モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

番外ルリア編 鬼姫と旦那様の夜語り

 薄暗い部屋の中、燭台に灯る光がゆらゆらと揺れて、室内に不可思議な生命力を感じさせている。
 そんな居室のベッドの中、片手で頬を支えたルリアは夫の顔を覗き込むように見つめていた。

「エヴィデンシア家の抱える料理人はもちろん素晴らしいです。ですがトナムさんが調理したという料理もまた格別でしたね」

「ルリア……なんでいきなりそんな話を? 確かに、我が家の料理人エスコフの事を考えるとあの場で感想を述べるのは差し障りがあったかも知れない。だがそれなら部屋に戻ってすぐにできた話だと思うのだが」

 枕に頭を乗せて横たわっているロバートが、首を捻ってルリアに顔を向ける。
 疑問顔の彼にジーッと見つめられたルリアは、自分の顔が熱くなってくるのを感じた。
 ルリア顔はこの薄暗い部屋の中でも間違えようもなく真っ赤に染まっているだろう。
 しかし、それを目にしても彼にはなんでそうなっているのか理解が及ばないようだ。
 いたたまれなくなったルリアはロバートの胸元へと顔を伏せる。

「うぅっ……ロバートの朴念仁……」

「おっ、おい、どうしたんだルリア!?」

 ポフポフと胸をはたきだしたルリアにたいして、ロバートは困惑した様子だ。

「ロバート……あなたは私の事をいったいどのように考えているのですか? その――確かに、私はマーリンエルトでは鬼姫などと陰口を叩かれておりますけれど……、これでもれっきとした子女なのですよ。あなたの身体のこともありますから……その……私が上になるしかありませんでしたけれど……」

「あっ……」

 ルリアがそこまで口にしてはじめて、ロバートにはルリアの態度に思いが至ったようだった。

「……決して恥ずかしくない訳では無いのですからね……」

 まだ赤みの残った顔を起こして、ルリアは恨めしそうにロバートを見つめる。

「ああッ! その、悪かった! 確かに俺の不徳だ。……だが、その……男は事が済んでしまうと感情が平坦になってしまうというか……」

「ですが、察してくださっても良いではないですか……」

「……それで、トナム君の料理の話になったわけだね」

 ルリアの声が半泣きのように響いたからか、ロバートが誤魔化すように話題を戻した。

「ええ……それで、ロバートはどのように感じましたか?」

 ロバートの胸元から顔を上げると、ルリアはそれまでのやり取りが無かったかのように表情を改めていた。

「……続けるんだね」

 せっかくロバートの誤魔化しに乗ったのに余計な一言を発した彼に向かって、ルリアは軽く頬を膨らませてみせた。

「ああ、分かった分かった。ごめんよルリア。そうだね……エスコフを越える料理人はそうはいないと思っていたが、あの若さで大したものだと思ったよ。……ただ、君はあれを毎日口にしたいと思うかい?」

「毎日ですか……」

 今度はルリアがロバートの意図を掴めず小首をかしげた。
 そんなルリアの頬にロバートの手が伸ばされて、慈しむように添えられる。

「……彼の料理は素晴らしい。だがあれは店で出されてこそ、というものだと思うのだ。彼の味付けは毎日では飽きるのではないだろうか」

 ロバートの言葉に、ルリアは目を見開くと僅かに考え込んだ。

「……確かに……考えてみればトナムさんの料理は、エスコフさんの料理よりも印象に強く残っていますけれど、毎日では舌が疲れてしまうかも知れませんね」

「彼はあの若さで料理人として一流であることは間違いないと思う。ただ……人としてはまだ成長の途上なのかも知れないな」

 そうは言うもののロバート自身まだ二二歳という若さなのだが、一三歳でエヴィデンシア家の家督を継ぎ、家の仇敵でもあるバレンシオ伯爵から、陰に日向に嫌がらせをされている苦労人の彼からすれば、三歳違いではあるものの一九歳だというトナムからは幼さが伺えるのだろう。

「そういえば、食後の茶菓デザートはアルドラの手によるものだそうですけれど、彼女の作るお菓子も素晴らしいものでした。私、彼女は侍女よりもそちらの道に進ませるべきではないかと感じました」

