屋を出て行こうとする局員の背に向けて僅かに視線を送る。
 今は軍務部戦史編纂局に配属されているというロバートが、人目を忍んで紛れ込ませた封書を、郵書局局員になりすました彼がオルタンツの下へと運んだ。

(当時から神出鬼没の男だったが、彼のおかげで私たちは繋がることができた)

 自分とロバートの間を繋いだ男。
 モンド・セレクタ。
 二学年上に在籍していた彼は、ある意味扱いづらい下級生の世話を押しつけられたようなものだった。
 当時からとても世慣れた人の懐に入り込むのがうまい男で、オルタンツもいつの間にかその胸の内へと入り込まれていた。

『さすが共に法務を司る家柄のご子息だ。一見正反対の性格ようでいてその内に抱えているものはまったく同じだときている』

 そう言い放たれた彼の言葉に興味を覚えたのが、ロバートの内面に目を向けた切っ掛けだった。
 だがエヴィデンシア家に対するバレンシオ伯爵の嫌がらせは執拗で、下手に彼に近付けばディクシア家も巻き添えを食らいかねなかった。
 そのオルタンツの懸念を先読みでもしたように、密かにロバートと対話する機会を設けたのもモンドだった。

(あれは、高等部二年の春先だったか……)

「ここならば余計な邪魔が入る事も無いでしょう。大丈夫、私が見張っていますから、お二人は心ゆくまで心底を晒してくださいな」

 専攻学部の数が充実していなかった当時。物置として使われていた教諭用の個室に導かれたオルタンツは、先にこの部屋に連れてこられていたらしいロバートと対峙することになった。
 法務の道を志す同士、教室も同じで席が隣になったこともあるが、このように正面から話をする機会はこれまで無かった。
 ディクシア家とエヴィデンシア家といえば、オルトラント王国において、互いに歴代法務卿の輩出数を競う、法務の要とも言える家柄だ。
 しかし、罪人が犯した罪の裁きに対する両家の考え方はある意味両極端であり、その意見の対立は日常的に見られるモノであった。
 それもあって両家の関係は険悪であると周囲には受け止められている。
 互いの間に少々気まずい空気が漂ったが、意を決したようにロバートが口を開く。

「バレンシオ伯爵の件、ディクシア家はどのように考えているのだろうか?」

 普段教室では柔和な、ともすれば頼りなく見えるロバートが、今は表情を引き締め、鋭い視線でオルタンツを窺っている。
 彼の問いは、当然のようにオルタンツが事件の詳細を理解している事を前提としたものだ。
 オルタンツは、ディクシア家が独自に纏めていた当時の資料を思い起こす。

「我が家の見解もオルドーどのと同じだった。だが……主導したのが我が家であったなら、証拠を一人の人間に託しはしなかったろう」

「そうか……そうだね。物証ならばそうするべきだったとボクも思うし、父上もそうしただろう」

「そのように言うことは、証拠とは証人だったのか? 祖父と父は改ざんされた帳簿の原本だと考えていたが――だがそれにしても同じ事ではないか?」

 帳簿については結局、自身の潔白を証明するとしたバレンシオ伯爵の手によって、その罪を認めた真犯人が突き出され、その犯人は現在も投獄されている。
 その犯人は、バレンシオ伯爵と何らかの取り引きに応じて罪を被ったとディクシア家では考えていた。

「証人が、警護を任された一人の局員にしか心を開かなかったそうだ。その人以外の局員にはひどく怯えてしまって、裁判までバレンシオ伯爵の勢力に気取られず潜伏させることが難しいと判断したらしい」

「まさか……その証人というのは人身売買組織に捕らえられていたのか?」

「そう、捕らえられていた。しかもそこで組織の人間と共にバレンシオ伯爵を目撃していたそうだ」

「まさか――それを決め手として告発したというのか!? いかに被害者の証言があろうとも、それだけで伯爵を断罪するのは難しいだろう」

 伯爵以上の爵位を持つ者の裁判には上位貴族院の審議があり、そこで下された判断に対する最終的な決定は国王陛下に委ねられる。
 そのせいか市民の証言は、証拠として一段低く捉えられる傾向があるのだ。
 しかもこの件の場合、人身売買組織に囚われていたとなると、さらに身分が低い可能性があった。

「そう、それが只の証人ならば……。だがもしも、保護した証人――それが第一世代の竜種だとしたら?」

「なッ!? まっ、まさかあのときオルドー殿たちは、竜種売買の証拠を押さえていたのか!? ……そうか、それならば竜王様にお出まし頂ける。竜王様の心眼を持ってすれば、人が心底を隠すことなどできはしない」

 十年前に行われたバレンシオ伯爵の告発は、法務卿であったオルドーと一部の捜査局局員によって主導された。
 当時、オルタンツの父トゥールと祖父オズワルドも法務部に居た。だがバレンシオ伯爵の身辺捜査について耳にしていたものの、関わってはいなかった。
 祖父が言っていたが、それは万が一を考えたオルドーどのが、今ひとつの法務の要であるディクシア家に累が及ばないようにしたのだろう。
 ディクシア家の人間が知らなかった第一世代竜種の存在に、普段冷静な態度を崩さないオルタンツも驚きを隠せなかった。だが直ぐに落ち着きを取り戻すと一つの疑問を口にする。

