モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第五章 モブ令嬢家と貴宿館のお茶会(二)

「ようこそおいで下さいましたアンドリウス陛下、ノーラ王妃陛下」

 マーリンエルト公王夫妻を迎えるために、少し早めにやって来られたアンドリウス陛下とノーラ様を迎えて、旦那様と私を始め、お父様とお母様もエントランスにて挨拶いたします。
 昨晩は、マティウス様よりの突然の申し出によって、あの後、王宮ではそれは大変な混乱があったようです。
 我が家にも、今日のお茶会の進行を巡って、王宮より近侍の方が何回も打ち合わせにやってまいりました。

「うむ……マーリンエルト公王の気まぐれによって、エヴィデンシア家も難儀したであろう……。前公王とは何度か顔を合わせたことがあったが、三年前にかの国が代替わりをしてよりは、我もこれが初めての顔合わせだ。まさかエヴィデンシア家にて顔を合わせることになるとはな……。人の世の繋がりとは分からぬものだ……マーリンエルトは我が国にとって最も長き友好国、王宮での会見ではできぬ腹を割った話ができるやも知れん。後ほど部屋を借りることとなるかも知れぬ、……その時には頼む」

 確か、マティウス様が前公王様より代替わりしたとき、陛下たちご夫妻も戴冠式に招かれておりましたが、あの時は、その戴冠の式典を狙ったように、新政トーゴ王国がマーリンエルトの領地に侵攻したのでした。
 道中の安全を考えた陛下たちは結局、特使を送ることで祝意を伝えたのです。

「……陛下は、マーリンエルト公王の目的がどのあたりにあると考えておりますか?」

 意を決したように、旦那様はそう問い掛けました。
 その問いにアンドリウス陛下は、顎の下に手を当てて、暫しの間考え込みます。

「おそらく……お主たちの人となりを確かめること、そうしてエヴィデンシア家を、王家がどのように扱おうと考えているか……そのあたりか。あとは……我に大陸制覇の野心があるかどうか見極める為だろうな」

「陛下……実は昨晩、マーリンエルト公王より、私とフローラの間に、次子以降が生まれたなら、マーリンエルトの貴族と縁をつないでほしいとの申し出を受けました」

 陛下はその言葉に片眉を上げて目を見開きますと、渋そうな表情を浮かべます。

「マーリンエルト公、マティウス……やはり食えぬ男だな。何回か書面の遣り取りをして感じてはいたが……さすがに帝国直系の血脈と言うべきか。グラードル卿、迂闊な返事はしてはおるまいな」

「はい。気の早い話ではございますが、私は、子の人生の決断はその子の意思を尊重するつもりでおりますので……」

「ふむ……、その考え方も珍しいが、迂闊な返事をしていないのならばよい。……それにしても、いま聞いておいて良かった。突然そのような話を振られたら、どのように言質を取られるか分からぬところであった」

 アンドリウス陛下は静かに息を吐いて、旦那様と私に言い含めるように言葉を続けます。

「よいか、マーリンエルト公王夫妻のことは我とノーラにまかせよ。特にエヴィデンシア夫人、公王夫妻への挨拶を済ませたら、お主は貴宿館の茶会に戻っておれ、マティウス殿が奥方を連れてこの茶会に参加する目的は、おそらく、お主との距離を縮めるためであろう。シュクル嬢もお主が伴った方が良い。ふむ……こうなると、こちらと貴宿館の茶会が分かれていて良かったかもしれぬな……」

 元々は、貴宿館での茶会の話をレガリア様より耳にしていたノーラ様が、貴宿館の住人となったレガリア様やレオパルド様のお母様たちと、我が家の縁を深めるようにと考えて提案してくださった茶会でした。
 男性方まで参加すると、格式張ったものになってしまいますので、当初は奥方たちの茶会であったのですが、マーリンエルト公王夫人の参加を打診されて、陛下に伺いを立てたところ、マティウス様も連れだってやって来るつもりのようだと、その行動を警戒した陛下が、ご自分も参加なされる事になされたのです。
 その決定に最も驚き、そうして喜んだのはお父様なのですが、同時に恐れ多さに先ほどから顔を青くなさっております。

「ロバートよ……お主の境遇を思えば仕方がないのかもしれぬが、そう緊張するでない。エヴィデンシア家ではこの先、国の重鎮を招いた茶会が多く行われることとなるであろうからな。だがまあ、初めにこのような経験をしておけば、この先肝が据わるか……。お主の娘と婿は、あまりにも常識から外れておるからな……」

「あなた、そのような言い方では褒めているとは思えませんよ」

 陛下の言いようをいさめるようにノーラ様が仰います。

「……そうであるか? いやだが、夫の命の危機を救うために銀竜王様より試練を賜り、それも見事に果たし、伝説と言ってもいいストラディウスが扱いし魔器をその手にした事もそうだが……、王国の危機を救うという多大な功を挙げながら、妻の身の危険を回避するためとはいえ、己の功を捨て、悪名をその身に被ろうとするなど……並みの男であれば、とてもできる決断ではないぞ」

「……それについてはそうですが、言い方というものが有るでしょう」

 アンドリウス陛下とノーラ様がそのような事を話しておられましたら、玄関を開けてトニーが声を掛けて来ました。

「皆様、マーリンエルト公国の方々がお着きになりました」





「これはこれはアンドリウス殿。まさか……このような場所で顔を合わせる事になるとは、人生とは分からないものですね」

 マティウス様は、ともすれば柔弱に見えるお顔に、なんとも含みのある笑顔を浮かべてそのように仰いました。
 その笑顔を受けて、アンドリウス陛下は赤銀の瞳に強い光を浮かべて、少々威圧的な雰囲気を放ちます。

