モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

エピローグ モブ令嬢とそれぞれの明日(後)

 我が家にマリーズを迎え、久しぶりに彼女と楽しく言葉を交わした翌日、旦那様は出仕前にマリウスをあやして、最後に名残惜しそうに抱きしめますと籐製の揺り籠の中へと寝かせました。

「シュクル、おいで……」

 旦那様は、両の手を広げてシュクルが飛び込んでくるのを待ちます。
 毎朝の日課のようなものなのですが、今朝は少し様子が違いました。

「パパ……シュクルはお姉ちゃんなの……マリウスを守るお姉ちゃんは甘えんぼじゃいけないの」

 シュクルにそう言われて、グッと立ち止まったシュクルを目にした旦那様は、それはそれは情けないお顔を成されました。
 ですが私には、シュクルが本心では旦那様に抱きしめて貰いたいと思っているのが分かりました。
 シュクルは庇護欲の強い性格をしているようで、どうやら最近は、マリウスのお姉ちゃんとしてしっかりしたいと考えているようなのです。
 ですが、シュクルはまだまだ愛情を欲する子供なのです。思いと本能の間で葛藤しているシュクルを目にして、私は口を開きました。

「まあ、シュクルはとっても立派なお姉ちゃんなのね。だけど、ママもマリウスのことはとても大事だけど、こうして……」

「ああっ……」

 シュクルの代わりに私が旦那様の前に進んで、しっかりと抱きしめて頂くと、シュクルの口からなんとも後悔が滲む声が響きました。

「……旦那様。行ってらっしゃいませ。シュクル……どうするの?」

 私は彼の抱擁から離れ、シュクルを促すようにそう言葉を掛けました。
 シュクルは少しモジモジとして旦那様を上目遣いに見つめます。
 旦那様は優しく微笑むと膝を折って屈み、大きく両手を広げました。

「……うぅぅぅっ、シュクル……シュクルもパパとギューッてするの!」

 シュクルは旦那様の胸の中へと飛び込んで行きました。
 その彼女をしっかりと抱きしめて、旦那様もそれはそれは幸せそうな笑顔を浮かべております。
 旦那様とシュクルはしばらくの間しっかりと抱き合って、そうして旦那様は出かけて行かれました。





「フローラとグラードル卿が結婚してより四年も経っているというのに、いまだにお熱いことですね」

 旦那様を玄関まで見送って来ましたら、マリーズにそのように言われてしまいました。
 そういえば、朝食の後サロンでお茶をしていたマリーズは、私たちの一連の行いを目にしておりました。

「そのように冷やかされる事がありますが……、やはり少し他家とは違っているのでしょうか?」

「はーーっ、そういえばエヴィデンシア家は、ご両親も仲がよろしかったのでしたね……」

 私が真面目にそう返しましたら、マリーズはどこか力の抜けた様子になってしまいました。

「そういえば、グラードル卿は早いご出仕ですね。やはりご栄達の影響ですか?」

「ええ、それもあるようですが……、本日はレオパルド様を説得するように頼まれたのです」

 私の言葉に、マリーズは意外そうな表情を浮かべます。

「まあ……それはいったい?」

「レオパルド様が旦那様の事を、ご自身の理想とする騎士として尊敬してくださっている事はマリーズもご存じだと思うのですが……」

「ええそれは……貴宿館におられたときにもグラードル卿に『何故貴方ほどの騎士が、法務部に異動なされるのですか!』と詰め寄っておられましたね」

「そのことなのです。レオパルド様は学園卒業後、旦那様のおられる黒竜騎士団へ配属される事を望んでいたそうなのです。ですが、旦那様は邪竜事変の後、ライオット様の為に法務部の捜査局に異動なされました」

「レオパルド様は今、ご自身も法務部捜査局に異動して、捜査局長となった旦那様の元で働きたいと仰っているそうなのです」

「まあ!? それは……オルトラント王国第一の武門の家柄、デュランド公爵家にとっては一大事ですね」

 驚きに目を見開いたマリーズは、そのあと考え込むようにして私を見つめました。

「ええ……この先、間違いなくいずれかの騎士団団長へと上り詰める事が確実なレオパルド様です。その彼が法務部へと移動するとなれば、王国としても一大事でしょう」

「もしかして……マリエルさんから相談されたのですか?」

「はい、レオパルド様が旦那様の事を尊敬しているのは分かるものの、レオパルド様が尤もご自身の力を発揮できるのは、やはり軍務部であるはずだからと……」

「しかし……彼女も気苦労が絶えませんね。やっと家のしがらみから解放されたというのに、婚約者が依怙地になってしまって」

 実は邪竜事変の後、エレーヌ様の計らいで私たちと仲良くなって、レガリア様の派閥の情報をエレーヌ様へと流すようにと申しつけられたマリエルさんは、よく私たちと共に行動するようになりました。
 その過程で、彼女の守ってあげたくなるような雰囲気と、その中にある芯の強さに、レオパルド様はマリエルさんに強く惹かれ、二年前学園を卒園なされる前にマリエルさんに結婚を前提にお付き合いを申し出たのです。
 マリエルさんも、レオパルド様の実直な人柄に好意を抱いていた事は私たちからも見て取れました。
 ですが、マリエルさんの家は男爵家ですので、公爵家とは身分が釣り合わないと、彼女は断ったのです。
 その話を聞きつけたエレーヌ様は、マリエルさんのお母様のご実家で、兄でもあるヴェフォート伯爵、つまりあのレギーナ嬢のお父様に話を持ちかけたそうです。