「しかし……捕らえられていたのが第一世代の竜種だとしたら、魔法が使えたのではないか?」

 第一世代の竜種は自在に魔法を扱える。それは第二世代以降の竜種との決定的な違いの一つだ。

「詳細な経緯は分からないが、人の姿で捕らえられ、力を封じる魔具マギクラフトを使われていたそうだ」

 ロバートが、第一世代竜種の今ひとつの特徴ついて言及した。
 人間の姿への化身。
 竜王様方と第一世代の竜種のみが持つ能力だ。

魔具マギクラフトか……そのようなものがあると聞いたことがある。……だが、ということはまさか――バレンシオ伯爵は簒奪教団と関係しているかもしれないということか?」

 竜王様方から世界の管理者の座を奪い取ろうと暗躍している簒奪教団。
 一般にはほとんど知られていない組織だ。だが大陸各国が危険思想集団として警戒し、壊滅する為に力を入れている。
 その簒奪教団が、竜王様の守護下にある竜種たちの力を削ぐ魔具マギクラフトを製作しているという。

「その可能性が高いだろうね」

「しかし、それほどの証拠を手にしながら、結局告発は失敗に終わった訳か……結局は竜種の保護に問題があったと言わざるを得ないな」

 裁判の中、その証拠を示せなかったということは、結局その竜種の保護に失敗したということだろう。

「そうだね……あの時が千載一遇の機会だった。今の我が家の状況は、我が家の甘さが招いたものだろう……だが、バレンシオ伯爵と彼が抱えているならず者たち。彼らを野放しにしておいては、この先きっと、オルトラントに大きな災いを及ぼすだろう。父上たちは現在でも、かの伯爵の悪事を暴き出そうと探り続けている……」

 ロバートは、一つ静かに息を付くと、これまで以上に真剣な面持ちで言葉を続ける。

「……だが、父上たちの動きはバレンシオ伯爵の息の掛かった者たちによって、その多くが見透かされているだろう」

「……確かにな。地位を辞したとはいえ、オルドーどのは国の中枢にいた方だ。懇意にしておられた方々もデュランド軍務卿を初め重鎮が多い。繋がりを見張るのはたやすいだろうね」

「……だから……だからこそ、オルタンツ――ボクは君に、我が家が得た、そしてこれから得るだろう情報を託したい」

「エヴィデンシア家が得た情報を私に……だが、何故?」

 ここまで真剣な面持ちを崩さなかったロバートが、初めて力を抜いた笑みを浮かべる。

「モンドさんが言っていた……君も、バレンシオ家に対して強い危惧を抱いていると。それにここまでの話で、君が本当にバレンシオ伯爵に目を向けていることが理解できた:……」

 彼の深緑の瞳は、吸い込まれそうなほどに澄んでいて、彼の心底に濁りが無い事がわかる。
 ロバートはその瞳を静かに閉じると、その面を今一度引き締め、決意を込めて見開いた。

「――ボクはこの先凡庸を貫く。エヴィデンシアの血脈とは思えぬ、取るに足らない凡百の人間として。たとえ父や家人けにんたちにそしられようと。ボクは……侮りの心の底を縫い、君にバレンシオを誅するための武器情報を与えよう。……まあ、元々英明ではないので代わり映えはしないのだけどね」

「最後の言葉さえなければ、私は生まれて初めて、同じ歳の人間に尊敬の念を抱くところだったよ……」

 そう口にしたオルタンツは、今度は自分が、先ほどのロバートのように、力の抜けた笑みを浮かべているのだろうと、己の頬が緩んでいるのに気が付いた。
 この部屋に入ってロバートと顔を合わせたときとは違う気まずさがオルタンツの心の中に湧き上がり、彼は小さく咳払いして表情を繕う。

「……つまりロバート。君は、バレンシオ伯爵からは明確に顔の見える我らの親たちと違い、彼にとっては、取るに足らない存在である私たちが手を取り合うことで、彼の目を欺き、彼を裁く力を蓄えようということだね。……分かった。君の申し出、有り難く受けさせてもらおう。……しかし、君も意外に強引な男だったのだな」

 オルタンツとロバートはどちらともなく歩み寄ると、互いの手を強く握り締めた。

「やあやあお二人さん。そろそろ切り上げ時だと思うのだけど、心の交流はできたかい?」

 まるで頃合いを計ってでもいたかのように、音も無く部屋の扉が開かれると、平凡な顔が覗く。
 確かに、気が付くと部屋の窓から差し込んでいる陽光が、ここに来たときよりも部屋の深くへと入ってきている。

「ふむ――お二人ともいい顔になった。さてそれでは、いま一手間になりますが、人目に付かぬよう少々見目をイジらせて頂くよ」

 言いながらモンドは、少しだぶついた上着から筆や白粉入れコンパクトのようなものを取り出した。

「ああ大丈夫。害のあるようなものではありません。目元の印象や骨格の陰影を変えるだけでも別人に見えるものです」

「まったく……私の友たちのなんと我の強いことか……」

 モンドによって、有無を言わさず顔に筆を入れられながら、オルタンツは困憊を滲ませた言葉を吐き出す。
 しかし彼の表情は、明らかに心満たされた者のそれであった。

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