「うむ、確かに俺も驚いた。マーリンエルトへの援軍として出征した一年前は、彼女はまだ厨房に出入りしていなかったからね。俺も今回初めてアルドラの作った菓子を口にしたんだ。菓子作りが好きだということさえ知らなかったよ」

「まあそうだったのですか。……それにしても、このように言ったらアルドラに怒られてしまうかも知れませんが、女性としては大柄な彼女からは想像できないほどに繊細で艶やかな飾り付けも見事なものでした」

「確かに……あのような美的感覚は生来の才能なのかも知れないね。彼女の意向をそれとなく聞き出すようにアルフレッドに言っておく――おっ、おいルリア!?」

 そう言い終わる前に首元に抱きついたルリアは、ギューッと一度抱きしめたあと身体を起こした。

「私、ロバートのそういうところ大好きです」

 目を白黒としている彼にキラキラとした瞳を向けてルリアは言い放つ。
 実際、大陸西方諸国でこれほど女に寛大な男はそうはいないだろう。たとえ彼に身の不遇があるとしてもロバートが希有な男であることは間違いなかった。
 マーリンエルトで鬼姫などと陰口を叩かれるルリアにしても、もちろんその実力で一目置かれていた所があるのも事実ではあるが、父ガーンドの威光があったからこそ、王城の修練場への出入りができていたのだから。

「ルリア、このような話は二人きりのときだけだからね。一応俺にも立場というものがあるのだから」

「分かっていますロバート。私も、エヴィデンシア家の当主夫人となったのですから、精一杯身を慎みますとも!」

 ニコリと笑って、豊かに育ち始めたその胸を叩かんばかりの勢いで言い放ったルリアに対して、「本当に分かっているかい……」と、ロバートが少々呆れ気味の視線を向けてきたのだった。




 ロバートが寝静まったあと、彼を起こさないように静かに部屋を出たルリアは、部屋の外に控えていたアネットを伴うと、同階のサロンを挟んで反対の廊下へと足を運ぶ。
 目的の部屋の前に立ったルリアは、コンコン……と、静かに扉を打つ。
 その音が、静かな廊下に思いのほか響いて聞こえた。

「……入りなさい」

 重厚さを感じさせる声音が扉の奥から聞こえる。
 その声を耳にして、ルリアの隣にいたアネットが「失礼します」と声を掛けて扉を開く。

「このような夜分に、お話を伺いたいという私の無理な申し出をお受け入れくださりありがとうございました」

 部屋へと足を踏み入れたルリアは、背後でアネットが扉を閉めるのを待って部屋の主に礼を述べた。
 アネットづてで申し出たのは食後のことであったが、この時間を指定したのは、夫であるロバートに聞かせて良い話なのか判断に迷ったからだった。

「息子の嫁に改まってそのような挨拶をされるとこそばゆいものがあるな」

 ルリアの謝辞を受けたこの部屋の主、オルドーはこの部屋に設えられた執務机の向こうで重厚ながらも包容力のある笑みを浮かべている。
 彼の斜め後ろにはアルフレッドが当たり前のように控えていた。

 ……ああ、やはりそういうことなのですね。

 ルリアはこの部屋へと訪れた理由の答えを、その瞬間に得た思いがしたが、あえて口を開いた。

「早速ではございますがお義父様にお伺いしたい儀がございます」

「……ほう。物々しい様子だが、いったい何を聞きたいのかな?」

 オルドーの態度にも、既にルリアの問いを理解している様子がうかがえる。

「私……そしてアネットも、エヴィデンシア家へと訪れてより気になっていたことがございます。本日私たちが鉢合わせることとなった事件においてセバスが指揮していたあの人たち……エヴィデンシア家に仕えている使用人たちはただ者とは思えません」

 そこで言葉を切ったルリアは、オルドーの背後に控えるアルフレッドに視線を向けた。

「アルフレッド。アナタたちはエヴィデンシア家において、いったいどのような役割を担っているのですか? それにお義父様。確かに表向きはロバートに家督を譲られたのでしょう。ですが実際のところ、使用人たちの忠誠はいまだにお義父様の元にあると拝察いたします」

「アルフレッド。お主の言っていたとおりであったな。さすがにマーリンエルトで武辺の一族と言われているだけのことはある……我が家にやって来て二日しか経っていないというのに、既にそこまでのことを察していたか」

