モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第五章 モブ令嬢家と貴宿館のお茶会(六)

 貴宿館主導のお茶会も終盤を迎えて、私はメルベールお義母様を探して屋敷の中をまわっております。
 初めに本館に戻ってみましたが、マーリンエルト公王夫妻は既に我が家より辞しており、本館の応接室ではお父様とお母様が、一人この場に残ったお祖父様と話をしておりました。
 私も、少しお祖父様とお話をいたしましたが、お祖父様は褒賞授与式典後に帰国するとのことですので、まだお話をする機会はございます。ですのでメルベールお義母様を探すことを優先させて頂きました。
 お義母様はまだ帰宅していない筈ですので、屋敷の中には居られるはずなのですが……。

「おやおや、どうしたのかねフローラ嬢?」

 本館から外に出ましたら、裏庭の方から戻ってこられたのでしょうか、ライオット様に声を掛けられました。

「……メルベール様を探しているのですが、ライオット様は見かけておりませんか?」

「メルベール……ああ、ルブレン侯爵の奥方かね? 私が会場に向かおうとしたときには、陛下たちと一緒に外に出て来たはずなのだがね。……ふむ、もしかしたら貴宿館の方へ行ったのかも知れないね」

 そのライオット様の言葉を受けて、私は再び貴宿館へと足を向ける事となりました。
 ……居られました。
 階段を上ってサロンへとまいりましたら、そこではメルベールお義母様とメイベル嬢が、サロンの奥、ソファーに並んで腰掛けて話をしております。
 夕になり、赤らんだ陽光がサロンの窓から深く差し込んで、まるで二人を一枚の絵画のように浮かび上がらせておりました。
 二人並んで楽しげに話している姿はとてもなじんでいて……私は何故か、一瞬息を呑んでしまいます。
 人の気配を感じたのでしょう、メイベル嬢の視線が私の方へと向きました。

「あら、フローラさん……。メルベール様、とても楽しい時間を頂きました。またいずれ、機会がございましたらお話しとうございます」

 私を確認したメイベル嬢は、ソファーから立ち上がってメルベール様に会釈いたしました。

「えっ……ええ、私も楽しかったわ。ええきっと、またお話しましょうね……それでは、元気でね」

 そのように挨拶した後、メイベル嬢は私の方へとやってまいります。

「フローラさん。メルベール様はとても素敵な方ですね…………。ああそういえば、その、先ほどは取り乱してしまってごめんなさい。……私、もう大丈夫ですから……」

 彼女の瞳にはしっかりとした理性の光がありますので、言葉どおりもう大丈夫そうです。
 そういえば……オーランド様はどうなされたのでしょう? こちらには居られないようですが。

「メイベルさん……オーランド様は?」

 私がオーランド様の名前を口にいたしますと、メイベル嬢は目に見えて分かるほど、ぽわっと頬を赤らめます。
 その頬の熱を冷まそうとでもするように彼女は頬を両の手で押さえました。

「うふふふ、お兄様ですか……お兄様……とても恥ずかしがってしまって外に……。でも私、お兄様の本心を伺うことができましたのよ……」

 彼女のお顔はとても幸せそうにゆるんでしまって、普段はキツめに見える少し上がり気味の目尻も下がっております。

「それではごきげんようフローラさん、私、エレーヌ様の馬車に乗り合わせて来ましたので、エレーヌ様と合流しなければなりませんの」

 そう言ってメイベル嬢は階段へと向かおうといたしました。
 すると、腕を降ろしたドレスの裾口からハラリと白い紙のようなものが落ちます。

「ああ、メイベルさん。何か落ちました――」

 二つ折りにして袖口に差し込んであったのでしょうか?
 私は、足元に落ちたその紙を拾い上げました。

「え?」

 メイベル嬢は不思議そうに階段に足を掛けたところで私に振り向きました。

「袖口から落ちたようですが……」

「これが……ですか?」

 私はメイベル嬢に拾った紙を手渡します。
 彼女は手渡した紙を開いて、中を確認しました。

 メイベル嬢は僅かに目を見開いて、「……これは…………ふッ、ふふふ……うふふふふ……ああっ……。……これで……お兄様との間の障害はもう…………」と、その紙をとても大事そうに胸に抱くように押さえます。

「ああ、フローラさんありがとう。うふふふ……今日は最高の日ですわ」

 彼女はそう言うと、今にも踊り出しでもしそうな足取りで階段を下って行きました。
 いったい……何が彼女をあのように歓喜させたのでしょうか?
 彼女に紙を手渡す時、少しだけ二つに折られた紙の中の文字が見えました。
 私に見えたのは文末と思われる『……件、確かなことであったと確認することができました』というものでした。