「昨日、先遣特使に紛れてマティウス殿が先んじて王都に入られたと耳にして、警備を担う者たちの慌てようといったら、それは見ている方が哀れに思うほどであった。褒賞授与式典まで一週間……是非静かにお待ち頂きたい」

「いや、これは耳が痛い。我が国の忠義の臣が、長い年月連絡の付かなかった娘とやっと邂逅することが叶うと聞いたものでね。上に立つものとして、その場に立ち合いたいと考えたのですよ」

 マティウス様はまるで悪びれもせずに仰いました。

「初めましてノーラ様、私、マティウスの妻、エステリア・メーテルリンク・マーリンエルトと申します」

「初めましてエステリア様、ノーラ・フローレス・オルトラントです」

 アンドリウス陛下とマティウス様の隣で、ノーラ様とマーリンエルト公王夫人、エステリア様が挨拶を交わします。
 エステリア様は、整った顔立ちで、さらに硬質な感じのする青髪をしておられますので、一見冷たい印象ですが、その印象を相殺するような、温かみのあるきらめくような緑の瞳をしていました。
 奇しくもノーラ様は、瑠璃色の髪に若葉を思わせる緑の瞳をしておられ、近い色合いをした髪と瞳を持つエステリア様は、ノーラ様の娘だと言われたら、思わず受け入れてしまいそうな感じがいたします。
 エステリア様は、ノーラ様の隣に並んだお母様に視線を移しました。

「……あなたがルリアさんですね。この度は、夫の我が儘を受け入れて下さってありがとう。噂は夫より耳にしておりました。とても夫の言っていたような方には見えませんね……」

「初めましてエステリア様。私、社交界にお披露目される前にマーリンエルトよりオルトラントに嫁ぎましたので、マーリンエルト国内の事情にも疎いのですが、メーテルリンクということは……」

 お母様の問いに、エステリア様はニコリと笑って応えます。

「……はい、私はマーリンエルトと国境を接する北西のメーテルリンク王国の人間です」

 メーテルリンク王国とは、北にある島国、ブリステン魔法王国と新政トーゴ王国の間に位置する大陸最北西に位置する王国です。
 お母様が確認したのは、国が違えば同じ姓を名乗る家がある場合があるからです。ですが、ということは、マーリンエルト公国は着々と新政トーゴ王国包囲網を作り上げているということでしょう。

「やはりそうでしたか、私、恥ずかしいことではございますが、マーリンエルトにおりました頃は、家風もあり武芸に身を入れておりましたので、お耳汚しであったでしょう。オルトラントに嫁いでより、武芸では戦えぬ敵もいるのだと知ることとなりました。敵を討つために身を潜める戦いもあるのだと……結局、私にはその力がなく、その敵を討ったのは、婿殿と娘の力によってでございました……」

 お母様は、少し自嘲気味にそのように仰いました。
 優しく深いお母様の笑顔の裏に、そのような思いが隠れていようとは、私はこれまでまったく気が付きませんでした。
 今のお母様からはまったく想像することができませんが、昨晩、お祖父様との遣り取りで垣間見せた、若い頃のお母様とは、いったいどのような感じだったのでしょう。

「夫より聞いていた印象とは違いましたが……貴女は本当に強い女性なのですね。エヴィデンシア家の事情については、この旅の合間に耳にいたしました。オルトラントに根を張った忌まわしき者に、貴女は長らく身を伏せて家族を守っていたのですね。その強き心根が娘さんにも受け継がれているのでしょう」

 エステリア様はきらめく緑の瞳、その視線を私に向けてさらに言葉を続けます。

「フローラさん、王国の主都を新政トーゴの軍より救った活躍、我が国にも届いております。我が国の人間の血を引く貴女が、クルークの試練を乗り越え偉大なる活躍をした事、マーリンエルトの国民も我がことのように誇りに思っているのですよ。貴女にはいつか我が国を訪ねて頂きたいわ」

 さすがは公王夫人です。話の流れをしっかり私を招く形へと持って行きました。先ほど陛下からの話を伺っておりませんでしたら、うっかり返事をしてしまうところでした。
 その話の流れをみて、すかさずノーラ様が口を開きます。

「エステリア様。それには国の平穏が保たれませんとなかなか難しいかも知れませんね。先日の戦いにおいて、王都城壁内は大きな被害はございませんでしたが、水道施設など大変な損害を被りましたので……、ああ、そろそろ他の方々もやって来る頃合いです。エステリア様――そちらの方々も紹介頂きたいわ」

 ノーラ様は、背後に控えておられる、お祖父様と護衛騎士のお二方に視線を向けました。
 そのような、国王夫妻と公王夫妻の暗闘の後、次々とやって来られたレガリア様やレオパルド様のお母様たち、アンドゥーラ先生とサレア様、さらにメルベールお義母様との挨拶を済ませて、私は貴宿館のお茶会へと戻されることとなったのです。
 せっかくメルベールお義母様と、言葉を交わせる機会ができたと思ったのですが、なんでこうもすれ違ってしまうのでしょうか。
 お茶会の最後に設けられている、貴宿館のお茶会と、我が家のお茶会の招待客が交流できる時間に、メルベールお義母様との縁を深める事ができることを、私は祈らずにはおられませんでした。

「モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「恋愛」の人気作品

コメント

コメントを書く