『マリエルさんを養女にすれば、ヴェフォート伯爵家は公爵家に娘を嫁がせたという栄誉とデュランド公爵家との繋がりが得られますよ』

 と、そうしてマリエルさんはヴェフォート家の養女となり、あのレギーナ嬢と姉妹となったのです。

 あの後エレーヌ様が、『レギーナ嬢は、それまで自分の使用人のように扱っていたマリエルさんが姉になって、しかもご自分の旦那様よりも身分の高い方の婚約者となったのです。それまでの態度がウソのようにマリエルさんの機嫌を取っていた姿は、呆れるよりも哀れですらありました』と仰っておりました。

「マリエルさんはレオパルド様の心情を慮って、旦那様に一度しっかりとレオパルド様と話をしてほしいと申し出たのです。レオパルド様は、ご自身が理想の騎士とした旦那様が、突然騎士団を去ってしまい自身の進むべき道を見失ってしまったのでしょう。旦那様と十分に言葉を交わして、しっかりと自分を見つめ直すようにと、彼女は考えたのではないでしょうか」

「今回の話し合いが、レオパルド様をよい方向へと進ませることができればいいですね」

 私たちがそのような話をしておりましたら、階下より急ぎ足で誰かが駈け上がってまいりました。
 足音が、軽く躍動的なシュクルのものとは違います。

「フローラお姉様、お着替えの手伝いにやってまいりました!」

 階段を駆け上がって、サロンへと足を踏み入れたカチュアが満面の笑みを浮かべます。

「カチュアはしたないですよ。お客様もいるのですから……それに着替えは昼からです。……貴女、もしかして学園を休んだのですか?」

「大丈夫ですお姉様、私、既に高等部二年で学ぶ常在学の授業は全て頭に入っておりますから。あの人の面倒を見ていて、一緒に図書館で学びました」

「そういえばカチュアさん、貴女ルブレン家のアルクさんとご婚約なされたのですよね。おめでとうございます」

「ありがとうございますマリーズ様。それに挨拶が遅くなりまして申し訳ございません」

 そうなのです。あの邪竜事変の後、ご自身の出生の秘密を知ってしまったアルクさんは、一時期心の均衡を崩してしまい、荒れた生活をなさっておりました。
 旦那様も私も、もちろんルブレン家の皆さんも、それはアルクさんの事を心配いたしました。
 カチュアは、どうしたら旦那様に気に入られて嫁ぐことができるかと、私と旦那様の事をよく観察しておりましたので、いち早くアルクさんの事に気づいたようです。
 とても前向きな彼女にとって、重い出生ではあるものの、今の家族は全員が受け入れてくれているというのに、ただ一人、心の鬱積によって荒れていたアルクさんの姿は、とても癇に障ったらしく、彼を叱咤してしている光景をときおり見かけるようになりました。
 初めアルクさんは、自分にうるさく言ってくるカチュアさんを煙たく思っていたようなのですが、ズカズカと自分の心に踏み入ってくるカチュアに対して次第に心を開くようになったようです。
 旦那様が、『まさかカチュア嬢が義母はは上と同じタイプだったとは……』と仰っておりましたが、彼女は『この人は私が居なければどうなってしまうか分からない』とそう思うようになったようなのです。

「私、初めに思い描いていた結果とは違いますが、フローラお姉様の本当の妹になれますからとても嬉しいです。ただ、学園を卒園したらアルクさんが治めることになるルブレン領へと赴かなければならない――それが残念です。ですから後二年、精一杯お姉様には甘えさせて頂こうと考えております」

 そう言ってカチュアは茶目っ気たっぷりに笑いました。
 ……あの、まさかそれが目的でアルクさんと結婚しようとしているわけではないですよね? 私、信じていますよカチュア。





「それにしましても……オルトラント王国はとても素晴らしい方を失いましたね。私、あの後あの方の志を聞いて涙が出ました。ご自身の幸せを振り捨てて、オルトラント王国の未来、そしてこの先ご自身と同じ立場になるかも知れない方の為……そして、私たち立場の弱い女性のために力を尽くしたライオス殿下。私、あの方には生きてこの先の未来を変えていってほしかったです」

 馬車の中、見えてきた白竜神殿を目にして、マリーズがそう言いました。
 シュクルも、よそ行きのドレス姿で一緒に座っていますが、私たちの会話を妨げてはいけないと考えているようで、静かに座っています。