 ですが待ってください。
 いったい誰があの紙をメイベル嬢のドレスの袖口に?
 今日はマーリンエルト公王夫妻やアンドリウス陛下夫妻もやって来られるという事で、近衛騎士団が我が家の敷地内に、魔法を封じる魔具を持ち込んでおりました。さらに、捜査局では捜査犬という犬たちも、敷地内に不審者が紛れ込んで来ないように警戒しております。
 当然、身隠しや変幻の魔法を使うことはできません……。ということはこの中にいても不審に思われない人間という事になります。
 あの紙に書かれていた内容……私の想像通りならば、エルダン様からのものだったのでは……。

「フローラさん――どうなされたの?」

 不意に声を掛けられて私は我に返ります。

「ああ、メルベールお義母様――申し訳ございません。私、少しぼーっとしておりました」

 私とメイベル嬢が話をしている間に、メルベールお義母様はこちらへとやって来ておられたようです。
 気が付いたらすぐ側に立っておられました。

「メイベル嬢は何かあったのですか? とても嬉しそうでしたけれど」

 メルベールお義母様は、整ったお顔に優しげな表情を浮かべております。
 お義母様……以前と少し印象が変わったような?
 以前はとても硬質な冷たい感じでしたが……。なんとはなしにそんな思いが浮かび上がります。

「何か嬉しい知らせがあったようです……」

「まあ、そうなのですか? 先ほどまでお話しさせてもらっていましたが、あのような様子ではなかったので少し気になってしまったの」

 お義母様は、片方の手を頬に当てて少し心配顔になりました。

「どなたかが、袖口に文のようなものを忍ばしておられてようでした」

「まあ、……そういえば先ほど、気分を悪くしたのでこちらで暫し横になっていたと言っていたわね。しかしおかしな事をなされた方が居たものね……まさか恋文でも忍ばせてあったのかしら?」

 メルベールお義母様は、「若い方たちは初々しくて良いわね」と仰って、メイベル嬢が下っていった階段の方を眺めやりました。
 私は、居住まいを正してお義母様に向き直ります。

「メルベール様……私、これまですれ違いが多く、言葉を交わすことができずに申し訳ございませんでした」

 そうして正式な礼をいたします。
 本日、お迎えした時にも挨拶だけはいたしましたが、結局お話しする時間は取れませんでしたし。

「まあ、旦那様より耳にしてはおりましたけど、フローラさんは本当に真面目な方なのね。そのような事を気にしていたの?」

 やはりメルベールお義母様は、以前と印象が変わっておられます。
 元々とても美しい方でしたが、彫像のような冷たく硬質な感じでした。ですが今は、雪解け後、春の訪れを感じさせる明るい色合いの若葉を思わせるような、そんな温かみのある雰囲気を纏っておられます。

「私のほうこそ、お話しする機会を作れずにごめんなさいね。今回、機会を頂いて貴女と話をするのを私も楽しみにしていたわ。……貴女のおかげで、グラードルさんだけでなくボンデスさんも、……それに旦那様もまるで以前とは人が違ってしまったみたい。最近では貴女は、オルトラントの女神と呼ばれているようですけれど、私にとって貴女はルブレン家の女神です」

「……そのような過大な評価、恐れ多いことです」

「いいえ、以前の……そう、王家のお茶会の前だったかしら、貴方たちが我が家に訪れた後から旦那様は変わられました……」

 お義母様は、過去を振り返るように僅かに虚空に視線を彷徨わせ、そうして私に視線を戻しました。

「……それまで長いこと、私はあの人に買われたのだと……その身を飾る装飾品として買われたのだと考えておりました。ですがあの後からあの人は、私と向き合ってくださるようになり、本心を晒してくださいました」

 そこまで仰ってメルベールお義母様は、どこか初々しい世慣れしていない女性のようにはにかんで、私から視線を下に逸らしました。

「……その、私が旦那様の初恋であったのだ、と……。その前に二度ご結婚なさっておりましたけど、夫婦になってより愛情を持ったことは確かですが、身を焦がすほどに恋い焦がれて、求めたのは私が初めてであったのだと……。ただずっと、歳の離れた私とどう接して良いか、それが分からずにおられたのだと告白してくださいました。貴方たち夫婦を目にして、私に本心を晒す決心をなさったのだと、旦那様はそう仰っておりました」

 メルベールお義母様の頬には隠しようがないくらい赤味が差しております。
 お義父様……なんと申しましょうか、子供に対してもそうでしたが、愛情表現が不器用なお方だったのですね。
 ですが、それに気付いたらグイグイと行くところは、やはり旦那様と血が繋がっているのだなあと、妙な納得をしてしまいました。
 なんだか私まで頬に熱が上がってきてしまいます。

「それに……旦那様は私の古い過ちも許してくださいました。……私、長いことあの人は、人の心など持っていないのだと思っておりました。ですが本当のあの人はとても愛情の深い懐の広いお方でした」

 お義母様は、一瞬だけ痛みを受けたような表情を浮かべた後、愛情を一身に受ける女性独特の、満ち足りた深い微笑みを浮かべます。

「……フローラさんとグラードルさんの婚姻は、ルブレンとエヴィデンシアの両家に幸せを運んできてくれたわ」

 メルベールお義母様は、赤い瞳を真っ直ぐに向けてそう優しく言ってくださいました。
 お義母様からそのような過分な言葉を頂いた私は、恐縮した心持ちになってしまいました。それは、アルク様のことが頭に過ったからです。

