モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

番外ルリア編 侍女と料理人の青い対立

 大陸西方諸国において、貴族の館の厨房は概ね地下に造られている。
 エヴィデンシア家の厨房もその様式添っていて、場所は館の裏側、玄関から見て右方向にあった。
 使用人たち用の出入り口が館の右側面中程にあり、そこから直接地下階へと下るようになっている。
 地下に下りるとすぐ右側が食材貯蔵庫になっていて、その貯蔵庫の先が厨房だ。ちなみに、厨房へは貯蔵庫からも直接出入りができるようになっている。
 その厨房ではいま昼食の調理を終えた調理人たちによって早くも夕食の仕込みが始められていた。

「なあアンタ。厨房にアタシがいるのが気に入らないんだったら、はっきり口にしたら良いじゃないか」

 昼食後の茶菓デザートを準備をしていたアルドラが、トナムを睨み付ける。
 彼が先ほどからチロリチロリと視線を向けていたからだ。
 その表情はぶすっとしていて、アルドラからは不満を向けられているように見えていた。

「……いや、別に気に入らないわけじゃない。給仕以外で女が厨房にいるのが珍しいだけだ」

 トナムが、睨み付けているアルドラから、彼女の手元へと視線を外した。
 彼の視線の先では、女性としては大柄な体格をしたアルドラからは想像できないほど、繊細に美しく皿の上へと茶菓が盛り付けられている。

「ハッ! どんな高級店で働いてたのか知らないけどさ、家じゃかーちゃんがメシ作るだろうに」

 女性らしさを感じさせる手先の繊細さを台無しにするアルドラのぶっきらぼうな言葉に、トナムも反発心を煽られたのだろう、彼はキツい感じで口を開いた。

「ここは貴族様の館だろ。まったく――君のような慎みのない女に、自分たちの口に入る食べ物を扱わせるなんて、この家の人たちはどうかしている」

「あ? なんだって! アタシのことはどう言ったってぇ構わないけど、エヴィデンシア家の方々のことを悪く言うのは許さないよ! それに、この家の方々はアンタみたいに器の小さな人間じゃあないんだよ」

「こらこら二人とも、くだらないことで言い合っていない」

 売り言葉に買い言葉、二人の話が険悪に激化していくのを収めるように、柔らかいが呆れを含んだ声が割って入った。

「ほらアルドラ、手が止まってるよ。早く仕上げて旦那様たちの所へ運ばせるように。それからトナム君……旦那様の客人とはいっても厨房は私の城だ。君の腕前が一流なのは私にも分かるが、ここのやり方に馴染めないのならば、これ以上の手出しはご遠慮願いたいね」

 声の主は料理人独特の白い調理服を纏った初老のふくふくとした体型の男性だった。
 彼はエスコフという名の料理人でエヴィデンシア家の厨房を預かっている。
 トナムに向けて放たれた彼の言葉は少々キツいものだが、その目尻には優しい皺が寄っていた。
 彼の枯れ始めた葉のような緑色の瞳も暖かい光を宿していて、アルドラとトナムを見詰めている。
 
「……申し訳ありません」

「うむ、分かればよろしい」

「ハッ、ひとの家のやり方に口を出すからさ」

 頭を下げたトナムに向けてアルドラが得意気に声を掛けると、エスコフが彼にしてはきつく彼女を見詰めた。

「こらアルドラ。君も調理場への出入りを禁止されたいのかな? 私は君に才能を感じたし、よりご主人様たちの役に立ちたいという熱意に絆されたからこそ菓子作りを教えている。だがね、本来客人であるトナム君にそのような態度をとり続けるのは問題だよ」

 口調は柔らかいが、いつも温厚なエスコフが本気で怒っていることに気が付いて、アルドラは表情を引き締めると姿勢を正して深々と頭を下げる。

「エスコフさん、申し訳ございませんでした!」

「私にではなくトナム君に言うべきではないかね?」

 エスコフに促されたアルドラは、少々渋さの残る表情をしていたもののトナムに頭を下げた。

「……トナムさん、その、申し訳ございませんでした」

「いえ……私の態度も確かによくありませんでした。申し訳ない」

 トナムも、アルドラに頭を下げる。

「ふむふむ、いやぁ、青い、青いねぇ。私のような年齢のものには眩しく見えるよ」

 人付き合いが不器用らしい朴訥とした青年と、成人したとはいえまだ一六歳の娘の謝罪は、エスコフにはどこか微笑ましく映ったのだろう。
 彼は腰に手を当ててそう評した。

「料理長。料理長も手を動かしてくださいな。仕込みが終わらないと休憩できませんよ」

 エスコフの一番弟子であるカールトンが、調理台の対面で器用に食材を切り分けながら苦笑いをしている。

「それからトナム君も、アルドラのことが気になるのなら素直に声を掛けた方がいい。その娘は才能だけで調理しているからね。料理長も僕たちも菓子作りはできるけど、専門で学んではいない。おそらく君の知っている作業工程と違っていて気になるんだろう? アルドラは勉強熱心だから、君が菓子作りも得意としているんだったら教えてあげてくれないかな。勝ち気な娘だけれど菓子作りのことなら素直に話を聞くはずだよ」

「ふむ、確かにな。トナム君の技術は美食の国トランザット王国の流を汲んでいるようだ。あの国の先進的な調理技術を学ぶことができれば、アルドラにも大きな財産になるだろう」

「なッ、カールトンさん! エスコフさんも……アタシは別に……」

「なにを、そのような差し出がましい真似を私は――皆さんの技術だって素晴らしいものではないですか。私はこの国で新たな技術を学ぼうと、兄弟子の伝を頼ってやって来た未熟者です」

 身体の前で両の手を振りながら、慌てた様子で尻込みするトナムを、エスコフは若者を導く年長者の視線で見詰める。

「君はなんとも気弱な性格をしているのだね。技術だけならば既に十分に独り立ちできるだろうに……ふむ、これは益々アルドラへの教授をお願いしたいな」

 エスコフはトナムの肩にてを掛けると、「それはきっと君の為にもなるだろう」と、まるで予言者のように言い放った。

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