「……仕方のないことでした。結果として人的被害はございませんでしたが、ひとつ間違えばオルトラントの主都は壊滅して、最悪、この世界までもが滅ぶところだったのです。あのとき、多くの人の前で、邪竜を復活させたあの方を、結局アンドリウス陛下も守り通すことはできなかったのです。……領地の被害が思いのほか大きかったモーティス公爵が、強硬に殿下の処刑を叫びましたし、あの時はそれを退けたらモーティス公爵に近い貴族たちが王家に対して反乱を起こす可能性すらございました」

 邪竜事変の折り、確かにモーティス公爵領の主都リューベックの破壊は免れました。ですが邪竜の放った黒霧に満ちた毒素によって土地は侵され、今を盛りに生い茂っていた作物の大半が枯れ果ててしまいました。
 王国でも有数の豊かな農地を持っていたモーティス公爵領は、四年たった今でも、邪竜が通った周辺の農地が使い物にならないそうです。
 その怒りを、原因であるライオス殿下に向けるのは致し方ない事であったでしょう。

「ですが……あの方は……」

「時間が……時間が足りなかったのです。邪竜事変後すぐに、旦那様と私はアンドルクたちにライオス殿下の真意を広めるように手配いたしました。あの方が何故、近隣国の使節団がいた褒賞授与式典で事を起こさなかったのか……。あの方が本当に世界の破滅を望んでいたのなら、あの場で事を起こすのが尤も効果的だったのに……、そのわかりやすい疑問から始まり、最後には女性でも力を持った人間はいるのだと示すために私に、邪竜を討伐させてみせたのだと……」

 私は、これまでに旦那様と共に施した手を思い浮かべました。

「いまそれは、庶民の方たちの中から次第に浸透して、女性であっても優秀な方には家長の座を譲る方たちが出始めているそうです。私たちの時代では無理かも知れません。ですがこの先、貴族の中にも家督を優秀な力ある女性に継がせて、家の存続を望む方たちが増えてくるかも知れません。その声が大きくなれば、国も法を変えなければならなくなるでしょう。その過程で、ライオス殿下と同じような立場の方にも新たな道が開ければよいのですが……」

「それでグラードル卿は、法務部へと異動なされたのですね。最終的には法務卿を目指すという事ですか?」

「それはどうでしょうか、旦那様には悪評も多くございますし、それに……とても優秀な方が法務卿ですから。ただ、旦那様の能力は元々捜査局向きですし、以前我が家のために力を尽くしてくださり、旦那様に捜査局への異動を進めてくださったライオット卿が、病を得て職を退きましたので、あの方への恩に報いるために法務部へと異動なされる決心をなされたのです」

 ライオット様がライオス様であったという事実は、マリーズには心苦しいのですが教えておりません。
 いつか話すことができると考えておりますが、マーリンエルト公国の貴族の娘でもあるマリーズに、オルトラントの秘密を話すわけには行かなかったからです。

「ああ、そういえば……グラードル卿の前任の捜査局長はランゲ様と仰いましたか、あの方はどうして職を退かれたのですか?」

「ランゲ様は、急に職を退かれる事となったライオット様に代わり捜査局長となりましたが、元々年齢もございますし、旦那様が捜査局に馴染むまでの間と決めておられたらしいです。旦那様が捜査局に異動して四年が経ち、旦那様が捜査局で残した功績も、捜査局長に推すに見合う物になったと判断なされたのでしょう」

 ランゲ様は、あの邪竜事変の時にライオット様より私たちに文を託されていた御方です。
 実は、邪竜事変のあとランゲ様より耳にしたのですが、ライオット様はあの文以外にランゲ様にも文を残していたそうです。
 その内容は、『もしも私の身に何かあったら、私の志を継ぐためにグラードル卿が捜査局に異動してくるだろうから、彼が捜査局長と成れる実績を積むまでの間、君が捜査局長となり彼を導いてほしい』というものであったのだとか。
 三務卿と違い、それぞれの局や課は、その長の選任は選挙ではなく、実績と前任者や上位の官職の方からの推薦によって決められますので、未だ悪評の払拭ができない旦那様でも局長となることができたのです。

 これはまた、別の話ではございますが。 
 ちなみにこの後、捜査局に入ってきた正義感の強い新人たちが、『あのような悪人が何故捜査局長の座に就いているのですか!』などと、局内で不平を述べるたびに、彼らにはアルメリアの書いた本が手渡され、懇々と旦那様と私、エヴィデンシア家の真実を教え込まれる事になったのだとか……。
 そのせいかは知りませんが、旦那様の真実をご存じの方々の中には、彼の事を『愛の騎士』と呼ぶ方が居られるらしく、その渾名を耳にするたびに旦那様がのたうち回るようにして身悶えておりました。
 その……私は、素晴らしいことだと思うのですけれど。

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