「その、お義母様……申し訳ございません。実は今日、旦那様とアルク様の間で、少々行き違いがございまして、言い合いになってしまいました」

「まあ……アルクと……」

 私の言葉に、陽光に照らされたようだったお義母様の表情が、目に見えて曇ってしまいました。

「それで、何日かしましたら旦那様とともにアルク様を訪ねたいのですが……」

「……ええ、ええそれは構わないわ。旦那様は財務卿の選挙で忙しくしておりますけど、話を通しておきますね。私からも取り成しておきますが――フローラさん、アルクのことどうかお願いね」

 お義母様は私の手を取ってそう仰いました。
 そのあと私とお義母様は、これまでのすれ違いを埋めるように、お義母様が帰宅する時間まで話をすることができました。
 それは僅かばかりの時間ではございますが、メルベールお義母様との縁を、確かに深めることができたと感じられる時間でございました。

 そうして我が家と貴宿館のお茶会は終わりを迎え、招待客たちも帰宅の途につきました。
 使用人たちが会場の片付けを始めて、私は旦那様とシュクルと一緒に、彼らの邪魔にならないようにと部屋へ戻ろうといたします。
 その時、貴宿館の方から夕闇を切り裂くような悲鳴が聞こえました。
 この声は!? レガリア様?
 旦那様や私を初め、会場を守っておられた近衛騎士や捜査局の方々も何事かと貴宿館に駆けつけます。

「無礼者! 貴男、いったい何処から入ってきたのですか!」

「貴様! 誰が門を守っていた! 何故こんな輩を通したのか!」

 貴宿館のエントランスでは侍女たちが遠巻きに、さらにその内側では近衛騎士や捜査局の方々が一人の男性を取り巻くようにして剣を向けておりました。

「いやいやいや、待ってくれないか! ボクはちゃんと門から入ってきたのだが……それに、その、ここはエヴィデンシア家の館ではないのかね? まさか、かの家はついに廃爵になってしまったのかい?」

「何を言っているのだ貴様は! そのなりは吟遊詩人であろう? 貴様吟遊詩人のくせに、ここ最近のエヴィデンシア家の活躍も知らぬのか。怪しい奴めおとなしく縛に就け!」

「いやいや、本当に待ってくれたまえ! この屋敷がエヴィデンシア家で間違いないのなら、ボクはこの家にはいつでも帰ってきてくれて構わないと、そうお墨付きを頂いているのだよ」

 私たちが貴宿館の扉をくぐった時にそのような遣り取りをしていた……エントランスの中心にいる人物。
 そのように仰るその方の声……、慌てた口調でありながらも、耳に心地の良いその声は、それはとても懐かしい声でした。

「先生……」

 そう口から漏れ出した言葉に、この場にいた皆さんの視線が私へと向きます。
 そうして、その方を取り囲んでいた人の輪が、私とその方の間だけ開けて、その方の姿をハッキリと捉えることができました。

「トルテ先生!」

 私は我知らず駆け出してしまいます。
 途中、近衛騎士の方か捜査局の方かは存じませんが、私を止めた方が良いのか躊躇しているのが見えました。ですが私は、その彼らの戸惑いの間をすり抜けて、懐かしい先生の胸へと飛び込んでしまいました。

「やあ、フローラ……フローラだね。君は大きくなったねえ――そうか、もう四年も経ったのだねぇ」

 懐かしいトルテ先生は、温かみのある黄土色の瞳に優しい光を湛えて、飛びついてしまった私の頭をポンポンとあやしてくださいました。

「……フローラ。その方――もしかして、以前話してくれた君のバリオンの先生かい? 俺に紹介してくれないかな」

 背後から、どこか怒気を懸命に押さえ込もうとしているような、そんな旦那様の声が響きました。
 その声を耳にして私はバッと、トルテ先生から離れます。
 ……あああぁ、私――なんてはしたない真似を……。
 私は、恐る恐る旦那様に視線を向けました。
 旦那様は、笑顔を浮かべてこちらを見ております。ですが、口の端がヒクヒクしておられて、その笑顔も硬いものでした。

「……おや? 君は?」

「私の旦那様です。先生」

「グラードル・ルブレン・エヴィデンシアと申します。……確か、トルテ・フォンサス殿……でしたか?」

「そのとおりですが……あっ、あの、何故ボクは睨まれているのかな?」

「いやいや、睨んでなどおりませんよ。フローラの大事な先生にそのような事……」

「そっ、そうなのかい……フローラの旦那様はなかなか強面なお方だねぇ」

 そのような遣り取りを見ていた皆さんは、いつの間にか緊張感が解かれて、どこか生温かい視線で私たちを眺めておりました。
 こうして本日の……とても様々な出来事が連なったお茶会は、とても懐かしい方の再訪とともに幕を閉じたのでした。

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