モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

番外編 とある竜王の憂鬱

「シュガール。……それで、私を呼び出したわけですか。まったく、そんなに心配なのだったら問いただせば良いではないですか」

 ボクの呼び出しに応えて、エヴィデンシア家の裏庭に現れたクルークは、話を聞くなりうんざりとした表情になってしまった。
 オルトラントの人間たちが邪竜事変と呼ぶ事にしたらしいあの出来事から三ヶ月経ち、ボクがクルークをここに呼び出したのは、フローラがノルムと話がしたいなどと言い出したからだ。
 実はあの出来事の後も、ノルムの眷属であるノームたちは、フローラのご機嫌を伺うように、この裏庭に時折出没していた。
 シュクルがそのノームたちを捕まえては、フローラやグラードル君の前へと獲物を見せびらかすようにして、彼らを連行してきていたのだ。
 フローラが、そのノームたちにノルムと話がしたいと申し出たのは今朝のことだった。
 ボクは、その後すぐにクルークと連絡を取って、今こうしてクルークと対峙している。

「いや、だけど……もし問いただして、ボクのことが鬱陶しいとか、そんな風に言われたらボクは当分……百年くらいは立ち直れないよ」

 そう素直な心情を吐き出した途端、クルークの冷たい光を放つ銀色の瞳が、さらに一段冷たくなった気がする。

「どこまで愛し子煩悩なのですか……。それに、それ以前に鬱陶しいのは元々なのですから今更ではないですか」

「いや待ってくれクルーク。君はボクのことをそんなふうに思っていたのかい!? 子までなした仲だというのに」

「自明の理だと思うのですが……それに、あの時にはアナタのその鬱陶しい懇願に絆されただけです。……その、まあ、シュクルを授かったことに関しては感謝もしておりますよ」

 ……う~ん、この反応は、グラードル君の前世の世界では、確かツンデレとか言うのだったか?
 初めにキツいことを言っておいて、最後には僅かに頬を染めて恥じらったクルークを見て、不意にそんな言葉が頭に浮かんだ。
 だが今になっても思うのだけれど、十五年の長きにわたってボクが探していた愛し子が、まさかフローラであったとは……我ながら気付かなかった自分を笑うしかない。
 クルークには、過去の出来事のせいで、ボクが自らノルムに対して弱みを創り出していると言われたけれど、こればかりは頭で理解できてもすぐにどうできるものでは無いのだよなぁ。
 初めて出会ったのは彼女が七歳になったばかりの頃だったろうか。
 今になって考えてみれば、髪と瞳にあれほどノルムの影響が見えるのに、彼女はボクのことをまったく敬遠するようなところはなかった。
 ノルムの加護の影響が強い人間には避けられることが多かったのに……。
 どちらかというと、ボクの方がビクついていたものなぁ。

「クルーク様!? まさか先生……わざわざクルーク様をお呼びになったのですか?」

 一足先に裏庭に居たボクたちを見つけて、そう声を掛けて来たのはボクの愛し子、フローラだ。
 一五歳というには少し幼い印象を受ける彼女だが、黄金色の髪と瞳になったからだろうか、以前よりは年相応の年齢に見える。
 胸の辺りまである髪を、肩口の辺り、両脇で纏めていて、髪先を鎖骨の辺りに流している。
 グラードル君ではないが、美人というよりは可愛いと表現する方がシックリとする子だ。
 その代わり、年をとってもあまり外見が変わらないのではないだろうか?
 それにしても、今朝のボクの騒ぎを見ていたからだろうか、貴宿館の住人たちも、何が起こるのかと裏庭の入り口辺りからこちらを覗き込んでいる。

「ええ……、シュガールは貴女がノルムにどのようなことをお願いするのか、気が気ではなくて私を呼び出したのですよ。……まあシュクル、久しぶりね」

「むふぅぅぅぅぅぅぅぅーーーっ、はは様、こんにちわなの!」 

 ずだだだだだっ、とクルークの目の前に走り寄ったシュクルがクルークに飛びついた。

「まあまあ、シュクルは甘えん坊さんなのねぇ」

 あれ……なんだかボクへの態度と違わないかいシュクル?
 ゴロゴロと喉を鳴らさんばかりの勢いでクルークに抱きついているシュクル。
 ……ボク、あそこまでシュクルに甘えられたことないよ……。
 いや、これはあれだろうか、正体が知れる前からトルテとして共に生活していたから、クルークのように珍しいわけではない……うん、きっとそうだろう。
 ……あれ? だけどよく考えてみると、シュクルは毎日のようにフローラとグラードル君には甘えているような……あれ?