 アルフレッドに向けて軽く意識を向けたあと、オルドーはルリアと視線を合わせた。

「ただ一つ勘違いしている。館の使用人として、彼らは間違いなくロバートに恭順しておる。ただな、五〇〇年も家が続くとなかなかにおかしな仕儀になっておってな……」

「……それはいったい?」

「察しておるとは思うが、彼らは我が家の密偵としても働いておる」

「密偵、ですか……。たしかに、主の護衛も担う従者だと言われるよりも納得のいく答えではありますが」

「それに付きましては、私より説明させて頂きます。よろしいですか旦那様」

 背後に控えていたアルフレッドが主に声を掛けて、半歩前へと進み出る。
 その彼に対して、オルドーが頷きで応じた。

「先ず、ルリア様はエヴィデンシア家の異名をご存じでしょうか?」

 アルフレッドの言葉は少々持って回ったものだが、ルリアは頭の隅に浮かんだ言葉を口にした。

「ロバートから、『情のエヴィデンシア家』という言葉を耳にした事があります……」

「そう、正にその『情のエヴィデンシア家』です。……私は、かばねをアンドルクと名乗っております。ですがこれは五〇〇年前、初代エヴィデンシア家当主に救われ、生涯エヴィデンシア家に仕えた者の姓なのです。そしてこの姓は、代々エヴィデンシア家に仕える者たち、そのまとめ役たる人物が引き継ぐこととなったのです」

「……まさか」

「そうです。我らは五〇〇年の昔から現在まで、代々のエヴィデンシア家の方々にその命を――心を救われた者たちがその恩義を返すために集まった、言うならばアンドルク血盟とでも名乗るべき者たちなのです」

「それでは……セバス殿があの事件のあとに声を掛けていた者たちも?」

 ルリアとアネットが想像していた以上に長く深い彼らの繋がりに圧倒され、ルリアの背後に控えたアネットが、主の承諾を得ることを忘れて口を開いた。

「ええ。私たちのように直接館に仕えている者以外にも、市井に潜んでエヴィデンシア家の為に情報を集めている者たちもおります」 

「それは、エヴィデンシア家がオルトラントにおいて、長らく法務を司っていたことと関係が?」

「うむ、そのとおりだ。法務部の捜査局員たちを表とするならば、彼らアンドルクは裏。表の手が届かない所を彼らが探ってくれているのだ」

 アネットの質問にアルフレッドとロバートが答えていると、ルリアがグッと瞳に深刻な光を湛えて口を開く。

「お義父様がその事実をロバートにお伝えにならないのは、お義父様は彼にアンドルクを御する力が無いとお考えだからなのでしょうか?」

 ルリアの言葉には、それがたとえ夫の父であるとしても、自分が生涯の連れ合いと選んだ相手を侮られているのではないかという、疑心を含んだ怒りとも取れない響きがあった。

「……いや、それは違うルリア。儂はバレンシオ伯爵の犯した悪事を暴くことに失敗した。そしてその責めを負って法務卿の任を辞して隠居することとなった。一三歳という若さでロバートは家督を継いだが、時を見てアンドルクのことは伝えるつもりでおった。だが、早くにそのことを伝えては、若さ故にはやってアンドルクたちを危険な立場に追いやりかねないと考えたていたのだ」

「奥様。旦那様は、此度の出征から帰られたら我らの真実をロバート様に伝える心づもりでおられたのです。ですがロバート様はあのような大怪我を負ってしまいました」

「いまのロバートには、アンドルクの存在は却って重荷になりかねぬ」

 オルドーの言葉には、息子であるロバートと使用人であるアンドルクたちへの深い愛情が滲んでいる。
 ルリアは、先走った自分の思いを恥じ入った。

「……確かに」

「儂とてバレンシオめには一矢報いてやりたいという思いもある。だが、それはロバートやアンドルクたちの命以上に重いものでは無い。結局は確かな証拠を集めて突きつけてやる以外には無いのだ。なに、隠居したとはいえ、本来ならばまだ職に就いている年齢なのだ。いましばらく彼らアンドルクたちを預かっておっても問題あるまい」

 場の雰囲気を和まそうとしたのだろう、オルドーは最後にどこか軽い調子で言い放った。

「……分かりましたお義父様。私も彼らの裏の顔はロバートには伏せておくことにいたします」

 オルドーの配慮に添うように、ルリアは静かに微笑んでみせるのだった。

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