「それで……フローラ。ノルムもやって来たようですので聞きますが、貴女はノルムに何をお願いするつもりなのですか?」

 ボクが考え込んでいたら、いつの間にかクルークは裏庭の長椅子に腰掛けて、自分の膝の上にシュクルを乗せて後ろから抱きかかえるようにしていた。
 膝の上のシュクルはそれはご機嫌な様子だ。……なんだか悔しいぞ。
 ボクのそんな想いをよそに、クルークとその隣に立つフローラの視線は裏庭の林に向いている。
 その視線を追って、ボクが林の奥へと視線を向けたら丁度奴が現れた。
 ボクの天敵であるノルムだ。
 奴は木の陰から顔を出すと、おずおずと僕たちの前へと進み出た。
 その視線はただ一人、フローラだけに向けられている。
 二ルタメートルほど離れた位置でノルムが立ち止まると、ひとつ静かに息を吐いてフローラが口を開く。

「地の精霊王ノルム。……この髪と瞳の色を以前のように戻す事はできませんか?」

 ノルムを呼んだ時点で予測はしていたけれど……、ボクは自分の顔から血の気が引いていくのをハッキリと感じ取ることができた。

「君がわざわざノルムの奴を呼び出したから嫌な予感はしていたけれど、どっ、どうしてなんだいフローラ。まっ、まさか……ボクがあまりに君たちのことを構うものだから嫌気が差してしまったのかい……。どうしようクルーク。毎日毎日、ボクはただ可愛い可愛いボクの娘と愛し子を愛でていただけだというのに……。まあ、確かに、グラードル君とヨルムガンドの奴に呆れられていたことは認めよう……でも、でもフローラもシュクルも嫌な顔ひとつせず受け入れてくれていたじゃないか」

 縋るように言い立てたボクを見て、クルークが首を振って長く息を吐き出した。
 クルークの膝の上にいるはシュクルは甘え顔で座っていて、ボクの状況には頓着している様子がない。

「フローラが……貴方の事を鬱陶しいと思ったのでしたら、私も大いに同意したいところです」

「……ところです」

「そんな……シュクルまで……」

 クルークが呆れ顔で言い、さらにシュクルにまで追撃されてしまった。
 ボクはガクリと地面に膝を突くと、人差し指で地面にクルクルと円を描き始める。
 いいんだ、いいんだ。どうせボクは鬱陶しいのさ……。

「フフン、浮かれて構い過ぎるからだよ。ボクみたいに困っているときにだけ手を差し伸べてやれば、このように頼ってもらえるのさ」

 ボクの姿を鼻で笑って、ノルムの奴が得意顔でそう口にした。
 そのノルムをクルークがキッと睨み付ける。
 ……あの視線は怖いんだよなぁ。

「ノルム、あなた……時と場合をわきまえず、自分の仕出かした事を反省していますか?」

「ひぅッ」

 クルークの凄みが利いた言葉に、ノルムの奴は首を竦めて縮こまった。
 天敵ではあるものの少し同情するかも……。
 クルークは、ノルムに向けていたキツい視線を和らげると、ゆっくりとフローラへと視線を移動する。

「フローラ。どうしてか、理由を聞いても良いですよね?」

 クルークにそう問われて、フローラはボクたちに向けて口を開く。

「……その、鏡を見るたびに目がチカチカしてしまって、なんだか落ち着かないのです。それに、あの髪と瞳の色で苦労したことは確かですけど……あの髪と瞳の色だったからこそ、私は旦那様と結ばれる事が出来たのです。地の精霊王ノルムによって金竜王様トルテ先生より隠された私は、確かにそれによって多くの方々から蔑まれることとなりました。ですが、それがなかったらどうなっていたでしょうか? もしかしたら、周囲よりちやほやされたかも知れません。ですが、そのようにして育った私は、今のように育ったでしょうか? 金竜の愛し子として目立ってしまった私は、バレンシオ伯爵の手によってどのような目に遭わされていたかも分かりません。無事に成人できたとしても、金竜の愛し子である私は、おそらく旦那様と結ばれる事は叶わなかったでしょう。あの髪と瞳の色は、私には旦那様との絆のひとつのようにさえ思えるのです」

 フローラが、自分の考えを言い切ると、クルークは納得したように頷いた。

「なるほど……確かにそう考えると、邪竜を討伐するに至ったひとつの功労者でもありますね。結果論とはいえ、それによってヨルムガンドの目覚めも早まった訳ですしね。本当に……あの時フローラを拉致などせず、すぐに隠しを解いていれば、もっと感謝されたのでしょうに…………」

 そう言ってクルークはノルムの奴を静かに見つめる。
 それにしても、そうか……別にフローラは、ボクのことが嫌いになったわけではなかったんだね。
 少しだけ、気持ちが楽になったけれど、だからといって気持ちが晴れるわけではないんだよなぁ。
 そもそもフローラは、今のこの金髪金眼の姿こそが本当なんだから、それをなんでボクに嫌がらせをしていたノルムの奴の色にするなんて……。
 でも、愛し子の願いも聞いてあげたいし……。
 ……なんだろう、そう懊悩しているボクの方を見て、フローラが優しく微笑んでいる。
 この視線は……シュクルを可愛がっているときの母親めいた視線に似ているような……。

「ですが、本来ならばあなたによって最も被害を受けていたフローラが、ノルムの隠しを受け入れるというのであれば、私が止める訳にもいかないでしょう。ですがさすがに以前のようにというわけには行きませんよ。いいですかノルム。隠しの力はフローラの意思でいつでも解除できるようにしなさい。でなければ人に対しての加護を偽るという、我らのことわりを犯したアナタの行いを認めるわけにはいきませんよ」

「分かったよクルーク。……二度と顔を合わせることができないと思っていたフローラが、ボクのことを頼ってくれたんだから」

 ボクの意向は聞かれることもなく、クルークの裁定で話が進んでしまった。
 いや、まあ、クルークの見解は尤もだけれど。
 ボクは最後に一度だけ、未練がましくフローラに問いただす。

「本当に、それでいいんだねフローラ?」

「はい先生……前に隠されていた時でさえ、先生との縁は切れなかったのです。それに、私が先生から特別に愛して頂いていると知った今、髪と瞳の色を以前のように戻したとしてもこの縁が途切れることは無いと、私は思います。そうですよね、先生」

 そう言ってニコリと笑ったフローラを目にして、ボクは己の馬鹿さ加減を恥じ入った。

「……そうだね。君が髪と瞳の色を戻してもボクたちの縁が切れるわけでは無い。うん、そのとおりだ。なんと言っても君はボクの弟子なんだしね」

 ボクもそう言って笑顔を返す。
 ボクのその笑顔を受けて、フローラはちょっとだけ悪戯を思いついたような顔をした。

「それに、邪竜事変の後の身辺の騒ぎが、王都防衛戦後の騒ぎがまだましであったと思えるほどの状況ですし、髪と瞳の色を元に戻せば、少しはましになるのではないでしょうか?」

「ちょっと待ってフローラ!? いや確かに、今はエヴィデンシア家の屋敷への出入りも大変なほどの状況だけれども……えッ? まさかそれも理由に入っているのかい!?」

 わざとらしくそう驚愕して見せたボクを目にして、クルークもシュクルも、さらにはノルムの奴までが笑っている。
 フローラは優しく微笑みながら近付いてくると、そんなボクに一度しっかりと抱きついた。

「先生、私の我が儘を受け入れてありがとうございます……」

 ボクは、先ほどまで抱えていた憂鬱な気持ちを振り払って、愛し子であるフローラの頭を撫でてあげるのだった。

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